良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『カリギュラ』(1980)製作費46億円!超A級スタッフを使ったハードコア歴史ポルノだなんて…

 学生時代の一時、塩野七生のローマ史関連の書籍にハマっていました。もっとも当時、興味があったのは中世の頃を描いた『海の都の物語』『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる残酷』『マキャベリ語録』などでした。  それらを読んでいると古代ローマのことも出てきますので、せめて雰囲気をイメージするために『ジュリアス・シーザー』『クオ・ヴァディス』『スパルタカス』『クレオパトラ』などの歴史大作映画をしょっちゅうビデオで見ていました。  そのなかには『300』の元ネタ『スパルタ総攻撃』や今回記事にした『カリギュラ』も含まれています。エロビデオ・コーナーじゃないし、ビデオテープの解説を読んでいると「こりゃ、ポルノなのかな?」「でも、マルコム・マクドウェルやピーター・オトゥールも出てるなあ。」とか自問自答してから、とりあえず借りてきました。
画像
 再生してみると、オープニング・テーマに採用された『ロミオとジュリエット 組曲 第2番 作品64b/モンターギュー家とキャピュレット家』が意味するのは悲劇でしょうから、暗殺されるカリギュラ(マルコム)と彼の姉(テレサ・アン・サヴォイ)をロミオとジュリエットに当てはめるだろうか。でも兄弟同士って、近親相姦だしなあ。  曲のイメージを分かりやすく説明すると、今ではソフトバンクのCMでカイ君が活躍しているバックにかかっているなんだか格調高いクラシックの曲と言った方が通りが良いのかもしれない。音楽だけ聴いていると文芸作品なのかなあと誤解させます。  最初から金髪美人のヌードや絡みがあったりしましたが、それほど描写がキツいとは思いませんでしたし、ハードコア・プレイを行っているのは名もない俳優で、有名な人たちは擬似プレイのみのようです。
画像
 セットの時代考証は正確なのかどうなのかは知りませんが、豪華絢爛で退廃的な雰囲気は作品ランクを高めています。しかし先帝暗殺前後、映画の前半途中から一気にハードコアや残酷見世物描写が増えてきます。  集団乱交場面や残虐拷問シーンがこれでもかと連発されてきます。広い室内セットのあちこちで性交を展開していますが、これを大画面で見た観客はさぞ驚いたことでしょう。  最近では『パヒューム ある人殺しの物語』のクライマックスでの大乱交シーンが公開時に話題になりましたが、時代は現在ではなく、30年以上も前の昭和なので、よりセンセーショナルな話題を提供したことでしょう。
画像
 中盤以降、後半はドアップでの性器結合シーンのオンパレードでかなりキツくなってきます。『ディープ・スロート』よりもエグい口技シーンもありますが、日本版はモザイクが入っています。それでも何をやっているのかはしっかりと判ります。  ホモ、レズ、乱交、SMのようなアブノーマルなプレイが延々と続きますが、はっきり言って段々ダレてきます。朝から元気な中高生ならばともかく、女の裸が別に珍しくもない年齢になると、むしろせっかく作った大掛かりなセットがもったいないなあとすら思う。  唐突に結合ドアップ映像を挟み込んでくるのが鬱陶しい。プロデューサー、というか山師ボブ・グッチョーネの趣味なんでしょうか、それともイタリア見世物映画の性なのでしょうか、あまりにも過剰なサービスは必要ない。
画像
 新婚初夜の新郎新婦の屋敷に皇帝が押し掛け、新郎新婦を両方とも犯して笑い転げるという悪趣味極まりないシーンは『ソドムの市』を思い出しましたし、結婚式シーンの食卓に配置されている男性器と女性器をリアルに型どったオブジェの必要性も不明です。  何故これほどまでに猥雑な映像群を大金掛けた映画で使ってしまったのだろうか。山師グッチョーネが究極のモンド映画を目指したのがこの『カリギュラ』だったのでしょう。いわば超A級の洋ピンという感じの立ち位置がよく解らない作品となっています。  また製作時にグッチョーネは徹底した秘密主義で作品公開まで一切を語らなかったためにかえって映画への注目が上がっていきました。彼の目論見は見事に当たり、日本でいう映倫を通さずに、自分が借りきった劇場で公開する手法が受けて、大ヒットしたようです。
画像
 しかし『アラビアのロレンス』の名優ピーター・オトゥールがまさかお金目当てにこのようなポルノに出演して、華麗なキャリアの晩節を汚してしまったのは残念です。  内容を知らずに出たのだという言い訳も出来るでしょうが、本当に撮影が嫌ならば、仮病や身内の不幸などの理由をつけて降板することも可能だったはずなので、後から嫌だったとか言い訳をしても誰も取り合わないでしょう。  ただこの映画は退廃的なムードはあったもののドラマ部分を撮ったティント・ブラス監督(『危険な恋人』も撮った人なので、ある意味問題作ばかりに関わったのは自業自得か?)は編集に全く関われなかったようです。
画像
 ペントハウスの創業者でもあるグッチョーネがあとでドバドバとハードコアシーンを組み入れていったのであれば、オトゥール、ブラス、そして脚本のゴア・ヴィダルに責任はないでしょう。  カリギュラ暗殺場面での子供を含めた一家皆殺し及び死後の対処(刺し殺してから、彼女を蹴っ飛ばし、ゴミのように階段を転がす。)も鬼畜の酷さで、モラルなどクソ喰らえの態度が最後まで貫かれます。よくぞここまで大金掛けて無茶なフィルムを作り上げたものです。  ローマ広場での公開処刑のやり方も悪趣味で、巨大な草刈り機のような首狩りマシンを登場させて、かつての政敵や功労者を面白半分に処刑していきます。
画像
 パンとサーカスのサーカス、つまり大掛かりな見世物なのでしょう。処刑される罪人のペニスを切り取り、それを犬に食わせるというおぞましいシーン(誰がこんなの喜ぶんだろう?)もあります。  より残酷に、より分かりやすかったのが公開処刑や格闘技だったのかもしれません。ただ血を求め、より強い刺激を求めるのはローマ人の専売特許ではなく、今でも大差ない。  上映時間は160分近くで、無駄に長くなっています。ポルノ・シーンを半分以下に削れば、わりとコンパクトな刺激的な映画として認識されていたのかもしれない。
画像
 ハードコアのくせに『ディープ・スロート』みたいに単純ではなく、たいそう陰気な気分にさせてしまいます。再度、問いたい。いったい誰に向けたのだろうか?  それでもポルノ部分を除けば、大金掛けているだけに割としっかりとした作りになっていますので、きちんと映画に取り組んでいてくれたほうが良かった。もっとも公開当時の日本での映画ポスターを見れば分かる通り、観客はハードコアを求めていたのでしょうね。
画像
総合評価 60点