良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『未知との遭遇』(1977)スピルバーグは素晴らしい監督なのです。もっと、こんなの作ってよ。

 1977年に公開され、全世界で、超のつくほど大ヒットしたSF作品が、この『未知との遭遇』です。監督は『激突』(1971)、『ジョーズ』(1975)と素晴らしい企画をもとに、映画監督として確実にステップ・アップしてきたスティーブン・スピルバーグでした。  今では『カラー・パープル』、『太陽の帝国』、『シンドラーのリスト』、そして去年の『ミュンヘン』と、シリアスな大作ばかり作る、巨匠になってしまいましたが、『ET』、『レイダース』、『インディー・ジョーンズ』、『グレムリン』、『トワイライト・ゾーン』、『ジュラシック・パーク』などの「映画」らしい映画を作る、一流の娯楽映画を作る達人でもありました。  個人的には、製作を務めた『抱きしめたい』も含め、上に列記した作品群の方が、愛着があり、記憶に強く残っています。アカデミー賞を狙うのならば、シリアス路線で行かなければ、賞を取れないのは分かります。しかし、多くの映画ファンが望んでいるのは、心の底から楽しめる、スピルバーグ・ワールドではないでしょうか。  重々しく、深く考えるために、映画館に足を運ぶのが大嫌いな、ダメ映画ファンもいるのです。映画の基本は娯楽であったはずです。芸術と娯楽が上手くミックスされたのが、名作映画であり、どちらか一辺倒では名画とは言い難い。  スピルバーグ監督は最高の娯楽映画を作れるのに、『宇宙戦争』のようなズッコケ映画も作ってしまいました。あれはあれで良いのですが、わざわざ手垢の付いた他人様のリメイクなどしなくても、オリジナルで十分に勝負できる彼が、何故あのような企画に乗ったのかが、不可解です。  ハリウッドの製作会社、特にユニバーサルがもっとも望むのは、ユニバーサル・スタジオで商売しやすいキャラクター物の映画である事は明らかなのです。ファンも会社も望んでいるのに、彼が新たな娯楽企画に興味を示さないのが非常に残念です。『インディー・ジョーンズ』の続編が出来るようですが、リメイクなどスピルバーグ監督の映画を観てきた人は本気で待望するはずがありません。  『ジュラシック・パーク』を撮る代わりに、『シンドラーのリスト』を撮影出来るようにするという条件があったようですが、インディーの復活を聞いた時は、おそらく『インディー~』でお茶を濁してから、よりシリアスなものを狙っているのだろうという底意が見えて、複雑な気持ちになりました。  もし登場人物がショーン・コネリーじいちゃん、ハリソン・フォードとうちゃん、そして子供がヘイデン・クリステンセンだったら、もう悪夢としか言いようがない。さらにかあちゃんキャリー・フィッシャーで、敵役がサミュエル・L・ジャクソンだったら、笑いも呆れも飛び越えて、フォースの世界に浸るしかない。ここまでやってくれると、パロディーとしては最高で、『1941』以来のお笑い映画になるかもしれないという期待感が大きくなります。まあ、ないでしょうね。  それはさておき、『未知との遭遇』。指の動きと共にUFOが同調して出るシンセサイザーによる「ぱらりろれ~」の音階には嬉しくて、思わず顔がほころびました。映画館で観た時、あのシーンの壮大さは凄かったのです。大画面一杯に描かれるUFOの馬鹿でかさ、ジョン・ウィリアムズによる、未来派野郎なシンセ音楽、なんだかよく分からないのですが、迫力に圧倒されました。  映画の楽しみを知っている、スピルバーグ監督は当時、あまり評価をされませんでしたが、映画ファンの心にいつまでも残り続ける傑作映画を数多く世に送り出しました。低く見る人も多いスピルバーグ監督ですが、才能の幅と深さは凡庸な監督が十人まとめてかかっても勝てないほどの差が確実に存在します。  それは何が映画的であるかを知っているという事であり、自分の撮りたいものとビジネスを上手く融合させてきた天才であるという事です。映画でしか表現できない事を、映画で観客に伝えきるコミュニケーション能力が備わっている監督こそが、スピルバーグ監督なのです。その彼が、彼に貼り付けられたレッテルを剥がす為だけではないでしょうが、妙にシリアス物を撮りたがるのがとても残念です。  まあ、真面目に語るのはこれくらいにします。この作品は、小学校低学年の頃に観たのが最初で、次に見たのがTVで、この時は、学校で次の日に「ぱらりろれ~」をやり、ついでに「ベントラ ベントラ」をやって宇宙人を呼ぼうとして、近所の山にみんなで登り、お祈りを捧げました。  決死の努力をしましたが、ETもヨーダも現れることなく、またXファイルのように誘拐されることも無く、あれからもう、二十五年の月日が経っています。いまのところ、接近遭遇とは無縁の暮らしを送り続けています。  宇宙ネタで言えば、1986年だったかに、ハレー彗星が僕らの星にやってきた時に、天体観測が趣味だった友人がいて、彼に誘われて、望遠鏡を使い、かの彗星を見ましたが、次に見るのは76年後という、途方もない事を聞き、なんというか感慨深くなったことも合わせて思い出しました。  『トワイライト・ゾーン』の最初のエピソードでも、ハレー彗星がらみの話が出てきますが、当時は当時の思い出と共に、未来は未来の生活の中で、再度、あの綺麗な星を見ることが出来ると良いですね。レベッカのノッコさんも昔「76thスターズ」だったかで、かの彗星の曲を作っていました。  昔のエスエフを見ているとよく思う事があります。それは確かに映像は現在の水準から見ると「ちゃっちい」のですが、その語ろうとすることの大きさは、今の作品の何倍もの大きさを誇っているように思えることです。   過去のものばかりを褒めるのは、年のせいなのかも知れませんが、どうしても過去の作品のほうに評価が高くなる傾向があり、「いかんいかん」と思うこのごろです。映画の歴史というものはゴダール歴史観でいうと、すべての映画は繋がっていくものなので、全ての過去の作品を基にして、新作が生まれてくるわけだから仕方ないことなのですが、年々新しいアプローチは少なくなってきているのが残念です。  ですが、映画が生まれて、まだ百年ちょっとしか経っていないわけなので、新たな技術が必ず生まれ、トーキーがサイレントを席巻した時のような大革新が必ず来ることを信じて、今日もまた一本見よう、というところで、今日はこれくらいにしておきます。ハレー彗星がまた来る頃には、映画も革新していますよ。ついでに何故か、フランソワ・トリュフォー監督が出てきます。 総合評価 85点 未知との遭遇 ファイナル・カット版
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