良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『荒武者キートン』(1923) チャップリンに勝るとも劣らないキートンの魅力。 ネタバレあり。

 『荒武者キートン』は1923年の作品であり、最も素晴らしい喜劇俳優にして、映画監督でもあるバスター・キートン監督・主演の代表作のひとつでもあります。原題の「OUR HOSPITALITY」は、我々の心地よく素晴らしい接待という意味であり、作品を見てもらえれば分かることですが、かなり皮肉めいたタイトルでもあります。

 

 喜劇王バスター・キートンについて思う時、いつも不可解なのはこれだけ素晴らしい作品群を残しているにもかかわらず、何故か同じ喜劇王チャップリンに比べると、地味な存在に甘んじているように感じることです。お互いのサイレント作品を見た時には、キートンの良さが上回っているのではないかと思う瞬間もあるのです。とすると彼の没落はトーキーへの対応の失敗なのでしょうか。それとも彼のMGMへの移籍が原因でしょうか。

 

 チャップリン監督がトーキーでもしっかりと名作を残したのに対して、果たしてキートンは移籍のためもあったかもしれませんが、あまりぱっとしない印象があるのです。もしキートン監督が移籍せずにそのまま好きに作品を撮り続けて、気の向いた時にトーキーを撮れる環境にあったならば、素晴らしい名作が生まれていたかもしれない、と思うと、とても残念です。移籍後は俳優業に専念せねばならなかった彼は、不満のためか酒に溺れ、徐々に映画シーンでの重要性が消えてしまいました。

 

 ではキートン監督が価値が無いかといえば、大間違いであり、彼の残した本作品『荒武者キートン』や『大列車追跡』などは時代を超えた名作として、映画ファンや研究者の間で語り続けられることでしょう。一般の映画にあまり詳しくは無い普通の人にも、もっと見て欲しい素晴らしい写真です。チャップリンのように解り易くはないかもしれませんし、教訓めいたものも期待できません。しかしキートンには彼独自の良さがあります。何も考えていないような表情と、熱のこもった体当たりのアクション・シーンの数々。モンタージュの素晴らしさと目やしぐさのちょっとした動きで、その意味を観客に伝える演技が出来た彼が、何故その後の映画界に対応できなかったのか。

 

 アクション・シーンの独創性とダイナミックさは、他と比較できないほどの力強さを持っています。スタントマンを使わないで、自分でやってのける彼は全身ケガだらけ、骨折は日常茶飯事だったようですから、彼を買い取ったMGMにしてみれば、商品が死んでしまっては困るので、制約をつけて彼の個性の源だった体当たりでの演出や演技を封印してしまったようです。その後の低迷。

 

 彼に対して残念だと思う気持ちが強すぎるために、長々と書いてしまいましたが、作品自体は映画を知っているキートン監督の演出が冴え渡り、雨と影の使い方はその後に起こる不幸を暗示していて興味深く見ました。コミカルなシーンも次から次に現れ、そのどれもが観客を唸らせる工夫のある演出でいっぱいです。山・川・列車などあちこちに出没して観客の目を飽きさせず、テンポ良く作品を転がしていきます。

 

 特に興味深く見ていたのは列車での機知に富んだ演出であり、後々のストーリーに繋がってくる女性や犬との絡みもさりげなく挿入されています。列車というと速いイメージがこびれついていますが、ここで出てくる列車は馬車を繋いだような代物であり、牧歌的な印象がありました。アクションとコメディーの幸福な融合を見られる67分間です。

 

 見れば解る、サイレント映画の魅力が全篇に貫かれています。時代を超えて、人種の、そして言語の壁を越えて理解できた「映画」(サイレント)こそ映画人が目指すべき映画の頂であるべきです。世界的なコミュニケーションを取れる作品を送り出すには、モンタージュを如何に極めるかが映画作家の腕とセンスの見せ所です。よくスピルバーグ監督を評して「大衆迎合で芸術性が無い」とかいう人を見かけますが、大間違いです。大衆に解る、というのが映画芸術の基本であるはずなのです。

 

 無表情な顔、こういわれることの多いキートンですが、彼の目には哀しみを、彼のアクションからは彼の必死さと映画への情熱を見てとれます。彼の目から、そして身体全体を使ったアクションから、彼の感情と意志を探っていただきたい。

 

総合評価 94点