良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『晩春』(1949) 原節子が小津作品に初出演した、記念すべき作品にして代表作のひとつ。

 小津安二郎監督、1949年製作の作品。小津作品というと構図やカット割が独特であり、「絵」として見ているだけでもかなり興味深い。障子や間取りで何重にも区切られている登場人物たち、極端なローアングルに据えられた和室でのカメラは監督の実験的な個性と作風に溢れています。

 

 舞台装置としての和室の中にあるちゃぶ台など、今では日本でも見ることの無くなった家具類を見ることは文化史としての価値もあるのではないでしょうか。

 

 小津監督の重要なテーマのひとつである日本の伝統的な家族制度、とりわけ結婚に対する父娘間の価値観の微妙な「ずれ」と、結婚によってもたらされる一方の家庭の緩やかな崩壊ともう一方の家庭の新たな創造が描かれます。

 

 登場人物を区切るカメラは閉鎖的な社会と父娘の閉塞的な現況を表しているのか。それとも彼らの家庭が他者から何重にもガードされていることを表しているのか。左右対称を大切にしながらも奥行きも計算している構図と、同じ姿勢・動きを俳優に指示することにより、台詞に表れない彼らのその時々の同調や葛藤の関係を観客に示す小津監督。違う動きをする時は内面の葛藤を表現しています。

 

 会話する時に多用される、お互いの真正面の顔で交互に構成される会話シーン。普通は会話シーンといえば、左右の仮想ポジションを決定した後に、目線の位置や顔や身体の向きを一定にすることにより見やすいシーンを編集していくものですが、彼の用いた正対アングルは本来であるならば、違和感のあるものです。

 

 ハリウッドで形成された映画文法を崩す試みを、既に実行していた小津監督の独創性と偉大さをしっかりと味わって欲しいものです。彼の素晴らしいところは、こうした実験的なスタイルを実践しているにもかかわらず、それがうるさ過ぎないところです。

 

 あくまでも流れの中で必要になったから作られたスタイルなのです。こだわりはとても強いのですが、観客に無理強いするものではありません。

 

 個性的なアングルと繋ぎ方であるのに煩わしさがない。ここらへんが世界中で今でも評価が高い理由なのかもしれません。スペクタクルとは無縁な作風ではありますが、そういうものに頼ることなく、己の世界観を描き、独創性を遺憾なく発揮している類稀なる映画作家です。

 

 これは監督の考え方に気品が感じられることが大きいのではないか。バタバタ動きすぎない抑制の効いた演技とカメラが彼の持ち味です。

 

 外出から戻るときに、画面右から左に向かって家に入っていくのに、玄関のショットでは左から右に部屋に入っていきます。本来のハリウッドのお約束ならば、玄関では右から左に向かわなければ、前後のショットの関係が崩れてしまうため違う編集がされてしまうかもしれません。ジョン・フォード監督などに見られるようにあえて文法を破るケースもあるにはありますが、例外的なものです。

 

 会話時のお互いの身体の向きで、話し手の意見に同調するのか、反発するかを見事に表現しています。会話の意味表現も優れていて、普通は話している者のアップが入りますが、聞く者の言葉の取り方に重きを置く場合には、聞く者のアップが挿入されています。映画を見ていて、久しぶりに興奮を覚えました。

 

 監督の表現方法を体現した笠智衆原節子。大部屋俳優から登り詰めた笠と、小津作品には初登場となる、当代きってのスター女優として皆に大切にされてきた原節子。生き方は180度違う2人ではありますが、父娘関係を違和感無く演じています。

 

 舞台となった鎌倉や京都の穏やかで上品な風土と彼ら、そして監督の品格が作品にも表れている清楚な作品です。見に行く娯楽も能やクラシックの演奏会などであり、人間としての格の違いを見せつけます。

 

 原節子は上手い女優ではありません。しかし彼女が持つスターとしてのオーラは、小手先の器用な演技を全く必要とはしていません。彼女はそこに存在するだけで輝きを放ちます。彼女も自分を知っていて、自分自身の引き際も心得ていました。

 

 早くに引退してしまったのは残念ではありますが、それだからこそ、今でも不滅の輝きを持っているのかもしれません。上手くはないとは言っても、前半、中盤、そして後半で、その場に持つべき感情により顔の表情やしぐさを変えたり、台詞なしで身体全体を使った演技は、小津監督が演出したにせよ一皮むけた好演でした。

 

 溝口健二監督に田中絹代がいるように、小津監督作品にも原節子という最高の女優が存在したのです。彼女達が両巨匠の作品に与えた影響は過小評価すべきではありません。両監督ともに脚本にはうるさく、一方は自分で書き(小津監督)、もう一方(溝さん)は脚本に細かく注文を入れる(「ゴテる」)ことで有名でしたので、当然彼らの女優が生きる脚本を求めたことは想像に難くありません。彼らがそうするように思わせる魅力を彼女達は持っていました。

 

 演出、つまり映し方にも工夫が凝らされていて、狭い日本家屋の狭さをより強調することで、濃密な人間関係を表しています。また背景の窓を上手く使うことで奥行きも広がりを見せ、窮屈さばかりを感じないような配慮も見られます。

 

 光の用い方も気分が明るい時とそうでない時では違っています。一見何気ない風景や電車のショットにもセンスを感じます。

 

 家庭はそこだけで独立している世界であり、また周りの世界にも繋がる基本単位でもあります。結婚することで新しい家庭を持つことは世界を新しく創作することでもあります。縦構図で狭い部屋を撮っているのに奥行きを感じる不思議さ。

 

 2人の人物を縦に並べて、背中から「なめる」ショットを用いて、原節子の背中で笠智衆を画面から消してしまうショットは特に印象に残っています。

 

 名所旧跡を上手く作品に取り込んだ作品でもあります。特に興味深かったのは清水寺でのショットでした。お互いに近い場所にいるにもかかわらず、クロスカットを交互に使い、同時に二つの話を展開させていきます。

 

 背景にお互いを映しこむ演出は素晴らしい。また、物語の主役達よりも、その場に居合わせる修学旅行生のほうを大きく撮る演出はユニークに感じました。家族の問題などはちっぽけなもので主観的なものに過ぎないのだという意図でしょうか。

 

 鶴岡八幡宮でのコミカルな会話シーンも忘れられません。実朝の暗殺されたこの場所での楽しい会話というのは、対位法的手法のようであります。

 

 物語の最後のシーンで、笠智衆の口を通して語られる結婚観と家庭観は小津安二郎監督自身のそれだったのでしょう。暖かく人間味に満ちています。人間の良さを知っているからこそ描ける世界が存在します。この作品はそういったものを感じ取れる傑作です。

総合評価 95点

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