『フランケンシュタイン』(1931) ボリス・カーロフが作った怪物のイメージは偉大です。
一番最初に見たフランケンは、ジェームズ・ホエール監督が1931年に制作した『フランケンシュタイン』でした。映像もストーリーも素晴らしく、テンポよく語られていき、ボリス・カーロフの名演技にも助けられ、フランケンといえば、これの事を指していました。 記憶に残る映像が山のようにあり、後世の作品にも多大なる影響を与え『ヴァン・ヘルシング』でも同じイメージ、同じアングルの映像がどんどん出てきたので正直言って監督のやる気を疑いました。
逆に言うとそれだけ鮮烈なイメージを皆に植え付けることに成功したわけです。スチール写真を見ただけでもかなり恐そうなのですが、実際に動いている映像は更に恐ろしい。これぞSF、これぞホラーという出来栄えです。 死んだかどうか分からない終わり方は続編が今も昔も大好きなハリウッドらしかった。実際『フランケンシュタインの花嫁』も作っちゃいました。 醜い人間は幸せにはなれないのか。異形の者には平和は無いのか。宗教、人種、容姿など人と違うだけで他者をまったくよせつけず排除する「不寛容」は今も世界中ではびこっています。異形の怪物は彼らに攻撃されて追い詰められていきます。 唯一心が通い合い遊んだ少女を死に追いやってしまったのは怪物の悲劇性をより高めています。無理やり命を与えられたにもかかわらず、創造主であるフランケンシュタイン博士からも嫌われ、誰からも望まれず排撃されていく怪物には哀れみを覚えます。 科学者のいかがわしさ、責任感の無さも存分に描かれています。一番無責任なのは創造主の博士です。彼は自分の狂気の実験で怪物を生み出した責任があり、何人も怪物に殺められていても、自分がその責任者であることを民衆に明かしません。
現代の手術を失敗しても隠蔽する医者やアスベストやダイオキシンの危険性を分かっていても何もしない科学者と同じように自分だけが可愛い卑劣漢です。 日本では何度も『四谷怪談』が手を変え、品を変え出てくるように西洋では『吸血鬼』と『フランケン』がしょっちゅう映画化されています。みんなが好きなんでしょうね。 人間が神の領域に挑むとどんな災いがもたらされるのか。遺伝子を好き勝手に使い、科学の進歩だとうそぶく企業や科学者にたいして国際的な枠組みを作って、勝手な実験をさせないよう規制してもらいたい。『怪物』を現実のものにしないために。 総合評価 92点フランケンシュタイン