良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『スターウォーズ ジェダイの復讐』(1983)ついに完結。ラスト・シーンはオリジナルが一番!

 まず始めにおことわりをしておきますと、この映画のタイトルは『スターウォーズ ジェダイの復讐』であって、決して『スターウォーズ ジェダイの帰還』ではない。  なぜそうなってしまうかについて書いておくと、この映画は1983年に世界中で公開される直前までタイトル案が二転三転したらしく、なかにはエピソード3と同じく、“REVENGE OF THE JEDI”、つまり“ジェダイの復讐”があり、それがかなり有力だったそうで、ポスターなどの宣伝の締め切りがあったため、そのまま『ジェダイの復讐』が選択されたようです。  英語タイトルの通りであれば、最初から『ジェダイの帰還』でしょうし、内容も暗黒面に落ちたアナキンを彼の息子のルークが助け出す物語なので、まったく問題はないはずなのです。
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 しかしこれは世界中で大ヒットして、続編が作られた『スターウォーズ』のラストを飾る作品なのです。ただでさえ、この映画はオリジナルのラスト・シークエンスを度々改悪するなどの言語道断の所業を繰り返されましたが、懲りない男ジョージは(直接、指示したわけではないでしょうが。)ついにはタイトルにまでパルパティンのように魔の手を伸ばしてきました。  これはさすがに許せません。このまま行けば、ブルーレイ化されるであろう時にはヨーダアレック・ギネスの横にいるのは老けメイクを施したヘイデン・クリステンセンに違いない。改悪が相次ぐ『ジェダイの復讐』に関してはぼくはオリジナル版しか見ません。  以上長々と書いてきましたが、裏を返せば、それだけ思い入れが強いのが、スターウォーズ・シリーズなのだとも言えます。ジェダイ・マスターであるヨーダの死、ジャバ・ザ・ハットとのいざこざ、エンドアでの攻防戦、父親であるアナキン及び皇帝との最後の戦いなど最終エピソード(実際には9まである。)に相応しい内容でした。
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 思い出に残っているシーンとしてはエンドアでのパワー・ジェネレーター破壊工作とルーク対皇帝&アナキンの変則タッグ・マッチ、そして大団円のエンドアでの大宴会シーンがあります。  高速ランド・スピーダーに搭乗しての帝国軍との戦いは後のエピソード1でのポッド・レースに受け継がれているように感じました。このエンドア・シークエンスにはファンの中でも評価の分かれるイウォークが登場して、帝国軍退治に大活躍します。  ただ彼らのデザインが問題で、その姿はどうみても服を着たコアラにしか見えない。女の子たちの多くはイウォークが可愛いから好きだと答え、男たちのほぼすべては彼らが可愛いから大嫌いです。  まあ、何はともあれ、僕の十代前半から中盤にかけての思春期に大きく影響を与えてくれた映画であることは間違いない。お金が無かった中学生だった僕は一回しか劇場に見に行けませんでしたが、お金がない観客がその一回に懸ける集中力は凄まじく、オランダ戦でのディフェンス意識並みでした。
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 いま大人になってしまうと、劇場での映画鑑賞は普通の娯楽というか、どちらかというと、ゴルフなどに比べれば、安上がりな趣味となっているので、あの頃のようなすべてを見逃すまいという感覚はすでに失って久しい。スターウォーズというシリーズはその感覚を呼び覚ませてくれます。  内容的にはトリロジーの総決算であるだけではなく、全九部作の中でもハイライトとなる作品で、第一作目から出ていた登場人物の生き残りもすべて生涯を閉じるレクイエムでもあります。  アナキン・スカイウォーカー、パルパティン皇帝、ジャバ・ザ・ハット、そしてヨーダといった男たちのレクイエムでもある。ファンにとっては思い出の深い上記のキャラクターたちの死にゆく姿をとらえ続けた作品でした。
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 まずはエピソード4以外の全てに登場するヨーダもついに偉大なる生涯に終わりを告げる。何百年もの長い間に渡り、銀河の平和のためにジェダイを育て、ついでにその様子をスクリーンで見ている数多くのアメリカ人や日本人に神秘的な印象を残し、日頃、お釈迦様やキリスト様のようなお馴染みの神を信じられない人々にさえ好かれ続けました。  ヨーダは肉体を超越した理力の素晴らしさと行動に出さなくても、心に思うだけでもすでにその人は暗黒面に落ちているのだという厳しい教えを大自然に囲まれたダゴバで我々に説かれました。  ほとんどのバーチャル弟子(つまり我々観客ですね。)は感銘を受けたものの実践には至らず、日々を暗黒面の支配する世界で、自分たちも皇帝の手先となり、部下や家族に接している。  しかしマスター・ヨーダはスピリチュアルなヒーリングをファン・ボーイズに施してくれたのは間違いない。エピソード1から登場しているもうひとりの人気キャラクターであるタトゥイーンの大立者であるジャバ・ザ・ハットは砦にいれば暗殺を防げたかもしれなかったが、サルラックの穴での処刑を見物するために砂漠船に乗り、反乱軍のリーダーの一人であるレイアに隙を見せたために、騒乱の最中にまさかの女手によって絞め殺されてしまう。
