良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『散歩する侵略者』(2017)観念SF。解りづらさがネックか?

 タイトルと内容から思い浮かべるのは『散歩する惑星』『姿なき挑戦者』『ダークゾーン』『狙われた街』『アンドロイド0指令』などのウルトラセブンがらみのものばかりで、なんだかウルトラセブン・スムージーみたいです。    内容的にはそれらにドン・シーゲル『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』で味付けをしたパロディです。もともとは舞台劇だったものを気に入った黒沢清監督が映画化した作品です。  オープニングでの金魚から女子高生に憑依しただけでさまざまな概念をまだ十分には学んでいないエイリアンが道路の真ん中を我が物顔で闊歩しているところを避けて走ろうとする車両が横転したりして多重事故を起こしている場面を見るとこれからの展開にかなり期待度が上がりました。  “所有”“家族”“仕事”“愛情”“自分”“他人”など生きていく上で必要な社会概念を人類から奪い取るという発想のユニークさは奇抜で興味をそそられます。  ただこれが映像で面白さが伝わるかどうかは別問題で、意欲的な実験作としては買えるか、劇場で安くはないチケットを購入してまで観に行った人、出ている俳優陣のネームバリューだけで気楽に見ようと思っていた人は足下を掬われる作品だったのではないか。
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 概念を奪われた人はガクッと膝を落として、ボケッとしたり、会話が上手く行かなくなる様は異様ですが、価値観の欠落や性格や宗教の相違から殺し合いになっている世界情勢においてはそう大差はないのではないか。  それが家族間や身近な関係者の間で起こってしまうから恐怖を感じるだけなのかもしれない。とすると風刺劇なのでしょうが、表現が曖昧だったり、笑いに走るのかシリアス路線を放棄するのかの間でグラグラとしてしまっている印象があります。  徐々に侵略が社会全体に広がっていく中で、新種のウイルスが原因だという偽情報を流す政府の薄気味悪さがよく出ているのが病院を舞台にしたパニックのモブシーンでしょう。黒沢清らしさを探そうとするとこのシーンと血まみれのオープニングでしょうか。  そのへんが分かりにくさに繋がっているように思います。愛を奪われた長澤まさみは侵略中止後の未来では廃人のように無感情になってしまう。  反対に彼女から愛を奪い取った松田龍平は収奪の許容上限を超えてしまい、彼らが他者から概念を奪ったときに相手側が見せる反応を見せる。
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 侵略しにくるエイリアンは松田龍平高杉真宙恒松祐里に憑依してから、彼らの家族を手始めに概念を奪っていく。松田は長澤まさみからは概念を奪わずにガイドとして使っていく。  長澤の妹役で出てくる前田敦子は家族の概念を奪われてしまう。警官として恒松を警備しているアンジャッシュ児嶋刑事は自分という自我の概念を奪われる。  満島真之介は所有の概念を奪われ、笹野高史は自由(たしか?)の概念を取られてしまう。光石研は仕事の概念を奪われ、会社の中で「キーーン!」と叫びながら、社内の模型を壊しまくる。  完全に風刺劇になっていて、その人にとっての重荷になっているものを取り除いていきます。これって、奪われたのか解放されたのかが分かりづらい。  この中で立ち位置が微妙なのが最近、一時の堺雅人並みにあちこちのドラマや映画に出演している長谷川博己です。人類の敵であるエイリアンに協力し続け、挙句の果てに侵略に手を貸し、死にかけのエイリアンに自分を依代として明け渡すということまでやってしまう。
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 携帯みたいな通信機を作るのにとんでもなく馬鹿でかい装置を作ってしまう滑稽さは笑いのポイントなのでしょうが、どうも笑えない。  暗殺部隊の攻撃をかいくぐったところで高杉真宙は肉体的に絶命し、長谷川に乗り移り、なんとか装置を作って通信を終えた後は無人爆撃機に徹底的に爆撃を受け、抵抗するもあえて楽しみながら果てて行く。  エイリアンたちは住み心地が良いのか、人類について十分に学んだあとは憑依することなく、満足して死んでいく。この辺の描写はユニークです。  長澤まさみも『ディープ・インパクト』か『インディペンデンス・デイ』のようなクライマックスの場面で松田に愛情を無理やり引き渡す。与えた時は何ともなかったのに侵略中止後は廃人のようになってしまうのは何故だろうか。  人間が生きていく原動力になるのが愛情なのだというのはベタな結論でしょうが、落とし所としては妥当と言える。前評判などを聞いていたであろう人々は難解であることを知っていたでしょうから、この作品を敬遠していたのでしょう。
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 さきほど観た『三度目の殺人』には200人以上のキャパがあるスクリーンに150人くらいは入っていましたが、こちらのスクリーンにはたったの5人しか集まっていません。  ベネチア映画祭出品作品というニュースがあったとしても、受賞したわけではない作品と比べて、これほどの不入りになっているのは驚きました。  単に解りにくさの賜物でしょうが、この作品はけっして駄作というわけではありません。ただただ伝わりにくい。公開が終わり、DVDがレンタルに並び、見る人が増えれば、ジワジワと魅力が伝わっていくかもしれない。10年経ったら、カルトコーナーに並ぶのでしょう。  僕は言うでしょう。「公開当時に観に行ったよ!お客さんは少なかったなあ…」ってね。10年後のマニアを目指す方は観に行って損はないですよ。  長澤まさみちゃんもいつの間にか年齢を重ね、女優さんらしくなってきました。デビュー当時から見ているのでより大きな看板になって欲しい。
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総合評価 70点