良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『罪の天使たち』(1943)ロベール・ブレッソンの長編デビュー作品。巨大な才能の片鱗がすでに。

 フランス映画、なかでもロベール・ブレッソン監督作品をどれか一本でも観た人であれば、彼の作品群の根底にある映画芸術を、というよりは人間の存在自体を突き放したような厳しさに触れたことでしょう。そもそも人間は罪深い存在なのであるというところから出発しているように見える彼の作品群はコマーシャリズムやセンセーショナリズムなどのハリウッドでは必要不可欠とされるさまざまな要素を究極まで削ぎ落としている。  巨大な岩石から等身大ほどの彫刻を切り出すような繊細ではあるが、激しくも厳しい決意に満ちた映画群を発表してきたのがロベール・ブレッソンその人であったのではないだろうか。甘ったるい表現で満ちている現在の映画しか観ていない方には厳しすぎる彼の作品は一般受けすることは今後も無いでしょう。
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 しかしシネフィルであるならば、彼の映画作家としての覚悟に接していると感動を覚えるに違いない。ここでいう感動とは安っぽいハリウッドや邦画のそれとは正反対に位置する深い感動である。究極の映画を作り上げようとする映画作家ロベール・ブレッソンの芸術への厳しい姿勢への感動である。  では彼はいったい、いつからこうした孤高の制作姿勢と厳しい言葉を吐き出すようになったのだろうか。この長編デビュー作品『罪の天使たち』には荒削りながらも、後年の彼の作品にも共通する独特の映像美を見ることが出来る。もちろんあくまでも駆け出しの作品ですので、すべての主導権を持っているわけではありませんし、彼自身も確固たるスタイルを最初から持っていたわけではありません。  しかしすべての映画監督の処女作品には彼自身の映像へのこだわりの一番絞りというか、もっとも表現したかったものの片鱗がほとばしる。素直に出てきた映像のエッセンスを見るには最初の作品こそが相応しい。ほとんどの監督はようやくにして自身の思いを発表する最初の機会には格別の思いがあるであろうし、暖め続けたアイデアを世間にアピールするチャンスとなる。
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 ブレッソン自身も後には「シネマトグラフ」と彼が定義した本来の形に映画を戻すという孤高の運動を続けながら作品を世に送り出していきました。しかし彼の死後には誰も後継者と呼べる人材は現れてはいません。シネマトグラフという運動によって、映画を演劇から取り戻すという覚悟が彼にはありましたが、その運動を引き継ぐものは皆無である。演劇に取り込まれていったほうが一般人に理解されやすいし、商売になりやすいからでしょう。  彼がもともとは熱烈なハリウッド映画ファンであったのはこの長編デビュー作品にも表れているように思う。この映画での夜のシーンなどにはフィルム・ノワールを髣髴とさせる映像表現が随所に見られます。美しく撮られた訳ありの女性たち、彼女を追いかける闇の世界の住人を見れば、納得していただけるでしょう。
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 宗教的な慣習への嫌悪もすでに描かれていますし、そこかしこに映像への厳しさが見て取れる。巨匠ではなく、駆け出しの監督なのに、すでに画面に緊張が漲っている。俳優陣が張り詰めて演じているのが分かる。ブレッソンは徐々に主導権を得た後はプロの俳優を全く使わず、モデルと彼が定義する素人を連れてきて、彼らを使って作品を撮っていきました。  それら作品のすべてを集めても、全部で13作品に過ぎません(最初の中篇映画である『公共の問題』はその出来が気に入らなかった、彼自身の手によって回収されて、のちに廃棄されました。よってカウントしていません。)。50年以上の監督キャリアの中での13作品は決して多いとはいえませんが、残した作品群が持つ圧倒的な強さに触れて欲しい。厳しさばかりがクロースアップされる彼の作品では在りますが、それだけではありません。人間への絶望感とは人間への期待の裏返しではないでしょうか。
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 ハリウッド映画はよく観る人でも、フランス映画やイタリア映画などというヨーロッパ映画となると、途端に苦手意識を持たれる方も多いかとは思いますが、より深い感情や意志を描いているのは間違いなくヨーロッパ映画であろうと確信しております。触れられたくはないところをつかまえられることも多く、敬遠したいときもありますが、ありもしないような展開やエンディングばかりのハリウッドとは一味違う苦味のある映画を観る方が人間性に深みが出るのではないでしょうか。  疑似体験という意味においてはヨーロッパ映画や昔の邦画はより身近な感覚を持たせてくれます。作り物に特化していくハリウッドにも良さはありますが、いつまでもそれでは成長が期待できません。人間としてということではなく、映画の鑑賞眼を身につけていくためにも、ゆったりとしたリズム、つまり本来の人間が持つ時間感覚をまだ持っているヨーロッパ映画をもっと観る必要があると思います。
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 たしかに派手な映画の方が時間が立つのも早いし、話題にもしやすいでしょう。しかしそれは一過性のものであり、すぐに忘れてしまう。しかし欧州映画には独特のくせになる要素がたくさんあるように思う。そのひとつが作家性であり、監督個々に持っているこだわりの違いであろう。  商業ありきのハリウッドとは違い、古き良き時代の名残がまだヨーロッパ映画にはあり、ただ街頭を映しているだけでも、重厚感や歴史の重みを感じさせてくれる映像に出くわすことが出来るのが欧州なのです。もたもたした感じに思えるでしょうが、人間の生活とはもたもたしていて当たり前ではないでしょうか。
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 テンポよく進むのも映画でしょうが、分かっていてもゆったりと進めるのも映画です。どっちが正解というのではなく、製作者の意図があればそれで良いのです。常に速い映画を求めていては疲れてしまうし、常にノロノロでも困る。色々と毛色の違った映画を楽しむ方がより深く映画を楽しめるのではないでしょうか。 総合評価 78点
ロベール・ブレッソン研究―シネマの否定
水声社
浅沼 圭司

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