良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『用心棒』(1961) スーパーヒーロー三十郎誕生。それまでの時代劇を根底から覆した革命的作品。

 黒澤明監督、1961年製作作品であり、スーパー・ヒーロー「三十郎」という黒澤作品の中でも一二を争う人気キャラクターを生み出した作品でもあります。

 

 一般的に「チョンマゲ」をしていて日本刀が出てくると、すぐにその作品は時代劇というレッテルを貼られて、ある意味で現実味がなくとも許されてしまうという甘えの構造がまかり通る安易なものになります。ただそれはあくまでも一般論であって、黒澤作品には全く当てはまらないことです。

 

 衣装や「月代」や「斬殺音」などの革新性だけを言うのではなく、殺陣の仕方や時代考証を踏まえつつも、仲代さんの「マフラー」などに代表される、あくまでも見た目のよさを追及して独自の視点を加味していく演出が見事なのです。

 

 黒澤監督というと、どうしてもこのような時代劇と呼ばれるジャンルやアクション物を求められてしまいますが、現代劇であれ、時代劇であれ彼には常に新しいものを創り出していこうとする意図が十分に感じられます。

 

 そしてこの『用心棒』は全ての黒澤作品の中でも最高傑作といってもよい出来栄えです。映像、演技、音響、美術そして物語という映画を構成する要素の全てが一体となり、黒澤芸術の圧倒的な頂点を見ることになります。

 

 ヤクザ者同士の縄張り争いという陰惨で殺伐とした内容を扱ってはいるのですが、ブラック・コメディの要素が多分にある、言って見れば監督の余裕をも感じさせる作品です。時代劇でもあり、ヒーロー物でもあり、アクション物でもあり、高い技術と美意識を感じさせて、しかもコメディの要素が満ちている。

 

 これが今回の黒澤監督が目指した映画なのです。ヤクザ者同士をお互いに戦わせて、最終的に街に平和を取り戻すというストーリーは明快であり、見れば誰でも大まかな筋を理解できます。

 

 難しい映画を芸術だという人もいますが、多くの人が理解できない作品というのは無意味であり、そんなものは自己満足に過ぎません。自費でやって自分の家でやるのはかまいませんが入場料と時間を取るのですから、最低限度の水準に満たないものは上映するべきではありません。

 

 映画は娯楽でもあるのです。「娯楽」と「芸術」という一見相反するかと思われるものを、どちらかに偏りすぎることなく、両者のバランスを絶妙に取っていくことができる人が巨匠と呼ぶに相応しい監督なのです。その意味で自分よがりの作品に走りがちな監督達を支持することは出来ません。

 

 本作は前半部分において、少々説明的な台詞が多すぎる嫌いがあり、それが展開に水を差しています。面白いストーリー展開ですので、ここら辺が何とかなっていれば、もっとスピーディーに流れていくはずだったのではないでしょうか。

 

 ここらへんが、あとになってから黒澤監督を攻撃する人間に突っ込まれてしまうところでもあり、見ていても残念な部分でもあります。

 

 ですが、それは彼の持っている才能からすれば、もっと上手くやれたはずだという認識が、ファンにも批評家にも共有されているからこそ出てくる不満であって、並みの監督に対して、そんなことは誰も言いません。黒澤監督だからみんなが安心して叩けるのでしょう。半端な批評家や監督が叩いても彼はビクともしないからです。

 

 批判されて、傷ついたことはあるとは思います。ですが彼を叩いたり、文句を言ったりしている自称批評家や現役の凡作専門の監督の才能は本人達が思っているほど、たいしたものではないという事を映画ファンはしっかりと理解しています。

 

 三船敏郎の素早く獰猛な動物のような演技の才能と、黒澤監督の妥協の無い完全主義の演出の才能が激しくぶつかり、より高い次元に進んでいく相乗効果が極限に達しようとしていた時期の作品であり、お互いに求めているものがはっきりと自覚できている、最高の関係が読み取れる作品です。日本映画にとっても幸せでいられた最後の時期の作品でもあります。

 

 彼のあの素早い動きはいったいどこから来るのだろう。何故に彼だけがあのように早いのだろう。彼より素早いアクションができる俳優をいまだに見たことがありません。香港のカンフー映画などもアクションシーンは早送りにして最終版ではリリースすると聞きます。

 

 しかし三船のアクションを編集で早送りにしてから最終版としてリリースしたということは聞いたことがありません。実際に彼は速かったのです。アメリカで人気だった三船は「セクシー」だったからだと聞きますが、それ以上に彼の「スピード」は尋常ではありません。彼の立ち回りを見るだけでこの映画を見る価値があります。

 

 そして三船をよりいっそう引き立ててくれるのが仲代達矢の演じる「卯之助」のおしゃれでニヒルな悪役ぶりです。いくら主人公が魅力的で強そうだったとしても、敵役が全く弱そうだったり、かっこ悪そうだったりすると、見ていても全く緊張感が出てきません。

 

 それがこの「卯之助」のようにある種、無国籍な異様ないでたちの敵が出現するだけで見ている人の感情は三船だけでなく、仲代のほうにも二分されていきます。

 

 主役と敵役がこれ程に魅力的に描かれれば、黙っていても見る者の意識は集中されていき、画面に釘付けになっていきます。この作品が群を抜いて素晴らしいのは仲代の演じた「卯之助」の貢献を抜きにしては語れません。

 

 『七人の侍』のときに散々監督から怒られて、罵倒されたという仲代の見事な七年越しのリベンジでもあります。

 

