良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『遊星より愛をこめて』ウルトラセヴン12話。闇に葬ろうとしても、ぼくはスペル星人を忘れない。

 映画に関する記事のみを掲載してまいりましたが、今回はTV番組についてはじめて書くことになりました。特撮映画ではお馴染みの円谷プロ作品であり、その後の特撮作品のみならず、SFとしても非常に優れた作品を輩出したウルトラセヴンについて書くことは言論の自由と差別問題の根の深さと絶対に埋められない溝の深さを知ることにもなります。

 

 ようやく長い間、陽の目を見ることなく埋もれてしまっていた作品を見ました。それは幻のエピソード12、つまりウルトラセヴンの封印された第十二話『遊星より愛をこめて』を鑑賞する機会にようやく恵まれたということです。

 

 具体的に言うと今回見たのは「通常版」「ドラキュラ版」「TNT・日本語版」「TNT外国語版」及び『ウルトラファイト』の『遊星の悪夢』の合計5ヴァージョンでした。  では、何故この作品がそれほど貴重な映像として、一部特撮マニアの間でこっそりと高値で取り引きされる状況になってしまったのでしょうか。

 

 これは言論の自由と差別助長の間で翻弄されたヒーローとエイリアンの悲劇にまつわる話になります。しかもそれは本来の権利者である円谷プロとはまったく関係ないところで起こった騒動の責任を作品に被せてしまった大人たちの卑劣さに諸悪の根源がある。

 

 子供向けの怪獣本に、たった一言添えられた無責任な、そして無配慮な「被爆星人」の記述が一部団体の目に触れたために大きな問題に発展し、ついには特撮の傑作ウルトラセブンからは第12話が完全に抹殺されてしまった。

 

 被爆星人の記述がどれだけ後遺症で苦しむ人々に更なる苦痛を与えるかを想像出来ない人間が子供向けの本を出版していることのほうこそ問題にすべきである。実際に放映された昭和40年代初頭という家庭用ホーム・ビデオがほとんどない時代に、いったいどれだけの人が本編を見たというのだろうか。

 

 内容も確認せずに一方的にごり押しをして、抹殺してしまったのではないだろうか。お門違いのクレームはかえって性質が悪いのではないだろうか。避難されるべきは出版会社であり、円谷プロではない。

 

 ウルトラQウルトラマンと立て続けに大ヒットを飛ばしたものの内情は火の車であり、おそらくはまだまだ経営基盤が弱かった未来の特撮王国にとっては出版社、左翼知識人、PTAらの攻撃は今後の営業の停滞に直結してしまう。

 

 そして何よりテレビ局が裁判沙汰などのマイナス・イメージを嫌ったために、円谷プロ側に妥協を強要して、12話抹殺に彼らを渋々同意させたというのが真相ではないだろうか。

 

 クレームにたいして、臭いものには蓋をすればよいという対応はその場しのぎしのぎに過ぎず、問題は何一つ解決されてはいない。では封印されてしまった第12話『遊星より愛をこめて』は如何なる物語であったのだろうか。

 

 このエピソードにはウルトラ・シリーズ・ファンにはお馴染みの女優、桜井浩子が出演している。彼女は『ウルトラQ』以来、三シリーズ連続でウルトラ・シリーズに出演した唯一の女優である。彼女の風貌は理知的で、ヌーヴェル・ヴァーグの映画に出演していても、違和感を感じさせない雰囲気を持っていました。

 

<ストーリー>  アンヌには仲の良い友達(桜井浩子!)がいる。彼女には小学生の弟もいる。彼女には最近佐竹という恋人ができていて、彼からの贈り物だという変わった形の時計をしていた。この時計をしている若い女性がバタバタ倒れる事件が頻発するようになり、警備隊はこの佐竹こそが怪しいと睨む。

 

 そんなことが続いたある日、普段なら自分がつけてる時計を弟が持ち出してしまう。のちに吸血時計(この時計は特殊で、中に人間の血液成分が入っている。そのため白血球を細かく結晶化する技術を持つ科学力のレベルの高いエイリアンの存在が警備隊で疑われる。)を回収した佐竹(スペル星人)は子供の持つ生命力に驚き、ターゲットを若い女性から子供たちにシフトする。

