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他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『関ヶ原』(2017)TBSドラマ版の出来が良かったので今回は?

 夏の邦画のなかでは大作の部類に入るのが『関ヶ原』でしょう。司馬遼太郎原作小説を映画化したのでしょうが、そもそもこの作品は映画化に適しているのだろうか。  東軍西軍合わせると登場人物が異常に多く、詳しくない人が一回で覚えるのはまず無理ですし、予備知識がないと歴史ファン以外は楽しめないのではないか。  そこに訳が分からない歴史とは関係ない、映画会社の意向のみが反映された恋愛エピソードがねじ込まれてしまうと、歴史ファンにも一般の映画ファンにもアピールできない意味不明な作品が出来上がってしまいます。  ぼくらが小学生の頃、お正月の特別ドラマとしてこの作品が六時間くらいの放送枠で三夜に渡って放映されたことがあります。主演は徳川家康役に森繁久彌石田三成役に加藤剛豊臣秀吉役に宇野重吉本多正信役に三國連太郎島左近役に三船敏郎という重鎮が揃い踏みする超大作でした。  その他に丹波哲郎、若き日の国広富之三浦友和も出ていました。お正月休みだったので、しっかり三日間すべて見ましたが、当時はビデオもなく、そのあとは長らく見ることはかないませんでした。しかし、その後ビデオ化されて、めでたくレンタル屋さん(もちろんTSUTAYAさん!)に並んだ時にはウキウキしながら借りてきたのも良い思い出です。  2000年代にCSで放送されたときにもしっかり録画しておきました。ドラマはとても真面目に作られていて、今回の映画化の話を聞き、キャスティングを知ったときには不安がいっぱいになりました。  合戦シーン、権謀術数を尽くす両軍の参謀たちの暗闘、豊臣家の内輪揉めに乗じて、一気に勢力を広げていく徳川の狡猾さと私怨ばかりに囚われて大義を見失いその後自滅していく加藤清正福島正則の愚かさを描いていたドラマをどう解釈するのか。
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 多くの群雄たちの栄光や没落、かりそめの出世や地味な働きでものちの幕府に感謝された武将たちの生きざまを活き活きと描けていれば合格でしょうが、キャラクターの棲み分けやどこにクライマックスを配置していくかに失敗すると、まとまりのない駄作に成り下がります。  そもそも徳川の都合が良いように書き換えられているだろう歴史観に対してどうやって真実を炙り出すのか、またはある視点を現在の我々に示してくれるのだろうか。  合戦自体は後世の軍略の専門家に部隊の配置を見せたら、西軍の勝ちだと指摘するそうです。人数も西軍の方が多い。どちらも寄り合い所帯で裏切りについても返り忠という言葉もあるように悪し様に言われる筋合いはない。  歴史が示すのは優柔不断な小早川秀秋による大谷刑部の部隊への攻撃をきっかけに西軍の諸部隊から多くの裏切り者が出て、劣勢だったはずの東軍が勝ったという史実だけです。  では徳川史観では悪し様に言われることがほとんどの石田三成は本当に極悪人だったのだろうか。大大名でもなく、合戦で功績を挙げてきたわけでもない彼がどうやって全国の名だたる武将をまとめあげ、あそこまで大きな軍勢を味方につけられたのだろうか。  形式上の総大将は毛利輝元ですが、彼は合戦の場ではなく大阪城で秀頼の子守りをしているだけ、そして遺児秀頼はまだ幼子でした。つまりラスボスであるべき二人が参加しない、もしくは参加できない段階でこの戦はなんとも締まらない。  命を懸けようにも武勲を見せつけるべき大将がいない状況なのです。なんだか芯が抜けています。秀頼は無理にしても、もし毛利の大軍を指揮するのが毛利輝元であったならば、全く違う結果が出ていたはずです。
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 味方に後ろから斬りつける裏切り者や戦場で弁当を食べる愚か者は出てこなかったでしょう。関ヶ原での醜態や失態をさらしたのは毛利家中の優柔不断な思惑が大きく左右しています。  これと本来ならば、秀吉亡き後の豊臣家を支えるべき加藤清正福島正則ら武将たちと石田三成小西行長ら奉行たちとの下らない内ゲバの権力争いが重なりあい、豊臣家を滅ぼす本当の敵の家康に油揚げをさらわれていってしまったのでしょう。  彼らに影響力を持っていたとされる北の政所も賢夫人のように描かれるが、実際の行動は豊臣家のためではなく、淀君への私怨から家康に加担したわけで、家康から領地をもらうなどしているのはその証拠でもあるでしょう。  ドラマを第二夜まで改めて見た感じでは昭和のころの作品でもかなりのウェイトが石田三成と初芽のロマンスに割かれていたことに驚かされます。  ぼくらは平成時代劇に対して、ラブストーリーを無理やり捩じ込むなと目くじらを立てがちです。しかしながら、冷静に昔の作品を見ていけば、最近のように解りやすい描写はないものの目線や会話の中にほんのりとした愛情を見つけることが出来ます。  分かりやすさは大切ですが、分かりにくい部分に気づくのも鑑賞能力を上げるのではないか。そんなことを思い浮かべながら、第三夜にたどり着きました。全編を復習として見てから、今回の劇場版に臨んでいます。  大昔の学生時代に司馬遼太郎原作の『関ヶ原』を読んでから三十年近くになります。今回の映画化が当たれば、その後に続く大阪夏の陣を描いた『城塞』も映画化されるのだろうか。