 その他に強く印象に残るのは山田五十鈴の「一人殺しても、百人殺しても、縛り首になるのは一回だよ!」というとても物騒な台詞と、彼女の演じた役柄の、煮ても焼いても食えないような悪女振りです。

 

 『蜘蛛巣城』も含めて黒澤作品における彼女の演技の重みは他の女優陣の黒澤作品にもたらしたインパクトの数倍はあります。それ程彼女の存在感は大きく、貢献度が高い女優さんです。

 

 また演出及び環境面では、馬目の宿のオープンセットをフルに使い切った手腕は、まさに豪腕です。あのからっ風の映り方はとても美しく、宿場も生き物のように見えます。特に素晴らしいのは埃混じりの風の映像であり、「風」はこの作品の中で非常に大きな意味を持っています。

 

 「三十郎」が一人で「卯之助」達と戦う場面で、彼の後ろに埃と風が充満しますが、これが彼の殺気と怒りを見事に表現しています。

 

 彼は一人なのですが、「気」の大きさは既に相手を呑んでいます。お互いに接近していくシーンでも相手の背後の風、言い換えると「気」は見る事が可能です。これは彼らが帰る場所を持っていること、雑念を表しています。しかし帰る場所の無い「三十郎」の後ろは真っ白なのです。集中している彼にとっては「ピストル」も人数も敵ではありません。

 

 この戦闘シーンは、このような「埃」の効果だけでなく、殺陣のやり方も独創的なもので動きが異常に早く、後ろを向いて逃げていく相手までも次々に斬りつけて殺していきます。昔の時代劇において大立ち回りで後ろ向きに斬りつけられる映像は、つまりとどめを刺す映像というのは記憶にありませんし、おそらくこれが初めてなのではないでしょうか。

 

 次回作品の『椿三十郎』では、さらに工夫が凝らされていて、必ず一度斬りつけた後に止めを刺しに、二度斬りをしています。なんというリアリティの追求なのでしょう。ただ驚くのみです。今回のオープニングもまた強烈なインパクトを観客に与えてくれました。あの犬の咥えてきた「手」の映像はしばらく頭から離れませんでした。

 

 作品の見た目に関しての全責任を負うのが監督ですが、黒澤作品を見ていて、いつも感心するのは画面全体に目が行き届いていて、無駄なものが全く映っていないこと、画面の後ろでも外でもしっかりと芝居が行われていることが判ること、縦の構図がとても美しいことです。

 

 何よりもまず、一枚の「絵」として見ても彼の作品はとても素晴らしいのです。ショットごとに静止して見ることができるDVDやビデオならばより一層、深くその構図の意味を考えていくこともできます。

 

 一例を挙げると、火見櫓によって敵味方を半分に分けて、ちょうどその中間の櫓の上から客観的に、そして日和見して戦闘を眺めようとする三十郎の様子がはっきりと一つのショットから見ることができます。

 

 実際には分けられているわけではありませんが、撮り方の意図によってそういう「絵」を見る事が出来るのです。全篇にこのような構図の妙を楽しむことのできるよい「写真」の宝庫、それが黒澤作品でありこの作品なのです。

 

 音響も素晴らしく、とりわけ「風」と「埃」の音がこの作品に命を注ぎ込んでいます。なによりも録音設備が格段に進歩していて、初期作品から『蜘蛛巣城』までずっと黒澤作品の弱点であった台詞の聞き取りにくさが大幅に改善されています。

 

 これだけでも、かなり作品そのものに集中できるので助かりました。女郎部屋の女衆の生み出す得体の知れないリズムが、これから起こることを暗示するようで不気味でした。

 

 また不気味といえばオープニングの「手」にかぶさる音楽がどこと無くユーモラスなのがより事態の深刻さを感じさせました。ほとんどの撮影が宿場のオープンセットで行われているために、スタッフが全ての集中力を注いで、このセット自体をまるで生きているもののようにしっかりと作りこんでいます。街並みの質感は重厚であり、造り酒屋の大樽に圧倒されます。

 

 黒澤作品を見ていていつも感心するのは、作り物であるオープンセットが彼と彼のスタッフにかかると、重厚なリアリティを獲得して生命を与えられて我々に迫ってくることです。与えられた、又は選んだ環境を、まるで現実の建築物や自然環境のように演出していく技量が古今東西の余人を寄せ付けません。

 

 それまでの時代劇には全く無い主人公の見た目の汚さがリアリティを生み出しているため、そしてもっとも皮相的であったはずの人体切断シーンなどが、後々のヤクザ映画の残酷描写を生み出していくきっかけとなったのはとても不幸なことでした。しかしそれほどまでに影響を与えていく黒澤監督は偉大でもあります。

 

 監督が忌み嫌っていた角川映画、その角川作品の『悪霊島』でも犬が「手」を咥えて走り回るシーンがありました。そして黒澤監督があまりにも凄惨すぎるため『用心棒』で却下した演出である、鳥が黒々とたかり、集まっているところに人が通りかかると、ばたばたと飛び去っていき、その場所を見ると人が啄ばまれていたというシーンもチャッカリと使われていました。

 

 この作品はブラック・コメディとしても、とても優秀な作品であり、時代劇としても後続に多大なる影響を与えた名作です。ストーリーの判りやすさと演技面での主役と敵役の両者の魅力、演出の圧倒的な実力、音楽とオープンセットの素晴らしさなど映画に必要な全てが揃っている傑作です。

総合評価 97点

用心棒

黒澤明の作劇術
フィルムアート社
古山 敏幸

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