『野獣死すべし』(1980)監督はルチオ・フルチ。でもこれギャング映画です。
『野獣死すべし』というハードボイルドな邦題から作品のあれこれを思い描いてみるとおそらくは主演にハンフリー・ボガードが出てきそうな感じか、松田優作主演のバイオレンス描写が詰め込まれたアクション映画なのかなあと想像が膨らんできます。
ビデオテープの裏パッケージの解説を見るまでは、まさかこのギャング映画がイタリア残酷映画の巨匠、ルチオ・フルチ作品であるとは誰も思わないでしょう。
猥雑な化け物や血みどろホラーばかりを撮っているイメージのルチオ・フルチですが、じつはギャング物もフィルモグラフィに残っているのです。
またホラーのなかにも『マッキラー』のように異質な作品も残しています。フルチらしくなく(?)、ストーリー展開もそれほど破綻せずに、フルチ的には出来が良いのにミッキーマウスと並び、ディズニー・キャラクターでも大人気のアイコン的存在であるドナルドダックの首を落とす描写を入れたために問題となりました。
このシーンを含めて、かつてはビデオ化されていたものの、ディズニーにバレてしまったためか、いまだにDVD化されていない。
たまにヤフオクで流れてきていますので、興味のある方は落札してください。また驚きのラスト・シーンは長く記憶に残るでしょう。イメージ的にはカルト映画『江戸川乱歩全集 恐怖!畸形人間』の仰天のラストを思い出す感じです。
それはさておき、このギャング物というジャンル映画でもフルチらしい血みどろ描写はしっかり発揮されていて、数々の残虐シーンが存在します。女密売人の顔をバーナーで焼きつけて殺害したり、レイプシーンでは殴る蹴るだけではなく、肛門レイプシーンまで挿入されている。
『わらの犬』でスーザン・ジョージが二穴挿入されたシーンにも驚きましたが、かなり暴力的な描写の連続で、女性と一緒に見るには勇気が要ります。というか、別れたかったら、こういうのを選べばいいのでしょう。
残虐なイメージをあえて見せずにアングルや音、影の様子などでそういった場面を観客の想像に任せるヒッチコック的な撮り方がオーソドックスなやり方だったのが『ナイト・オブ・ザ・リヴィング・デッド』から火がついて、『ゾンビ』『死霊のはらわた』『13日の金曜日』を見たら分かるようにスプラッター描写はより直接的になりました。
見たら誰でも分かる見せ方が一般化してしまい、より残酷に、そして画面が臓物だらけにより汚ならしくなっていき、その傾向は今に至っています。
フルチのギャング映画はもしかすると自分がかつて映画館でファンとして楽しんできたフィルム・ノワールやジャンル映画としてのギャング物へのオマージュ、もしくはパロディを作り上げたかったのだろうか。
ボスたちが内部抗争で暗殺される様を一気に見せてくるが、これはゴッド・ファーザー・シリーズのクライマックスを容易に想像させる。禁酒法のパロディだと思える外国たばこ密輸(笑)に関わる裏社会の密輸組織のお話というのは真面目なのか、パロディなのか疑問に感じるが、そこらへんは力技で押し切ってきます。
ギャング映画では銃撃戦は付き物ですし、血みどろシーンも多いわけですが、通常こういうシーンではせいぜい血糊が使われる程度です。しかしさすがは血みどろの第一人者だけあって、えぐい描写が多い。
レイプシーンの描写もむごたらしく、犯した上に拷問してから半殺しという全く救いのない展開を観客に見せる。マフィアのやり口としては現実的なのでしょうけど、わざわざ映像化する必要性があるとは思えませんし、こういうのは現在の価値観では受け入れられないでしょう。
それでも、そこはジャーロの看板であるルチオ・フルチ。撃たれた犠牲者の死体描写や銃撃場面に執拗なまでにこだわって彼自身の個性や表現衝動を思い通りに発揮しています。
着弾した身体に大穴を開けてしまうわ、奥さんを監禁している証拠に彼女のパンティを亭主に送り付けるなど、リアルではあるが下品な映像表現をふんだんに盛り込んでしまいました。
ただやはり昔気質の映画監督らしく、主人公(ファビオ・テスティ)の兄弟が裏社会の抗争に巻き込まれて死亡した後の水葬シーンではナポリを牛耳るボスたちが一堂に会する様子を高地からのショットで説明的なセリフなしで見せきっています。
荒々しくシーンが変わっていく編集も雑なのではなく、それが狙いなのだろうなあと思えます。こういうギャング抗争の映画は粗暴な感じというか、少々散らかっている方が臨場感が出てきますので、リアルに見えてきます。舞台となったナポリの下町の雑踏のゴチャゴチャした雰囲気もこの映画の質を高めています。
またストーリー展開も主人公たちが復讐しようとしても、人質を奪還しようとしても、なかなか上手く行きません。それでも最後は町ぐるみで侵略的に縄張りを犯してきた一味を退治していくさまは痛快ではあります。
普通に暮らしているように見える町の隣人が実は裏社会の人間だったというのはイタリアではよくあるマフィアの設定ですが、ここでも有効利用されています。引退後はテレビで西部劇やギャング映画ばかりを暇つぶしに見ている、でっぷりと太ったかつての元締めがいざとなったら若手たちの抗争の終結に乗り出すと、10分もかからずに一気に事態を丸く解決してしまうさまはコミカルで、まさにゴッド・ファーザーのようでした。
現実的には悪の組織を相手に立ち上がったとしても、最後は悲惨な結末になるのは容易に想像がつきます。結末としてはまあまあ主人公にとっては悪くはない展開にはなりますが、犠牲はあまりにも大きい。
かつてのアメリカほど倫理規定にはうるさくなかったヨーロッパ、しかも見世物映画の宝庫だったイタリアだからこそのストーリーや描写なのでしょうか。
終始暗い画面とともに、何とも言えない、えぐみが嫌な余韻を残しますが、結果的には主人公と奥さんは地元の大ボスによって保護されていることが仄めかされていますので、一応はビター・テイストのハッピーエンドということなのでしょうか。
殺されそうになったファビオが追手からなんとか逃げ切って、仲間の家で目覚めた朝に出されるエスプレッソ・コーヒーがとても美味しそうに見える。カフェオレなどのように甘さはなく、あくまでもビターな男の飲物はコーヒー独特の苦みとローストされた芳香が広がりそうです。
主演のファビオ・テスティという俳優はとても存在感があり、寂しげなまなざしやクールな態度がこの作品では活かされています。彼はフルチ監督の『荒野の処刑』にも出演していたのでお気に入りだったはずですが、その後は起用されていません。
その後はなぜかフルチ監督にも呼ばれず、華々しい活躍はしなかったようですが、今でも俳優としてのキャリアは続いているようです。『ジュリエットからの手紙』という作品にも出ているようですので、TSUTAYAにあれば探してみようと思います。
総合評価 68点