『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)じつは最後の勇姿だったライブエイド!
昨日の金曜日から公開が始まった『ボヘミアン・ラプソディ』を観に来ています。ご存知の通り、今から二十年以上も前の1991年に病死したボーカリストのフレディ・マーキュリーとギタリストのブライアン・メイが中心になって1970年代から活動していたイギリスのロックバンド、クイーンの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』にまつわる誕生秘話を辿りながら、グループの歴史を知ることができる仕組みになっているようです。
ぼくは四十代ですので、リアルタイムでクイーンの新譜が聴けたのは『RADIO GAGA』『ブレイク・フリー』やフレディ名義の『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』という最後期でしたが、『フラッシュ・ゴードンのテーマ』などは小学生の頃から知っていましたし、ロック・ファンの端くれだったので、一般教養として『オペラ座の夜』と『クイーン グレイテスト・ヒッツ』の2枚はレコード盤を買い、ちょくちょく聴いていました。
ただ僕らがロックにのめり込んでいた80年代の中高生の頃はクイーンはかなり低く見下されていて、音楽マスコミでも高く評価されることは皆無だった思い出があります。
今では名盤として評価が高い『オペラ座の夜』も発売当時は酷評され、まともに聴かれることはなかったようですが、その後もヒット曲に恵まれ、セールスは好調という、ジャーニー、フォリナー、TOTO、スティクスらと同じような、いわゆる産業ロックの位置付けだった気がします。
ただ日頃、クイーンの悪口を叩いていた友達の家に行くと、結構な確率で『クイーン グレイテスト・ヒッツ』のLPやカセットテープが棚に収まっていて、ニヤニヤしたこともありました。
レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、ビートルズやローリング・ストーンズを聴いているヤツはロック・ファンとしての市民権が認められていて、クイーンや産業ロックバンドのファンは軽いヤツらという認識です。
もうひとつ、クイーン絡みで覚えているのは1984年にイギリスのバンドエイドが出したチャリティ『ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?』から始まり、1985年の『USA forアフリカ』を経て盛り上がったライブ企画のライブエイドでのパフォーマンスの素晴らしさでした。
前年にスマッシュヒットを飛ばしていた『RADIO GAGA』『ボヘミアン・ラプソディ』『伝説のチャンピオン』などを熱唱するフレディ・マーキュリーの勇姿はもちろん、曲間での観客への熱い煽りがカッコよく、強く印象に残っています。
その後、しばらくは音沙汰がなかったのですが、90年代に入り、バンドのフロントマンだったフレディ・マーキュリーがエイズで闘病中であることが伝わり、しかも当時は治療法もなく、罹患すると死を意味していたエイズでした。残念ながらニュースが全世界で報道されてすぐに急死すると、一気に事情が変わってきました。
どこの国でも同じなのでしょうが、急に“クイーン偉大なバンド説”を散々それまで叩きまくっていたマスコミが唱え出し、サッカースタジアムではアンセム代わりに『伝説のチャンピオン』や『ウィ・ウィル・ロック・ユー』が大音響で流れ出し、現在に至っていますがぼくには違和感がいまだにあります。
本当にマスコミはクイーンを愛していたのだろうか。ゲイだったフレディ・マーキュリーをゴシップ記事で面白可笑しく書いていたのが、死後急に手のひら返しをしていることを恥ずかしいとは思わないのか。
マイケル・ジャクソンのときにも感じましたが、マスコミには不信感しかない。そんなこんなを感じながら、たまに自宅でベスト盤を久しぶりに聴きたいなあと思いながらも、買い替えまでは行っていませんでした。
何故今のタイミングでクイーンの伝記的な作品が映画化されたのだろうか。内容は名曲『ボヘミアン・ラプソディ』の誕生秘話なのでしょうが、確かに最初にこのナンバーをレコードで聴いたときは怪体な曲だなと思いながらも、オペラのパートとの繋がりが楽しく、ゴージャスな雰囲気に負けないフレディ・マーキュリーのボーカルに感心していました。