 

 スペル星人たちは自分たちの星が核戦争により壊滅状態になってしまったために、食料がなくなり、地球に目を着けたのだ。なぜなら彼らには地球人の血液こそが彼らの命を繋ぐ食料であるからである。

 

 スペル星人たちは子供を釣るための道具として、ロケット絵画と吸血時計の交換キャンペーンを企てる。血液を得るために桜井の弟を誘拐した佐竹ではあったが、しかしもう一息のところで、警備隊に嗅ぎつけられ、計画は崩れさる。

 

 最後まで佐竹を信じていた桜井であったが、佐竹の真意と正体を知り、呆然とする。一方、怒る宇宙人は巨大化し、スペル星人がその姿を現す。彼は巨大化しながら、自分は核で滅亡したスペル星よりやってきて、食料である人間たちの生血を吸うことが自分たちの生存のために必要だと宣言する。弱肉強食の論理です。彼は目から怪光線を発し、母星のUFOとともにウルトラホークを攻撃する。

 

 撃ち落されたウルトラホークからダンはウルトラセヴンに変身する。スペル星人アイスラッガーを投げつけたものの、かわされたセヴンはスペル星人との格闘に挑む。夕暮れ時の街並みで、両者は死力を尽くして闘う。

 

 大空へ逃げようとしたスペル星人であったが、背後からアイ・スラッガーを浴びせられ、真っ二つに切り裂かれてしまう。こうしてスペル星人はその命を散らした。  恋人を失ってしまった桜井は人工湖に向かって、佐竹の形見でもある時計を投げる。それは彼女の過去との決別である。彼女は異星人との恋愛が成り立つかどうかをダンとアンヌに問いかける。

 

 ダンは心で思う。「M78星雲からきた自分と地球人は理解し合えるのだから、いつか必ずそういう日が来る。」夕暮れは皆を温かく受け入れるように染まっている。                                               <以上>

 

 これがざっとした内容です。引っ掛かる部分としては母星が核により滅亡していること、スペル星人のデザインにケロイド状の模様があること、生命維持のために他者の生血が必要だとして吸血鬼のような印象を与える台詞があることなどであろうか。

 

  製作面にスポットを当てていきますと、この作品の監督は先頃亡くなった実相寺昭雄監督である。彼の手掛けた作品はどれもクオリティと問題意識が非常に高く、いまでも好きな作品を挙げていくと彼の作品に行き当たることが多い。

 

 演出的には『狙われた街』や『史上最大の侵略』に繋がるような音楽や映像の使い方を堪能できる良いサンプルになっています。メッセージとしては被爆ということよりも、宇宙人との恋愛は成立するかという大人向けの内容であり、「宇宙人」を「理解できない人」または「外国人」と言い換えると、セヴンの世界観であるコスモポリタン的発想に行き着く。差別であると言えるだろうか。セヴンらしいエピソードだと断言できる。

 

 メトロン星人とセヴンがちゃぶ台を囲み対話するあのエピソード『狙われた街』では戦いの場面はオレンジ色に染まる夕陽の中でドラマチックに展開されました。あれと同じような撮り方をこの作品でも味わえる。

 

 また最終回『史上最大の侵略』で採られた二つの演出、つまり逆光を使った幻想的な映像とクラシック音楽(たしかシューマン)を使ったドラマの盛り上げ方などです。

 

 この12話では弦楽器とオルゴールの音が奏でるなんとも綺麗な音楽が用いられています。対位法的効果を生む子供向けなどという範疇を越えた使用法に驚かされます。暗い会議室での会話シーンもパンドンを操るゴース星人の行に同じようなミザンセヌがあった記憶があります。

 

 傑出したエピソードであるとは言いがたいが、水準以上であることは間違いない。これが単なる差別助長にしか見えないというなら、『猿の惑星』の続編でのケロイドに犯されたミュータントたちはどうなってしまうのだろうか。