良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『沈まぬ太陽』(2009)重いテーマ、骨太な演技、恥部を抉る脚本、上映時間3時間半。

 山崎豊子の小説は映画化されるものが多く、川島雄三監督の『暖簾』から始まり、山本薩夫監督の『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』と社会派作品を世に送り出し、そのすべてが高い評価を得ました。そうした彼女の数多い原作の中でも映画化が困難といわれていたものに、今回ようやく映画化された『沈まぬ太陽』がありました。  

 

 監督は若松節郎で織田裕二が主演していた『ホワイトアウト』を撮った人です。長い作品を観客に観てもらうにはオーソドックスな撮り方に徹し、無駄なテクニックなどを使用しなかったことは大きく評価して良いでしょう。ドラマ出身の監督はどうしてもテレビ的な説明的台詞や無駄なカット割りが多いのですが、彼はそうしていません。

 

 三時間を越える作品なので、観客に余計な疲労を与えないように細心の注意を払っているのがよく分かります。もともと三時間を越えることもあり、観客の回転率が悪いのは分かっているのに、10分の休憩時間を取っているのも観客への思いやりでしょうし、山崎豊子や製作サイドの覚悟がうかがえたような気がしました。

 

 一応はフィクションの枠組みをつけているため、国民航空という架空の会社名を使ってはいるが、すぐに取り扱う問題が日航機の墜落事故と日航社内の腐敗であることを理解する。まだ真相が完全に解っているわけではない航空機事故の原因や時間経過が十分ではない状況で、しかも航空機のPRには決してならないこの映画に各航空会社が協力するとは思えない。

 

 この作品が映画化されるまでは死ねないと言っていた彼女にとっては今回は念願の映画化となりました。彼女のみがこの作品の映画化にこだわっていただけではなく、主演俳優を務めた渡辺謙もまた並々ならぬ熱意を持ってこの役に身を投じました。彼は90年代に『白い巨塔』の映画化の際に財前役を打診されたそうですが、彼女の作品の読者でもあった彼は自分がまだ財前を演じるだけの年齢に達していないことを理由に泣く泣く断ったそうです。

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 その後、山崎豊子宛に手紙を送り、もし『沈まぬ太陽』を映画化されるときには自分を使って欲しいという趣旨のことを手紙に書いたそうです。こういったエピソードもあり、大作を無事に演じ終えた安堵もあったからでしょうか、公開初日の舞台挨拶のときに感極まって泣き崩れるという一幕もあり、それがワイドショーなどで放送されていたのは記憶に新しい。

 

 それほど魂を込めて作られた映画とはどのようなものであったのか。その理由を知りたくなった僕は今日の初回上映の券を求め、9時過ぎに劇場の前に並びました。100人くらい収容するそのスクリーンには60人ほどが集まっていたようです。内訳は60代以上が圧倒的に多くて、7割方はその年齢層が上映を待っていました。

 

 残りの客層は30代から40代が2割ほど、若い人は10人にも満たない数でしたので、おそらく彼らは山崎豊子の原作ファンなのでしょう。こういった類の読者層がもっと増えていけば、日本文学のファンの質も上がっていくのでしょうが、残念ながらこういう真面目な層は減る一方のようです。

 

 若いうちから古典や文学に触れていないと下手をすると一生文学を読まないまま大人になってしまい、社会に出て行くことになる。人間の奥深さや心理などを学ぶ格好の教材となるはずの古典を素通りしてしまうのはあまりにもリスキーで、薄っぺらい人間となってしまうのではないだろうか。

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 もっとも文学への入り口となるべき、現代小説や文学があまり機能していない、もしくは魅力がないからこそわざわざ小説を買ってまでして読まないのであるから、どっちもどっちだと言えないこともない。ただし小説を全く読まない層は残念ながら映画を観ても受け取れる情報量がかなり限定されたものになるのではないだろうか。

 

 映画と原作の問題でよく出てくるのが小説は心情などを表していて詳しいが、映画は薄っぺらいという間抜けな言葉である。小説はディティールを掘り下げていく芸術であり、映画は映像で心情を語る芸術であることがまず分かっていない。そもそも実際の生活は映画的なのである。ほとんどだれも本音を語らないのが現実であり、小説のような神の視点を持って、つまりすべての登場人物の心情や行動を予期しながら自分の行動を決定することなど出来ない。

 

 映画ではそれを映像で語ろうとする。ひとつの動作や表情、言葉の抑揚から彼の本音を探らなければならないのである。それを小説とは違い、分かりにくいとか薄っぺらいというのは分かっているようでまったく分かっていない証拠になる。実生活で誰が小説のようにすべてを曝け出して歩いているというのだろうか。いつまでも不毛な原作ファン対映画ファンの戦いを繰り返すのは時間の無駄であろうし、進歩がない。

