良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『アメリカン・バイオレンス』(1981)実際に起こった殺人事件の記録フィルムの連続。衝撃的でした。

 この映画をはじめて見た時の衝撃は半端ではなく、アメリカ社会の恐ろしさに身震いしそうになりました。銃がそばにあって、だれでも簡単に人を殺す環境が整っている国が存在するというのは1980年代に入ったばかりの平和ボケ真っ盛りの日本では想像できなかったのです。アメリカ殺人鬼列伝といえるこの内容が、よくも地上波のゴールデンタイムで放送されていたものだと思うと、さらに驚きます。  最初に見たのはたしか高島忠夫が司会を務めていて、毎週土曜日の夜9時からやっていたゴールデン洋画劇場でした。この番組は毎週楽しみで、日常である学校生活が土曜の午前中とともに終わり、土日という非日常へ転換するスイッチのような役割をしていました。日曜6時半のサザエさんが日常である月曜へのスイッチだとしたら、ゴールデン洋画劇場はその逆でした。  番組のスポンサーをしていたのは資生堂やマクセルで、カセットテープのCMでザ・モッズが「XLーⅠ」を、ジョージ・マイケルがワム時代に「XL-Ⅱ」をやっていたのを思い出します。資生堂では当時の丘サーファーに人気だったタクティクスやコロン「インウイ」の不思議なCMなどを覚えています。  しかしながらこの週に放送された『アメリカン・バイオレンス』に限ってはそのようなのんびりした気分になれるような作品ではなかったのです。あまりにも衝撃的なシーンやインタビューが延々と続いていきました。しばらく食欲が失せた思い出もあります。    現在この映画のソフトはDVD化されておらず、過去に販売されたVHSのビデオソフトのみとなっております。全編通じて、かなり残虐シーンが数多いため、そしてジョン・レノンモハメド・アリなどの肖像権にうるさい有名人も登場するので、おそらくDVD化は難しいと思われます。
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 ジョン・レノンマーク・チャップマンによる凶弾に倒れますが、その前に『平和を我等に』を演奏するシーンが収録されていて、エンディング前にはニューヨークでのライヴ・ヴァージョンの『イマジン』が追悼集会でのBGMに流され、『イフ・アイ・フェル』を歌うファンの様子も収録されている。  ちなみにTV放送時にはジョンがラストのMCで観客に叫ぶ「God Bless You!」につまらないナレーションをつけて「神のご加護を!」とにやけたような声にされてしまっていた。このTV放送版はネットで出回っているようです。映画版にはエンディングとして『イット・ワズ・ソー・グラッド・トゥ・シー・ユー・ジョン』というジョンに捧げるナンバーが収録されています。
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 この映画『アメリカン・バイオレンス』はドキュメンタリー映画で、その名の通り、アメリカで日常茶飯事のように普通に起こった強盗事件や一家皆殺し事件についてさらっと語った後に、1980年に起こったレーガン大統領暗殺未遂事件の一連のフィルムを流し、この死のドキュメンタリーは始まっていく。  ブレイディー報道官の頭部への銃撃(彼はこのときの後遺症で、車椅子生活を余儀なくされる。)、レーガン大統領の左肺を貫通させた銃撃などを映したあと、捕らえられた犯人であるジョン・ヒンクリーJrがこの事件を起こす前に、彼が熱狂的ファンだった女優ジョディ・フォスターへ送った手紙の内容が伝えられる。その文面は「無視し続ければいいさ!今に俺が誰か分かるさ!」だったという。  アメリカでのこういった状況、よく言われる「病めるアメリカ」へ転換させるきっかけとなったと思われる、ジョン・F・ケネディ暗殺事件とすぐに続けて起こるオズワルト暗殺事件を語った後に自由の国と言われていたアメリカの暗部を抉り出していく。銃器の所持とそれが引き起こす、さまざまな異常犯罪を取材フィルムを使って、淡々と語っていく。  どれも眼を背けたくなるような映像で、今の放送コードではおそらく放送は不可能でしょう。生々しい現場フィルムや現場写真がインサートされるが、そのほとんどは流血の現場であり、それらが次々に見る者に提示されていく。死のモンタージュが延々と繰り返される。犯罪者各々にその残虐行為に至った理由があることを述べていくが、気味の悪いことに少なからざる犯罪にはその理由がない。