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 生き残った戦国武将たちがその後、どのような末路を辿ったのか、一時の栄光を我が物と出来ずに呆気なく滅びていった者たちがどれほど多かったのかに思いを馳せると出処進退や感情的な応対がどういう結果を招くのかを教えてくれます。  関ヶ原の戦いで徳川方の敵に回った者でも戦場で雄々しく戦った者が実は減封されたとしても後の世まで家名存続していたり、手厚く葬られていたり、遠島などで済まされているのも感慨深い。  島津義弘宇喜多秀家上杉景勝直江兼続、真田正幸、真田幸村らは徳川に弓を引いた敵でしたが、酷い処罰を受けることなく生き抜いています。  平成版ではぼくらに何を見せてくれるのだろうか。たぶん失望なのだろうなあと想像しつつの鑑賞です。予告編では見たことのない真実を見せるとありましたが、案の定ただの大風呂敷でした。  特に目新しい解釈があるわけではなく、映像がクリアになった以外は何もない。ただ時代劇全般に言えることですが、見えなくてもよいものがくっきりと見えていたり、本筋に関係ない部分が鮮明になるよりは本来薄暗かったであろう室内や昭和のドラマでの画面の画素の粗さのほうが現実味があります。その意味では薄暗い室内照明は良い感じでした。  そもそも史実ではない無意味なロマンスに多くの部分を割いていますが、ぼくらが見たいのは極限状態でのリアリストや理想家が家の存続や名誉をかけてどういうモチベーションで動くかの機微や合戦シーンでの肉弾戦の迫力です。  男祭りになりすぎると受けないのではという要らない遠慮が作品の質を大いに引き下げています。またTBSドラマ版と比べたときの俳優陣の重みの無さが歴史を軽くしてしまっている。
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 開局記念ドラマとはいえ、脇役の質が異常に高かったドラマ版を超えるのは無理でしょう。大友柳太郎、千秋実藤原釜足笠智衆、辰己柳太郎、高橋幸治高松英郎芦田伸介竹脇無我細川俊之らほどの存在感を示す俳優は見当たらない。  今回の劇場版で岡田准一石田三成を演じていることに対し、あれこれ批判が出ているようですが、それほど酷いとは思いませんでした。ただ合戦の最中に総大将が各武将の陣地を馬で駆け回ったり、雌雄が決する前に敵前逃亡したり、使いに出したまま帰らぬくの一のことをいつまでもグチグチ気に留めるほど戦国武将が女々しいわけはない。  また合戦のハイライトであるはずの小早川秀秋の裏切りのシーンにも疑問が残ります。どちらに付くかを決めたのが伝達の勘違いというのは白けますし、これであれば従来の徳川方が松尾山に鉄砲を撃ち込む演出で十分だったのではないか。  ここらへんは明らかに演出が不味い。その他にこれはどうなのだろうと思う点を挙げていきます。まずは字幕テロップの類いが多すぎることでしょう。いちいちデカデカと西暦で何年何月と入れてくるのは邪魔でしかない。  スタッフロールでは役者の名前を漢字、役柄、アルファベット表記で出してくるのがかなりウザったい。ナレーションもなんだか重みがなく薄っぺらい。  興味深かったのは日本全国の方言があちこちに出てくるところでしょうか。ただし徳川家康が標準語をしゃべっているのはどうも違和感があります。彼は名古屋弁を使っているべきではないか。秀吉に使わせているのになぜか家康は方言を使わない。  本筋となる合戦シークエンスと史実とは無関係な架純ちゃんの山登りを交互に見せるクロス・カッティングの効果は不発で、微妙に思えます。
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 役所広司演じる徳川家康はカッコ良すぎてどうも狸爺というイメージとはだいぶ違っているが、眼力が強く、時代劇には合う人なので説得力はあります。  時代劇をキャスティングするのも難しい時代になってきたということなのだろうか。見ていて不満に思った点としては本編において、真田親子が合戦前に家名存続のために家を二つに割るくだり、毛利の手弁当、島津の家康本陣への特攻、関ヶ原後の東軍に味方した豊臣恩顧大名連中の情けない顛末を描いていないところなどです。  福島、両加藤、小早川、浅野、毛利らのように一時の感情や日和見主義で動くと、数年後にお家取り潰しや大減封という取り返しがつかない結果を招くことを教訓として描くべきだったのではないか。  六条河原で処刑されたのは石田三成安国寺恵瓊小西行長の三名でしたが、戦後すぐで安定しているとは言い難い西国などの状況を考慮したのか、徳川方は毛利や上杉を大減封したものの大名として遇しています。島津家に至っては本領安堵でした。逃げ延びていた宇喜多秀家も流島で済んでいます。  江戸幕府を滅ぼす時に活躍したのが薩長だったことを考えると首の皮一枚で生き残った意義は大きいのではないか。 総合評価 55点