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 印象に残ったシーンを見て行きますと、まずは渡辺の母親役で出ていた草笛光子の葬儀のシーン。彼女の霊前には会社から届いた綺麗で大きな花がたくさん届く。その中には三浦友和や会社の花が混じっている。しかしそれは形式的なだけで華やかだが美しくない。

 

 親の死に目にも会えずにやっと海外の僻地からやってきた渡辺には照明が全く当たっておらず、真っ黒な影法師のように写っているが、彼が一番悲しんでいる。そのコントラストは鮮明で、深い悲しみがよく出ているカットでした。美辞麗句(豪華な花)で飾っても、心の叫びには叶わない。

 

 あちこちに飛ばされる渡辺は異国情緒とはかけ離れているアジアやアフリカの不潔と猛暑で苦闘する。ハエが食器に集るパキスタンのレストランのシーンはとても印象的でした。東南アジアやアフリカに行ったことのある方であれば、理解してもらえると思いますが、あちらのほうではハエが集るというのは悪いことではない。むしろハエも集らないような料理は旨くはないという考え方もあるのです。

 

 そういった食文化になじんだ渡辺はタフになってきている。それに対し、先進国の綺麗な場所しか知らない西村雅彦は嫌悪感を抱き、寄り付きたくもない様子であった。彼は清潔で閉鎖的な日本の会社内でしか生活できない飼いならされた存在でしかない。

 

 渡辺はもともとの資質もあったであろうが、会社の保護の傘からはみ出した彼は徐々に野生の人間として鍛えられていく。ライオンがその資質を取り戻すように、意志が鋼のように鍛えられていく。

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 もちろん彼も全面的な勝利者ではなく、彼の家族は彼以上の逆境に追い込まれていく。教育問題、結婚問題、就職問題とさまざまな障害が家族に降りかかっていく。長いものには巻かれろというのが日本での生活を送る上では大切になるが、それから自由になろうとすれば、周りはすべてが敵に回る。犯罪者でもなく、ただ労組のリーダーだったというだけで共産党呼ばわりされて孤立していく。

 

 会社からだけではなく、家族も彼に付いていけなくなってくる。僻地の空港での豪雨のなかの離別シーンで鈴木京香をはじめとする家族は誰も振り返ることなく彼から離れていく。家族の断絶を映像で語る。雨によるコミュニケーションの妨害と閉ざされるシャッターによる妨害が重なるが、もっとも閉ざされているのは彼らの心であり、この溝は深まる一方になっていく。子どもたちが成人し、自分たちが仕事をやりだすまでこの溝は埋まらない。

 

 溝が埋まっていくのは吉野家での息子との食事シーンなどに表れている。娘もまた理解しつつあり、就職や結婚時に苦労をしたが、それを渡辺のせいにしなかったことを匂わせる。

 

 渡辺は僻地勤務からの帰国後、当然のように閑職に押し込まれていたが、御巣鷹山に墜ちた航空機の補償問題で誰もやりたくない家族との折衝をする部署に命じられ、嫌な思いをしながら黙々と仕事をこなしていく。しかし日本でぬくぬくと暮らしていた他の社員とは違い、野性の感覚を取り戻した彼は一個の人間として誠心誠意家族と話し合ってゆく。

 

 彼はそこで一瞬で死んでしまう恐怖と苦しみを知り、それにたいして自分が受けてきた屈辱と十年以上も続く生き地獄を比べ、自分は生きているのだから恵まれているのだと気がつく。プライドは大切だが、死んでしまった人には未来がなく、亡くなった日が永遠と続く。

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 残された家族は死んだ者を忘れることなく会社を恨み続ける。しかしそれは大事故を引き起こしたにもかかわらず、あいも変わらず自己保身と利権をあさり続ける政治家や会社のお偉方に向けられる。政財官、そしてマスコミのすべてが腐敗し、浅ましいまでの出世欲と自己保身の世界が映し出され、腐敗を抉りに抉る。

 

 航空会社、明らかに日航を連想させるが、現在も何も変わっていないのではないだろうか。国民の血税を使い、何故に浅ましく、無能な日航社員の年金支払いなどという馬鹿げた資金に使われなければならないのか。大きな企業には何かあると免税されたり、借金がチャラになったりと良いことずくめだが、一般人がそういった苦境に立ったときには国は何一つ助けに入らない。

 

 国から税金をもらい、しかも企業には貸し剥がしを強要するような輩は銀行だけで十分だ。ナショナル・フラッグだなどとボケたことを言う前に、数十年にさかのぼり、諸悪の根源を誅し、歴代の役員及び無定見の労組を糾弾し、処罰してからにすべきではないだろうか。

 

 映画の見せ方に多くの工夫のある映画でした。年月の経過を示すのに字幕を使うという方法が序盤取られるが、カレンダーのページを使って1973年をさり気なく見せる。洒落た見せ方でニヤリとしました。飛行機も60年代当初では小さめの飛行機が使われているのが、80年代に入ってくるとジャンボ・ジェットが大空を飛び交っているのも、字幕や台詞に頼らない見せ方の一つであろう。

