良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『静かなる決闘』(1949)梅毒と独りで向き合う超人的な青年医師を演じる三船敏郎。

 たぶん黒澤明監督作品中でこれまでに自分が見た回数がもっとも少ないのがこの『静かなる決闘』です。主演が三船敏郎なのですが、他の作品とはかなり異質な印象を受けます。  彼の代表作の一つでもある『酔いどれ天使』で観客に定着してしまった悪漢やヤクザというワイルドなイメージを払拭し、一度イメージをリセットして演技の幅を広げるためにはこういった作品に出演することが必要だったのでしょう。
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 彼の魅力が全面に出ていたとは言い難い印象ではありますが、俳優としての奥行きが広がる重要な作品だったのではないか。自分のミスとはいえ、戦地で罹患した梅毒とたった独りで真摯に向き合い、近しい人にも事情を語らずに、大切な恋人をも拒絶する高潔な医師を熱演しています。  タイトルから想像するとジョン・フォード監督の西部劇みたいですが、自分自身と体内に潜む、梅毒のスピロヘータとの戦いなので「静かなる決闘」で正しい。ただ如何せん脚本が大きな原因なのでしょうが、あまりにも三船が超人的で、身体中が力みすぎている感もあります。
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 どこか醒めた目で見てしまいますし、恋人や家族にも真実を告げずに独り苦しむ様はさすがに感覚が古くさくなってしまっている。こういうところが好んで視聴をしてこなかった理由です。  当時の梅毒は恐ろしい病気として認識されていました。そのような性病キャリアが無責任に避妊もせずに性交を行うと、母親にも病気が感染し、産まれてくる子供までも奇形児になるという話の持っていき方は極端なイメージを植え付ける恐れがあるので、黒澤明監督作品中でもあまりスポットライトを浴びにくい。
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 高潔な三船と自堕落な植村謙二郎のあまりにも極端な描き分けは人間の二面性を表すために二人に分けて具現化したものなのだろうか。お互いに極端なので分かりやすくしたのでしょうが、かえって不自然な感が否めない。  とかく黒澤監督というと、時代劇ばかりが話題になるが、ヒューマン・ドラマも数多く手掛けているので苦手な分野ではないものの好みというのは人それぞれなので、結果としてあまり見てきませんでした。
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 それでも感染症を扱ったこの作品は後のAIDSなど性病やウィルス感染に対するモラルや避妊などの問題などを考えていく上ではかなりの先見性があったのかもしれません。  ヒューマン・ドラマとして描く感染症は不治の病を取り扱ってきた作品に比べるとそれほど多くはなかったのではないか。あまり皆が医学的知識がない時代での感染症への警鐘であり、避妊の奨めにもなっているというのは着眼点として優れています。
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 今でこそかなりオープンに語られるようにはなりましたが、当時の感覚だといかがわしいとすら思われたのではないでしょうか。あらためてこの作品を見て、時代背景を考慮に入れると黒澤明監督のテーマの選び方の思い切りの良さとチャレンジ精神に驚かされる。  では映像そのものや見せ方はどうだったのだろうか。オーソドックスに作られていて、あまり気になる部分は見つけられませんでした。湿っぽさと蒸し暑さという南方独特の雰囲気と野戦病院という特異な環境の様子はセットなのでしょうが、よく伝わってきているように思います。
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 見所としては自堕落な踊り子だった千石規子が三船と出会い、彼の真摯な態度と向き合ううちに彼が恋人を拒絶する理由を千石に語り、彼女がその後の人生を180度変えるきっかけになる緊張感が張り詰めるシーンが印象的な作品です。  千石規子という女優はあまりメジャーとは言いがたいが、黒澤作品で彼女が見せる女らしさはみずみずしく、そして他の女優よりも美しく思えます。内面から出てくる美しさが上手く滲み出ているという印象です。若いとか、綺麗とかの単純な外見だけではない本物の美しさに触れられる作品がこの『静かなる決闘』なのでしょう。 総合評価 62点