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 見かけ倒しだったのでしょうか。見せ場もなく、物足りなくも感じるが、悪党の死にはこれ位が相応しいのかもしれません。さらに度々話題にしているボバ・フェットは予想通りにここでも醜態を晒し、最強戦士のクローンとしては最低ともいえる最期を遂げる。  クール宅急便でジャバ・ザ・ハットの城まで運ばれ、居間の飾りとなっていたハン・ソロはブーシ(変装したレイア)によってカーボナイト冷凍を溶かれ、まだよく目が見えていない状態ではあったが、まぐれ当たりによってバランスを崩し、砂漠船に激突した挙げ句、サルラックの穴に落ちる。まるでドリフのコントのようなボケっぷりではないか!カッコいいのになぜあんな無様なシーンばかりなのだろう。  まあ、実際にはその後、サルラックの穴から自力で抜け出すもののそれは小説でのエピソードであって、映画世界におけるボバ・フェットの死に様はこの映画の通りである。  パルパティンも寄る年波か、アナキンに裏切られたのがよほどショックだったのか、放り投げられただけで、呆気なく、その波乱の人生を終えました。バタバタと死んでいくのが物足りなくもありますが、4時間掛けられても困るので、そこは良しとしたい。
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 映画そのものの一番のクライマックスはアナキンとルークの二回目の闘いです。暗黒の新型デス・スター内部で、皇帝の御前試合のようにも見える二人の闘いは悲壮感が漂う。アナキンの赤とルークの緑のライト・セーヴァーがぶつかり合う閃光は彼らの人生の葛藤のようでもある。  経験で闘いの序盤から中盤にかけてを支配したアナキンであったが、妹レイアにまで手を掛けようとしたアナキンに対しての憎悪はルークの若さと一体となり、アナキンを圧倒し、ついに制圧しました。アナキンは憎悪により簡単に暗黒面に落ちましたが、ルークは落ちない。  このへんの描写がなんとも呆気なく、批判を浴びるシーンの一つになってしまってはいますが、この闘いは美しく、ジョン・ウィリアムスが付けた音楽の盛り上がりも最高潮でした。彼がジェダイ用に用意した音楽はどれもドラマチックで印象に残る。  エンドアでの大宴会シーンに付いたトルーパーの頭をポコポコ叩くところから始まる曲もコミカルで楽しい。スターウォーズ・シリーズでのジョン・ウィリアムスの貢献はかなり大きく、もし別の作曲家がサントラを手掛けていたら、どうなっていたのだろうかと想像したこともありましたが、代わりは思い浮かばない。
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 キャラクターやメカニックの造形のオリジナリティ、ハリソン・フォードをはじめとする俳優たちの魅力、アーサー王伝説をもとにした分かり易いストーリー、巧妙なマーケティングとタイアップ宣伝がベースになる商品展開の見事さ、そして作りたい映画を低予算の制約のなかで悪戦苦闘しながらも遂に成し遂げたジョージ・ルーカスの熱意によって出来上がり、膨張していったのが、スターウォーズ・シリーズだったのかもしれません。  たださすがに後続シリーズとなるであろうエピソード7からエピソード9の製作と公開は避けた方が無難であろう。軸になるキャラクターはルーク、ソロとレイア夫婦に出来た双子のジェイクとジェイナ(だったかな?)、そして彼らの弟として登場するアナキン(じいちゃんの名前を貰った三男坊)で、敵としては帝国軍の残党をまとめたスローン大提督しかいない。  まるで諸葛孔明亡きあとの『三国志演義』のような味気ないものになりそうなので、興味が湧きません。ストーリー展開もアナキンが祖父と同じように暗黒面に落ちてしまい、ルークおじさんが再びサルベージしにいくという内容とされ、新鮮味など何もない。この愚行だけはなんとしても思いとどまって欲しいものです。
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 しかし、何年経っても見たくなる作品は少ない中、ぼくはこのシリーズはいくつになっても大好きですし、今回もこの作品のオリジナル版を見るために、わざわざ押入れの中という暗黒面で探しまくり、大昔に買って、何度も見たVHSビデオを引っ張り出してきて、40型の薄型テレビに繋いであるビデオ・デッキで再生しました。  奇跡的に帯ノイズもほとんどなく、カビも目視する限りではテープに付着していなかったため、スムーズに楽しむことが出来ました。もちろん、このテープの映像はHDに保存し、すぐにDVD化しておきました。フォースを理力と訳すこのテープの映像はずっと我が家で生き続けます。  総合評価 88点