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 最近わが国でも、理由なく犯罪が起こり、何の落ち度もない一般市民が惨たらしい事件の犠牲者となっています。そういった犯罪にたいして我々は無防備ですが、銃を使用した事件が増えてきたとはいえ、内戦を西南戦争以来経験していないわが国では身近に武器もなく、戦争状態や暴力から遠ざかっており、まだまだ外国に比べれて多いとは言えません。  しかしながら、わが身を守るための銃の所持が認められているアメリカや内戦状態にある国々では、当然ながらそれが他者への攻撃となってしまうこと、そして銃器の使用が死へ直結することを意味します。わが国では豊臣秀吉時代に、寺社などを建立するために多くの金属が必要であるとの建前から刀狩りが実施されました。これは農民や浪人の武力を奪うことを目的としていましたが、効果はあったのではないでしょうか。  もし現在のアメリカで、カトリック教会やプロテスタント教会の修繕のためというお題目で、銃器狩りを行えば、どれほどの銃器が集まるであろうか。もしくは銃器所持を禁止する法案が通過した場合、国民は素直にそれに従うのだろうか。他者の権利を奪う自由は何人にも許されるべきではありません。  自由とは何をしても自分は許されるという意味ではなく、他者の自由を奪った瞬間に自分の自由を訴える権利がなくなるということを理解すべきでしょう。またそう教えるべきなのでしょう。自分は特別だといって、何をやっても許すようなバカ親には自由を語る権利などありません。  自由は義務とセットになっていることを教えねばなりません。それを教えるべきなのは学校でしたが、今ではその役割を担えるとは思えません。行き過ぎた権利、行き過ぎた気遣いという名の責任逃れはもうたくさんだと思っている人も増えているのではないでしょうか。  このドキュメンタリー映画を見ると、日頃気になっていたいろいろな矛盾を考えさせてくれます。多くの日本人は人間の死とは病気か、事故か、それとも老衰で迎えるものであると無条件に信じていると思われます。老後の心配や介護を話題にすることが多いマスコミや政治の影響もあり、その傾向も強まっていることでしょう。  生きることへの緊張、生命を保つための緊張がなく、いわば野性の感覚が欠如してしまっている日本の現状では他者の攻撃によって、簡単に生命を奪われる可能性の多いアメリカの状態を理解するのは難しいのでしょう。平時でもそういう状況を理解している米国の軍隊だからこそ、世界の警察の地位を守り続けて来れたのかもしれません。もちろん、やっているアメリカ式の治安維持方法への不満はありますが、ではその役割をいったい他のどの国が出来たというのであろうか。
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 難しい問題を多く孕んでいますので、簡単に答えは出ませんが、言うだけでは何も解決できないのも事実です。理想と現実は違うことを認め、浮世離れした空気空論から脱却し、何をすべきかを考え、実践していく必要性がこの国には迫っているのではないでしょうか。  人間の命は一つであり、ゲームのようにリセットできません。いとも簡単に人殺しをしてしまう者が増えてきましたが、その原因は何であろうか。この映画には多くの殺人鬼や凶悪犯罪者、猟奇殺人魔が登場します。むかしこれを見たときは「アメリカって、とんでもないヤツらがいるんだなあ…。」と思っていましたが、いまではわが国もとうとう、こういう犯罪の宝庫になってしまいました。  やれ、教育が悪い、政治が乱れているからだ、ネットが悪いだとかなんでも自分以外のものに責任を転化してしまいがちではありますが、本当にそうでしょうか。まずは人間は人前では善だが、人目がなくなると悪に転ぶ可能性もあるのだという認識に立った上で、法を整備しなおす必要があります。  興味本位で取り上げるだけのマスコミは決して正義ではないことも理解せねばなりません。自社がらみの事件や誤報騒ぎが起こったときや業界内で不祥事が起こったときにはさらっと「お詫び」をするだけで、すべてを無かったことにしてしまうマスコミに疑問を持ったことはないでしょうか。  他の業界の不祥事が起こった際にはコメンテーターが「あいつは辞めるべきだ!」とか平気で言うくせに、なぜ某球団のオーナーで、某新聞社のエライさんには「政治のことにちょっかい出すな!ジジイ!」って言えないのであろうか。なんだか正義の使者の鎧を纏い、毎日偉そうなことを言うくせに、ちゃんと相手を選んで批判しているのがマスコミの正体であり、騙されないようにしたい。
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 いつものごとく脱線しましたが、この映画には殺人とその動機が羅列されていく。ここにはアメリカの1960年代から1970年代にかけて起きた事件とその概要と時代背景が示されていますが、恐ろしいのはほとんどすべての犯罪がそれに類似する形で、わが国の1990年代から現在までにかけて実際に起こっている点です。  1960年代当時、この映画に取り上げられているような犯罪者はオリジナルで物珍しさもありました。公開当時はドキュメンタリーとしてよりも、見せ物映画という色彩も強かったようです。「3分間にいちど、殺人未遂が起こり、20分にいちど、殺人事件が起こる」というキャッチ・フレーズはまさにモンド映画に相応しい。  この映画に出てこない殺人鬼はテキサス・チェーンソー大虐殺事件で一躍有名になったレザーフェイスくらいでしょうか。