良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『續 姿三四郎』(1945) 会社のために作らざるを得なかった続編作品。 ネタバレあり。

  黒澤明監督、1945年の作品である『續 姿三四郎』は監督本人が自ら望んで撮った作品ではなく、会社の要請にしたがって作られた映画です。使えるフィルムの量にまで制限があったとされる戦争当時の映画界においては、映画を撮れるだけでも幸運でした。

 乗り気でなかったものほど、その作家のセンスが反対に浮かび上がるものです。好きなことだけやっていられる映画作家は当時も現在もほとんど皆無でしょう。いわゆるプログラム・ピクチャーのような作品で、自分の個性をどう出せるのか。今回の黒澤監督に課された試練は、この一点でした。

 若かった黒澤監督にとっては、新たな挑戦にはなりえなかった「続編」映画への嫌悪感と、とりあえずは映画製作が出来るという一応の喜びが混ざり合ったような複雑な感情が、作品から伺えます。

 そして出来上がってきた作品は、デビュー作品の展開をすっかりそのまま、まるで鏡を見るように焼き直された、もう一つの『姿三四郎』でした。反抗と工夫が同時に画面に現れている作品です。類似点を以下に示していきます。

「姿」 冒頭の闇討ちシーンで、暴漢が川に投げ込まれる。

「續」 白人水夫が川に投げ込まれる。

「姿」 柔道対相撲・柔術異種格闘技戦

「續」 柔道対ボクシング・空手の異種格闘技戦

「姿」 時間の経過と人間の成長を示す「下駄」のモンタージュ

「續」 時間の経過と人間の成長を示す「左文字くん」のモンタージュ

「姿」 志村喬さんという好敵手との友情と彼の死。

「續」 月形龍之介さん(檜垣源之助)という好敵手との友情と彼の病状の悪化。

「姿」 草原でのクライマックスと暴風。 「續」 雪原でのクライマックスと暴風。 「姿」 草原で倒された源之助の落ちていく方向。 「續」 雪原で倒された鉄心の落ちていく方向。

「姿」 死にかけた時の「蓮」のイメージと微笑み。

「續」 殺されかけた時の寝言と微笑み。

 見事なまでに同じ事がシチュエーションを微妙に変えて、焼き直されて提示されています。これは遊び心なのか、単なる手抜きなのか。それとも会社への反抗心か。おそらく全てが少しずつ、出てきているのでしょう。

 ただ全く同じというわけではなく、主役を務める三四郎(藤田進さん)の精神面での成長が素晴らしく、自分の求道のためという小さなものだけではなく、他人や後輩、そして敵にすら見せる憐憫の情など周りが見える大人の男として描かれています。

 演技者の中で最も印象に残ったのは河野秋武さんの演じた檜垣源三郎でした。異様なまでに長い髪と能面のような表情、多くの出版物でも言及されている「狂い笹」の不気味さ。ホラー映画真っ青の面持ちで、スチール写真を見ていると心霊写真のような恐ろしさでした。

 黒澤監督作品の中で、これに匹敵する異形のキャラクターは『どですかでん』の芥川比呂志さん、『夢』の頭師佳孝さんまで出てきません。ただ残念だったのは、これほど異形を見せたにもかかわらず三四郎と源三郎の戦いが見られなかったことでした。ヒッチコック監督的にいうと彼はマクガフィンか。

 一人二役を演じた月形さんの演技の演じ分けが素晴らしく、弱っていく源之助が、かつての恋人の視界から、現在の自分を恥じるように身を隠すシーンは特に印象に残っています。素晴らしい脇役に支えられた作品はそれだけでもレベルが上がります。

 そして忘れてならないのは当時のスタッフの方々の工夫と苦労です。あの当時の交通事情が劣悪な中で、あのような雪原で撮影するには相当肉体的にも精神的にも苦しまれたことと思います。

 出来るだけ監督の意図に沿うように苦労をされた方々の映画への情熱には脱帽です。焼き直しに過ぎない新鮮味の無い脚本ですが、作られた映像にはしっかりと監督の個性は出ています。

 モチベーションを保つのが難しい企画であったとしても、出来るだけ素晴らしい作品にしようという意図は伝わるはずです。写真としての黒澤監督のらしさは存分に見られます。

 しかし、どう欲目に見ても『姿三四郎』を超えているとは思えません。『續~』だけを見たのならば、十分に楽しめるのですが、二作品を通してみると粗さが目立ちます。 総合評価65点 

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