良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ピアニストを撃て』(1960) 評価の低い二作目ですが、ヒッチやホークスへの愛が一杯です。

 1960年に発表された『ピアニストを撃て』は、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』に続く第二弾です。そして本作品では、彼が本来やりたかった事を、娯楽の神様であるだけでなく、映画を良く知る作家であるヒッチ先生やホークス監督のスタイルを、彼流にアレンジしながら、大胆に試行しています。

 苦闘する者も多い二作目ですが、監督はB級路線を敢えて貫きながら、彼独自のセンス溢れる作品に仕上がりました。前作との違いを挙げていきます。まず第一は前作で流れるような素晴らしい動きをしていたカメラマンアンリ・ドカエを変更したことと、それに伴う編集での自分の意思の示し方。

 第二は積極的に外へ出て行ってロケを存分に行ったことが挙げられます。これにより開放的な世界が広がり、室内や押し込められた場末のカフェとの落差がより強く浮かび上がっていました。第三は第一と密なのですが、ヌーヴェル・ヴァーグらしい撮影方法及びカットを挙げておきます。

 まずカメラマンをアンリ・ドカエ(『太陽がいっぱい』『死刑台のエレベーター』『ブラジルから来た少年』など)からラウール・クタールゴダール作品のカメラマン)に変えたのは、このままアンリを使い続けると手柄を全て彼のものにされてしまう事を恐れたのかもしれません。もっともトリュフォー監督が、そのような小さい人間とは思えませんが。

 第二、第三については若々しい映像が全篇を覆いつくしたゴダール監督の『勝手にしやがれ』が盟友トリュフォーにも伝染しています。ゴダール監督が映画の文法を破壊したため、センセーショナルな脚光を浴びるようになりました。

 トリュフォー監督も自分の好きなようにやることに、躊躇が無くなったのかも知れません。この作品からは表面的なB級感よりも、むしろそれを楽しんでいるような余裕が伺えます。

 ジャンプ・カットは勿論のこと、会話中に「ここで映画だったら、シーツで隠す」などと言わせてそれまでの古典的なものとは違うことを際立たせようとしてみたり、ショット内カットを使い監督の意思を強調したり、スクリーン・プロセスを使わずに車内撮影を行いカットバックでシーンをつないでより現実性を持たせるなど撮影アイデアをふんだんに披露していました。

 無駄な会話を緊張するシーンで入れるのもリアリティーの増す、効果的なやり方でした。誘拐されたり、監禁されたり、首を絞められたり、銃撃されたりと80分弱の作中でとても忙しくトラブルに巻き込まれていくシャルルですが、犯人達や揉め事の相手との会話がとても滑稽で現代の作品でも十分に通用するほどの面白さがあります。

 刹那的に起こる事件の数々と、その間を埋める無意味な会話の滑稽さが、この作品のストーリー上の「肝」です。マリーを誘おうとするシーンでのシャルルの頭の中での迷いがとても可愛らしい。

 いつも感心するのは彼の作品での音楽の良さです。印象的なオープニングでのピアノ曲。ラストでもかかるこの曲は人生を変えようとして結局失敗した主人公シャルルが元の場末に戻ってきたことを示す悲しい曲なのです。悲しい時に弾く楽しい曲はそのギャップのためにより強く我々の胸を締め付けずにはいられません。

 難点としてはあまりにもゴダールを意識しすぎていて、彼の作品の持つ本来の優しさが十分ではなく、イライラしているように感じました。もっとも彼の創作姿勢に貫かれている人間への愛情はここでもしっかりと感じ取れることでしょう。彼が十分に個性を出していくのは次作からになります。

 この作品では自分が好きだったヒッチ先生やホークス監督へのオマージュを捧げているのみならず、一人の映画作家として、確固とした才能の基盤を持っていることを示してくれました。

 影響を受けてきた作家への感謝と、彼自身の作家としての個性の目覚め。ゴダールが先に行ってしまったことへの焦りにイライラしつつも、監督本人が楽しそうに撮っている作品は、その楽しさが観る者にも伝わってくるように思います。

総合評価 91点

ピアニストを撃て〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選5〕

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