この事件の犯人であるエド・ゲインはトビー・フーバー監督の出世作悪魔のいけにえ』のモデルになった異常殺人犯ですが、彼は墓場荒らしをして人骨や人の皮、そして人体を採集して家具や衣服を作るのがほとんどで、実際の殺人事件は2件のみなので、今回の大量殺人鬼が大挙して出てくるこの映画には出てこなかったのであろう。  『グレート・ハンティング』『カタストロフ』『世界残酷物語』など多数の最悪映画がありましたが、これらはあくまでも他人事という視点を持って、見ていたのが普通でしょう。今とは比べものにならない少ない情報量のなかで生きていた時代と、インターネットでなんでもリアルタイムで検索できる現在ではここが圧倒的に違います。  しかも怖いのはこれで調べたことを「知っている」としてしまい、疑似体験したような気持ちになり、勘違いしてしまう点にあります。ネットは便利かもしれないが、すべてが現実ではないのです。またその情報を判断するのは自分自身でもあります。未成年でどれが本当の情報で、どれがデマかを見分けるのは不可能でしょう。大人でも簡単に2ちゃんなどで騙されるのに、子どもにその判断を委ねるのは危険です。  ここに登場する殺人鬼たちはまさしく異常ですが、彼らへのインタビューが数多く収録されている点は興味深い。おもな登場人物を列記していきます。まずはケネディ大統領の暗殺シーンを延々と繰り返し、犯人は1人ではないことを暗示した後に、彼への狙撃で逮捕されたオズワルトが暗殺される映像を流す。本当に何度も大統領の前方から来る銃撃を映し出す。オズワルトは後方に位置していましたので、前方からの弾丸という時点で複数犯であることを暗示する。
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 人種差別問題も大きな火種となっています。ケネディ暗殺、そして続いて起こるマーチン・ルーサー・キング牧師暗殺に沈む国民に再び希望を与えてくれたロバート・ケネディを殺害したサーハン・サーハンが登場し、ケネディを暗殺したことの後悔を語る。しかし催眠術にかかっていたのだという言い逃れとともに後悔を語られても誰も納得はしない。涙を流しながら、ケネディが生き返って欲しいと訴えるサーハンは不気味です。彼はパレスチナを解放するためにやったのだとも語っていたようです。
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 続いて登場するのは女優で映画監督であるロマン・ポランスキーの妻だったシャロン・テートを残虐に殺害させた狂信集団のリーダー、チャールズ・マンソンです。ビートルズの『ヘルター・スケルター』に触発されて犯行に及んだという彼もまた黒人への嫌悪を語り、自分が殺したのは鶏だけだと言い、人など殺していないとうそぶく。英語で鶏は臆病者という意味もあるので、ダブル・ミーニングなのでしょう。    チャールズ・ホイットマンが引き起こした、50人以上にも及ぶ時計台屋上からの無差別銃乱射殺人の映像も強烈でした。自分の母と妻を殺し、自分が死ぬ前のわずか一日でこれだけの大量殺人を行った例は稀有でしょう。日本での事件としては『八つ墓村』のモデルになった津山三十人殺しを思い出しました。  ホイットマンが元狙撃兵ということも悪い方向に進み、これだけの犠牲者を出してしまったのでしょう。この事件のあとに銃火器の使用を規制しようとする動きが出ましたが、それも未成年の通信販売での銃器購入を禁止するだけというザル法とも呼べないような代物しか出てきませんでした。  権利やらライフル協会の力はいったいどれほど大きなものなのでしょう。KKKの思想に抗議していた左翼の学生たちが棒で突いて来たという理由でKKKは発砲し、多くの死傷者を出しても彼らは身を守るためだったという馬鹿げた理由で無罪を勝ち取った。この国の権利とは強者が己の権利を守るときだけに作用するのだろう。  理由なき大量殺人事件も存在する。ブレンダ・スペンサーは16歳の誕生日に父親からライフルをもらい、月曜日の朝、家の前を登校していた小学生を手当たり次第に射撃し、校長と用務員を射殺した。理由を聞かれた彼女は「だって、月曜っておそろしく退屈なんだもん!」誰を狙ったのかという質問には「誰でも良かったの。赤と黒のジャケットの子が気に入ったから撃った。」と答えたという。
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 記憶に残っている大量殺人といえば、なんといっても人民寺院でのジム・ジョーンズ牧師を思い出す方も多いかもしれません。これなどはカルト教団の凶悪な犯罪のはしりでしょう。その凶行はわざわざ南米ガイアナまで視察に来た議員団のほとんどを空港で射殺するというショッキングなもので、さらに恐ろしいのはこのあとに寺院で生活する一般信者すべてに「うろたえるな!誇りを持って死ね!」と命令し、1000人近い人々に強圧的に集団自殺を迫り、 その後、自身も死を選ぶ。大量に無造作にあちこちに転がっている死体の山は恐ろしい映像です。  TV局を占拠して、言いたい放題行ったあとに自殺したジェームス・ホスキンスもやはり異常であると言えます。彼のインタビューが始まったときは何を言っているのだろうと思いましたが、しばらくして彼が右手を挙げたときに姿を見せたマシンガンがすべての状況を物語りました。これは局内のセキュリティー問題なども含めてさまざまな検証すべき事件でしょう。クーデターなどを起こした軍は必ずまずはマスメディアを抑えようとするわけですから、日頃から警察と一体となってセキュリティに取り組む必要があります。
