良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『最後の誘惑』(1988)クリスチャンの知り合いと一緒に見たとき、彼女は非常に怒っていた。

 マーチン・スコセッシ監督が1988年に放った、衝撃の問題作であるこの作品を最初に見たのは1990年くらいで、20歳のときに、アメリカ人のクリスチャン(彼女はスコットランド系で、彼氏はUSエアフォース所属です)と一緒に、僕の部屋で見ていました。  彼女は見る見るうちに機嫌が悪くなり、途中で怒り出しましたので、そのまま続けるのも恐かったし、可哀想だったので、その日はもう一本借りてきていた『トップガン』を見ることになりました。彼女の機嫌も直り、彼氏に国際電話を掛けて、『トップガン』の話をすると言っていました。アメリカ人も女は強いようです。  これスコセッシだったんですね。最初は気づかずに見ていました。神様をスーパー・スターとして扱わずに、一般人のレベルか悲劇の英雄くらいのところまで落とし込んでしまうのは斬新な演出でありました。  『ジーザス・クライスト・スーパー・スター』で、神様をミュージカルに登場させてしまったわけですから、いつかはこうした偶像批判的作品が生まれてくるのも時間の問題だったはずなのです。構造主義で用いられる物語の5分類では、第一が「神話(神様)」、第二が「伝奇物」、「冒険物」、「恋愛物」、第三が「叙事詩(英雄物)」、「悲劇」で、4が「喜劇」、「リアリズム」、5が「アイロニー」だそうです。当然のことながら、これがそのまま「えらいもの」順であり、この映画では、キリスト様が第二、第三、第四の混合体くらいで描かれています。  まさに神への冒涜であり、信者にとっては許せないし、唾を吐きかけるにふさわしい作品なのかも知れません。実際に上映禁止になった地区も多かったそうです。その後も、何人かの外国籍の人たち(カナダ人、フランス人など)に聞いても、ほとんどの人がしかめ面をして「最悪だ!」と言いました。彼らのうち何人かは、わが国に来て、はじめてその作品を見た時の驚きを語ってくれました。  話は戻り、僕は彼女が帰ってから、改めて最初から見かえしましたが、せいぜい「なんか神様っぽくねえなあ...。」というのと「つまんねえ癖にえらくなげえなあーーーー。」と思う程度でした。育ってきた文化と環境が違うと、こうも感じ方が違うというのはとても驚きであり、かつ上手く説明できませんが、宗教対立の一因はこうした無理解からも生まれてくるのかと少々恐くなりました。  人間臭いキリスト像を示した事が、騒動に繋がってしまったのは不幸です。リアリズム的描写でキリストを演出した、スコセッシ監督の勇気と挑戦は価値のあるものだと思います。彼だって、一人の人間だったわけで、死後の彼は神様である事は間違いありません。が、生前の彼には血が通い、食べ物を食べていた生き神様だったはずなのですから、当然迷いや煩悩があったであろうし、それがあったからといって彼の価値は下がる事などありえないのです。  まあとにかく見れば解るとは思いますが、この作品はクリスチャンにしか理解と批判の出来ない作品なのではないかと思います。実際、マホメッドをただのおっさん扱いにしたら、イスラムの反発は凄まじいものになるでしょうからね。よその神様には触れてはならないのでしょう。神様は「ばち」を当てなくても、信者が代わりに「ばち」を当てに来ます。 総合評価 80点 最後の誘惑
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