歌詞の中にはガリレオとか、バルサラとか意味不明の名前が連呼されていて、ガリレオはともかく、“バルサラ”って、いったい何なのだろうと思っていましたが、フレディの本名のファミリー・ネイムだということをはじめて知りました。彼の先祖はイスラム社会で迫害され、国を追われたゾロアスター教の信者だったことが明かされる。
またこの名曲の原型はすでに1970年時点でピアノ・パートのリフが出来上がっていて、少しずつ形になっていく過程が興味深く、リリースまで4年かかったのだとはじめて知りました。ビートルズでも後期のアルバム『レット・イット・ビー』に収録されている『ワン・アフター・909』はデビュー当時の『プリーズ・プリーズ・ミー』ですでに試されていっましたし、ジョン・レノン名義の『ジェラス・ガイ』もホワイト・アルバムのイーシャー・デモで原曲が聴けます。
クイーンのナンバーで好きなのは『キラー・クイーン』『ボヘミアン・ラプソディ』『地獄へ道づれ』『バイシクル・レース』『ショー・マスト・ゴー・オン』『愛という名の欲望』『ドント・ストップ・ミー・ナウ』『ウィ・ウィル・ロック・ユー』『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』『ラジオGAGA』などです。
つまりベスト盤好きな軽いリスナーだったということですし、クイーン教の信者ではなかった訳ですが、良い曲は良いということはわかるつもりです。作品を見ていくうちにフレディの同性愛への苦悩、弱みにつけ込むイエスマンばかりの取り巻き達、時には彼に「NO!」を突きつけるバンドメンバーとの葛藤や彼らへの裏切り行為がしっかりと描かれているので、引き込まれていきます。
フレディの私生活の乱れや薬物依存、アルコール依存などの隠したいであろう部分が赤裸々に描かれている点もポイントが高い。曲が生まれていく過程や様々なトレンドを取り入れて試すメンバーの姿勢が良く捉えられていて、何故『ボヘミアン・ラプソディ』や『ウィ・ウィル・ロック・ユー』が誕生したのかも分かるようになっています。
また作品が進んで行き、クライマックスとして用意されたのがライブエイドでのパフォーマンス(舞台はサッカーで有名なウェンブリー・スタジアム)だったことが興味深く、あのパフォーマンスはフレディがすでにエイズの宣告を受けて、遠くはない自らの死期を悟り、ライブ活動から離れ、仲違いしたメンバーたちと寄りを戻し、彼らに自分の死期を知らせた上での最後の晴れ舞台であったことが明かされます。
彼の渾身の熱唱とバンドの演奏があのステージを作り上げていたのだと知ると感慨深い。実際に演奏されたのは『ボヘミアン・ラプソディ』『RADIO GAGA』『ハマー・トゥ・フォール』『愛という名の欲望』『ウィ・ウィル・ロック・ユー』『伝説のチャンピオン』『Is this the World We Created...? 』でした。
劇中では時間の制約があるので仕方ありませんが、『ボヘミアン・ラプソディ』『RADIO GAGA』『ハマー・トゥ・フォール』、そして『伝説のチャンピオン』が使われていました。全編に興味がある方は音質が良いブルーレイが発売されているようで、リンクを貼っておきましたのでそちらをどうぞ。
たしかに『愛という名の欲望』ではハウリングが酷かったからかなあとか、『Is this the World We Created...? 』ではスタッフの無線が混線していて、フレディの静かな歌を台無しにしてしまっているから使われなかったのかなあとか想像できます。
もっとも劇中でも取り上げられていた、観客が間違いなく盛り上がる『ウィ・ウィル・ロック・ユー』が使われずに、突然歌われる『ハマー・トゥ・フォール』には印税の行き先とかが関係しているのかなあなどと邪推してしまいます。
彼らが活動していた時代に流行っていた曲やアイデアを得た曲が流れるのも興味深く、歌劇カルメンの劇中曲、クリーム(ブラインド・フェイスかな?)『ウェイティング・フォー・ユア・ラブ』、リック・ジェイムス『おしゃれフリーク』などがさり気なく掛かっていましたのが個人的には楽しかった。
1982年のシーンで聞き馴染みのあるMCハマー『ユー・キャント・タッチ・ディス』のフレーズが流れてきたので、一瞬おかしいなと思いましたが、「違う、違う!リックのほうだ!」とひとり合点しました。本日は土曜日だったこともあり、観客は100人以上は入っていました。
奈良にもクイーンのファンがまだまだ健在のようです。レコード時代には持っていた『クイーン グレイテスト・ヒッツ』を買い直そうかなあと帰りの道すがら、歩きながら考えています。
総合評価 90点
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