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 ジョン・ゲイシーの行った殺人も気味が悪い。彼はピエロの格好で少年を連れ出し、強姦したあとに殺害した。それも30人以上で、33人目の殺人後に死体の置き場に困り、川に捨てたために事が露見したのです。性犯罪、しかも同性愛者のそれが多いというのもアメリカらしい。ピエロという仮面の笑顔を見せながらの凶行はまさに最悪です。
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 性犯罪がらみではローレンス・ヴィテカーの残忍な手口は忘れがたい。アイスピックやペンチ、そして針金を使い、女性を強姦し、拷問を楽しんだ後に殺害するという異常性は尋常ではない。しかもかれはその様子をテープに録音しながら行っていました。そのテープは裁判時に証拠として用いられましたが、そのあまりの残虐さに耐えられなかった陪審員や傍聴席の人々が泣きながら、そして嘔吐する様子も映されていました。  ウェイン・ヘンリーとディーン・コーランという二人組みの性犯罪も凄まじい。幼馴染の少年たちをディーンのところへ連れて行き、強姦させてから、拷問にかけて死に至らしめるという異常性は群を抜いている。数年間で何十人もの若い男たちを殺害した挙句、最後には二人で殺し合い、ウェインは逮捕される。  次に出てくるのは異常さと知性を兼ね合わせて持っている厄介なタイプの殺人鬼たちです。40人以上の女性を毒牙にかけたテッド・バンディの犯罪は異常さとずるがしこさを持っているので、犠牲者を量産しました。広大なアメリカの行く先々で人相を変え、指紋を一度も残さず、恐慌を繰り返していく。しかも彼は優秀なビジネスマンで、州知事の補佐までするほどの知性を持っていて、しかも妻子がいたのです。
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 捕まったあとも、その知性を活かし、自分自身で犯行の弁護に立つバンディはまさに史上最悪の犯罪者の異名に相応しい。彼の裁判では残虐行為がフィルムで示されていく。一度も指紋を残さなかったバンディでしたが、あるとき女性の乳房を噛み切り、腰に咬みついた歯型が彼のものと一致したために逮捕された。  生き残りの女性たちも出廷するが、彼女たちはある者は頭蓋骨を割られた後遺症で耳が聞こえなかったり、顎を砕かれたためにワイアーが入っている状態で彼の犯罪を告発していく。彼には死刑が言い渡され、電気椅子が用意されました。
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 さらに恐ろしいのはエド・ケンパーかもしれません。IQ136を持ち、206cmという巨体の彼もまた多くの女性を無慈悲に殺し続けますが、彼の知性はかなり高く、論理的です。インタビューに答える彼は淡々としていて、何故このような犯罪を実行せねばならなかったかを語っています。彼のインタビューは貴重であり、犯罪者心理を研究するには格好のサンプルになるのではないだろうか。殺した女性の頭部を切り取って、頭部と一緒に寝たり、胴体だけになった女性に死姦したりとやっていることは猟奇的で、吐き気を催すのが普通の感覚でしょう。  母親への憎しみが一連の犯罪行為に走った原因だと悟った彼は迷わず母親を殺害し、その頭部を切り取り、8時間もの間、頭部へ罵詈雑言を浴びせたという。まさに異常です。「犯罪に巻き込まれたいヤツには必ず犠牲者になるチャンスがある。」とうそぶく彼は死刑とはならずに今も刑務所で服役しているそうです。  彼が語っていた言葉に「最初は自分の物を壊し、次は他人の物を壊す。そのつぎは昆虫を殺し、小動物を殺していく。そしてついには人間を殺すようになる。」という興味深いものがあります。彼は警察の捜査にも協力していて、犯罪者検挙にも役立っているようです。まさにレクター教授のようではないか。チャールズ・マンソンもまた服役していて、死刑にはなっていない。  長々と陰惨な事件を引き起こした凶悪な犯罪者の所業を列記しましたが、好奇心だけで見るのではなく、このような悲惨な犯罪を防ぐための研究や行動把握、そしてこのような者たちからわが身や家族の安全を守り、犯罪に巻き込まれないためのサインを受け取るべきなのでしょう。 総合評価 85点
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