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 木村多江の自宅にある、夫の遺品であるビートルズ東芝EMIのイギリスの国旗に4人の似顔絵がハーフ・シャドウで印刷されている帯つきの『イエローサブマリン』のレコードを見たときもなんだか嬉しく思いました。事故死した者にも家族はいて、劇中の木村の台詞に「人殺しの国民航空(日航のことでしょう。)は230人も未亡人にしたのよ!」と叫ぶ。

 

 航空機事故を題材に取るこの映画では航空会社の協力を得るのは難しかったろうと推測します。80年代の雰囲気を持っている空港や機体がないという理由で、タイやパキスタンの空港が撮影に用いられたようですが、おそらくは日航全日空が協力してくれなかったことも理由のひとつではないだろうか。

 

 彼らにとってはこの人災は触れられたくない、隠したい案件であるし、未だに真相が明らかにされていない暗部でもある。それを20年以上も経って再び抉られるのは嫌なことなのかもしれません。しかしぼくらは飛行機を利用しなければならないわけで、すべてを明らかにして欲しいものです。

 

 物語の本筋とは関係ないのでしょうが、意地を曲げない不屈の渡辺は各所でライオンに出会う。アフリカのケニアで自由に暮らすライオン。これは自分の野生というか真の国際人として覚醒し、どこでも暮らせるようになった渡辺であろうか。動物園で飼い慣らされていて本質を見失っているライオン。これは三浦友和であろうか。ホテルのブロンズのライオンは硬直化してもはや身動きも取れない。それは我利我利亡者となった西村雅彦の暗喩だろうか。この映画では勝利者はない。

 

 主人公である渡辺の敵に回る三浦の生き方は一見すると好対照に映る。多くの50歳以上の人がカッコいいなあと思うのは渡辺だろうが、それも若い頃までだろう。端で見ている分には格好良いと思える渡辺ではあるが、本人の意地だけで家族を犠牲にする生き方は現在の考え方には合わない。観る人の年齢によって、渡辺の生き方へのとらえ方はまるで違ってくるのがこの映画ではないでしょうか。

 

 また出世がすべてとなった三浦も家族を犠牲にして働き続けたために、彼の家庭は崩壊してしまう。愛人となる松雪泰子との絡みは痛々しい。彼女の前だけ、苛立つ腹の内を見せる彼は出世と引き換えに、信頼できる者をすべて失ってしまう。

 

 最後の社内の階段での離別のシーンは会社内での立場を表しているようで興味深い。このシーンのあと、三浦は会社を出たところを特捜部に囲まれる。囲まれた彼は最後に自社の看板を寂しそうに見上げる。ついさっき、自分は西村を失脚させる動議に加担し、渡辺を僻地に飛ばす辞令を下したばかりであった。

 

 それもこれも社内でのし上がるためのことである。会社内のルールのみで生きてきた彼は一歩会社から出ると社会のルールで裁かれる。なんとも皮肉なシーンであるが、これがあるからこそ、彼もまた彼なりのやり方で会社に尽くしていたということが解る。

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 そのほか俳優で印象に残ったのは品川徹加藤剛の側近役)、石坂浩二香川照之木村多江、西村雅彦らでした。木村多江はここ数年で伸びてきた女優ですが、存在感は女優陣では鈴木京香とともに目立っていました。また出演時間は少ないながらも、いかにも悪そうな側近役を静かに演じていた品川も観終わった後でもはっきりと覚えている俳優でした。

 

 香川照之も最近の邦画には欠かせない人で、先週は『カイジ』でも彼を劇場で観ましたし、今回も重要な役の一人で出演していました。三浦への長年の恨みを晴らすために、利用されるように見せかけながら、徐々に証拠を押さえていき、最後に一気に勝負をかける彼の演技は重要でした。

 

 労働争議でがんばっていた渡辺、三浦、香川のうち、最も目立たない役割になっていた彼が会社の根幹を揺るがす爆弾を仕掛けたのは意外でしたが、重層的に物語を語る上で、彼は必要でした。

 

 上映時間は久しぶりの3時間半で、観る前は気合を入れて行きましたが、いざ映画が始まると、あっという間に休憩時間の10分に入り、後半が始まると怒涛の展開のあとに、ケニアの国立公園の沈まぬ夕日を見上げながら映画は終わる。何も寄せつけない雄大な太陽のもとで、無数の生命が営みを続けていく。この太陽が意味するのは何か。汲々と生きている人間たちへの皮肉か、それとも国民航空の新生を願う心か。

 

 あまりにも美しい夕日を見ると思わず呆然としてしまう。映画で見てもこれほど美しかった太陽をケニアの空で実際に見たら、どれほどの感動があるのだろうか。

 

総合評価 86点

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