良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『日本のいちばん長い日』(1967)ドキュメンタリー・タッチで描かれる1945年8月15日。

世に戦争映画は数多くあれど、岡本喜八監督の残した戦争映画には記憶に残る作品が多い。『独立愚連隊』、『独立愚連隊 西へ』、『肉弾』、そして『日本のいちばん長い日』などに代表される彼の作品群は他の監督の作品よりも魅力的である。

 それぞれ全く違うストーリーであり、『肉弾』や『日本のいちばん長い日』などのシリアスな作品を製作する一方で、軍服を着た西部劇ともいえる独立愚連隊シリーズのような娯楽作品も手がけている。おそらく僕の観たい種類の映画のツボをどんどん押してくれているのでしょう。

 鉈で割ったようなカットのリズムなのか、話の展開の豪快さか、はたまた根底にある人間味なのかははっきりとは解りません。ただ言えるのは飽きずに何度も観れる作品が多いということでしょう。どこかユーモラスな制作姿勢が窺えます。彼の撮影現場がどういう感じであったかは分かりませんが、明るい雰囲気、良い物を作ろうという雰囲気があったのでしょう。

 見終わったあとに明るく楽しい思いで劇場を出られる観客が多かったのではなかろうか。もちろんこの作品や『大菩薩峠』のような楽しいでは済まされないシリアスで残酷描写の多い作品も多数あり、どれでも楽しい作品であるというわけではありません。それでも彼の作品群にはなぜかまた観たくなる大きな魅力があります。 

 本作品もこれまで何度も見た映画のひとつであり、実際二年に一回の頻度で見ています。骨太で、重厚で、陰鬱で、救いのないモノクロ作品ではあります。橋本忍によって構成された見事な脚本によって命を吹き込まれた日本中枢部の人物達は過去から蘇ったように活き活きとしていました。

 脚本の橋本忍と撮影の村井博によってドキュメンタリー・タッチで描かれる文官と軍部のせめぎ合い、軍内部における強硬派と現実派との争いが強烈な印象を与えます。ストーリー展開が絶妙で、ともすれば一ヶ所で停滞しがちになるであろう長老達の密室劇だけではなく、血の気が多く獰猛な青年将校らの不穏で過激な動きと対比させることで立場の違いを鮮明に表すだけではなく、映画としての緩急のバランスを上手く取っている。

 身体による暴力で事態を解決しようとする青年将校に対して、国権を握る政府内の文官や軍人は会議で日本の将来を決定する。若く過激な人々が決めるのではなく、思慮のある老成した人々が全てを決定するのが国の政治だというのは何たる皮肉な対比ではないでしょうか。

 モノクロ画面の良さが大いに出た作品でもあります。立場上、感情を露わに出来ない長老達への光の当て方と影の作り方からはわざわざ口で多くを語らずとも、映像だけでも彼らの感情を吐露している。それが分からない青年将校たちはより具体的な行動を起こす。

 会議場で円座になって囲んでいるのにもかかわらず、照明の使い方の妙とクロース・アップで三船敏郎陸軍大臣役)を捉えるだけで陸軍相が置かれていた孤独な立場を強調する。政府内でも陸軍内部でも孤立無縁な立場になっていた陸相の当時の状況が生々しいまでに描写されていきます。

 大日本帝国の法の下においては閣議決定陸相海相が反対すればひとつも決まらない。そのため軍部は政治に台頭し、国を誤っていきました。つまり軍部の賛成で事は一気に決するという事です。このときは海軍は敗戦やむを得ずという意見であったために、本土での徹底抗戦を叫んでいた陸軍と陸軍相にのしかかるプレッシャーは大きくなっていきます。

 三船は苦悩に耐える陸相を見事に演じきりました。カメラも彼の心情や苦しみをしっかりと捉えています。彼のほかに素晴らしかったのが黒沢年男です。血気盛んな青年将校を演じた彼の目の力はとても強く覚えています。

 黒沢ら青年将校が決起し、近衛兵団の指揮権を強奪し皇居を占拠するというクーデター未遂を起こす過程で陸軍の長老を暗殺するシーンがあります。このシーンでの殺人描写は血飛沫の飛び散るほどの残酷でした。リアリズム作品という性格上避けられないシーンだったのかもしれません。天本英世がテロリストとして鈴木貫太郎首相宅を襲撃するシークエンスもありましたが、全ての殺人シーンの描写はかなりどぎついものばかりでした。

 8月14日零時から8月15日正午までという真夏の一日半を撮るのにモノクロを選択したため、人物を撮るときの顔や背中の汗の映し方、舞い上がる土埃などが夏の日の暑さを強調する。またヒグラシやツクツクホーシや油蝉などの夏の虫の声をふんだんに盛り込むなど音響に工夫が見られ、当時のスタッフの夏を表現することへの苦労がしのばれます。

 そのかいもあり、とても密度の濃い画面を作り上げました。娯楽性は一切ない、妥協なき作品に仕上げられているため、取っつき難いと思われる方もいるかもしれません。しかし158分という上映時間は決して長くはありません。才能溢れる脚本家とカメラマン、そして監督がいれば上映時間の長さは問題ではありません。

 もともと、この作品は岡本喜八監督の1967年製作作品で、東宝創立35周年記念作品の一本でした。主演は三船敏郎で阿南陸軍大将役でした。その他の俳優陣も豪華で笠智衆(首相)、山村聡海相)、宮口精二外務大臣)、志村喬(情報局長)、田崎潤厚木基地司令)、島田正吾(師団長)、石山健二郎(東部軍司令) 、藤田進(連隊長)、伊藤雄之助(飛行団長)らが貫禄のある円熟した演技を見せていました。

 いっぽう高橋悦史青年将校)、黒沢年男青年将校)、加藤武戸浦六宏江原達怡、土屋嘉男、加東大介平田昭彦藤木悠天本英世神山繁佐藤允(岡本作品の顔)、久保明青年将校) 、小林桂樹(侍従) 、中谷一郎青年将校) 、加山雄三(NHKアナウンサー) 、井川比佐志らが新鮮な魅力を振り撒いています。紅一点ともいえる新珠三千代でしたが出番はごくわずかで、ほぼ完全に全篇通して「男祭り」の状況でした。ナレーター役の仲代達矢も淡々と大日本帝国のお葬式の司会を務めていました。

 そして八代目松本幸四郎が務めた昭和天皇役が素晴らしい。クロース・アップもなく、ほとんどのシーンが身体の一部分だけが映るか声だけの登場なのですがこのことがさらに神秘的に作用し、まるで本物の天皇が出演しているような高貴な印象を与える。照明や構図もより神格を高めている。神々しく映された松本幸四郎には当時の状況を考えると多大なるプレッシャーが掛かったのではないでしょうか。

 そして言えることは出演者全員が何らかの形で戦争経験を持っていた人々によって演じられていたので、現実味がありました。加東大介三船敏郎は軍人でしたし、その他の人も何らかの形で戦争の記憶を生々しく共有していた世代です。現在の俳優で戦争物を作ってもなにか違和感があるのは戦争体験の有無と無縁ではない。

 この作品が他の作品と違った魅力を湛えている理由は「玉音レコード盤奪還作戦」、「8・15クーデター未遂」、「天皇を擁する御前会議」、「文官と軍部のせめぎあい」、「軍部内での世代間の対立」というバラエティに富んだ要素が各々複雑に絡み合いながら散らかることなく、一本の大河のように繋がっているからではないか。

 玉音放送というと一般国民にとっては8月15日の正午にNHKによって行われたラジオ放送を指します。しかしながら当然これを制作したのはその日の前ということになります。また天皇人間宣言を行われたのは戦後でしたが、実際の宣言は終戦を決断された8月14日の御前会議であった。戦後マッカーサー元帥と話された折も「私のことはどうなっても良い」と述べ、元帥を感服させた陛下ですが、このときの会議でも終戦を渋る軍部に対して決意を述べられたようです。

 当時の国民の感覚であれば、神である天皇にレコーディングのマイクの前に立って貰うことだけでも恐れ多いことであったと思われます。このレコーディングや玉音レコードの扱いを描いたシーンに当時の人々の心情が表れています。

 真夏の暑い日に行われた御前会議で天皇がみずから現人神の地位から降りられて、国民とともに苦難の道を選ばれたことにより、ようやくこの惨たらしい戦争に幕を下ろせました。陸軍の言うように本土徹底抗戦を選択していれば、民族の誇りを保つために民族総自決に近いような惨劇があちらこちらで起こっていたかもしれません。

 本土決戦を選択していれば、今のように腑抜けの政治家や国民ばかりにはならなかったという過激な意見もあるようですが、それは結果論に過ぎませんし、当時の政治家が苦渋に満ちて選択した敗戦受諾は決して間違いではなかったと断言できる。

 ポツダム宣言にたいする政府の遅すぎた対応と「黙殺」を「拒絶」と誤解された外交のミスにより、広島と長崎では原爆によって人類史上最も残虐な殺戮が行われました。政府がもっと早く交渉を真剣に検討していれば避けられた悲劇は沢山ありました。軍事的にはサイパンが陥落した段階で(サイパンからならば、B-25やB-29で日本本土にたいして無給油で空爆が可能)敗戦は決定的になったにもかかわらず、なぜ続行したのか。

 A級戦犯は戦争を遂行したから悪いというのではない。勝つにしろ負けるにしろ国益を最大限に引き出すことが重要である。そこを見誤る政治家や軍人こそが戦犯と呼ばれるに相応しい。戦って争うのは国益であって、軍人のプライドのためではない。誇りと国益の違いは今の政治家の発言からも明らかにはなってこない。

 戦争に入った後、そして終戦間際の御前会議当時の帝国政府は無為無策であったかもしれません。しかし全ての人々は国を愛し、各々の立場から見解の相違をぶつけていく。いがみ合い、収拾がつかないことが多かった帝国政府ではありましたが、「私」ではなく「公」のために働いた結果です。これに対し良い悪いを言うつもりはありません。ただ冷静な視点は常に欠落していたように思えてならない。

 御前会議後の夜、虫の声はコオロギなどの秋の虫に変わっている。それまで騒がしいほどに鳴いていた夏の虫は影を潜め、季節の移り変わりを見せつける。時代が軍国主義時代からアメリカ占領時代に変わっていくのを暗示するような音でした。

 この映画は明治以来続き、日清戦争日露戦争を勝ち抜き、アメリカと全面戦争を体験した唯一の国家であった大日本帝国のお葬式を切り取った作品です。葬式は完璧に用意され、厳粛に進められる必要があります。喪主である天皇陛下玉音放送はまさに帝国の崩壊と日本国の再生への希望でもありました。

 反乱に失敗した青年将校は全員自決し、陸相の三船も宿舎で今生の別れの後、介添えもなく割腹自殺をする。残酷な描写が多いがリアリズムに徹した作品のテーマ上、このような演出を採ったのかも知れません。

 玉音放送が流れようとするなかで、三船の葬式と黒沢らの自決シーンが挿入される。死に行く者と再生に努める者という立場の違いが鮮明に表れる。クロスカッティングで編集される一連のシーンは素晴らしい。

 しかしまあ、なんであんなにみんな軍服がよく似合うのだろう。小道具として使用される『出家とその弟子』、『若鷲の歌』も効果的でした。

総合評価 96点

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