良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『映画はいつもワクワクさせてくれた…。』小中学生のとき、映画を観ることは特別な意味を持っていた…。

 映画をはじめて観たのはいつだろう。1970年代前半、大阪に住んでいた幼稚園児の頃に、親に連れられて観に行った『キングコング対ゴジラ』だろうか。それともうっすらと覚えているおそらくリバイバルに違いない『怪獣総進撃』だろうか。多くの作品を劇場で観たのだが、印象に残っていない映画も多々ある。理由は分からない。  普段テレビで見ていたゴジラを劇場の大きなスクリーン(今からすればかなり小さいのでしょうが、当時はテレビでも箱自体は馬鹿でかいくせに、ブラウン管は20型とかでも大きい方だった。)で観たのは言葉にしがたい経験でもありました。つまり、映画は大スクリーンで観るのがもっとも正しいのだ、という基本スタンスを得るきっかけになりました。迫力と音響、集中力と独特の一体感は家では得がたい。
画像
 テレビで観た映画、劇場で観た映画、それぞれにたくさん思い出があります。あまりお金持ちではなかったうちでは、映画にのめりこむ上で、とりわけテレビが果たした功績はかなり大きい。なかでも、NHKの夕方や深夜に放送されていた『リラの門』などヨーロッパ映画をできるだけ字幕版のものを選んで観るのが好きでした。なぜなら、吹き替えで観ると、俳優や女優の口パクが気になり、どうしても嘘っぽく感じてしまうからでした。  それでも主に経済的事情もあり、圧倒的多数で見ていたのは吹き替えものでした。高島忠夫水野晴郎荻昌弘、そして尊敬する淀川長治さんらが解説してくれる名画や珍品、話題作を毎週楽しみに見ていました。しかしいつも思っていたのは好きな映画を観たいときに観たいなあ、という素朴な思いでした。  のちにビデオが普及するまでは日本中のほとんどの家庭ではテレビ放送での一発勝負で見逃したらそれで終わりという環境でしたので、テレビを見るときの集中力は今の比ではありませんでした。ビデオがはじめて家に来たときの感動は今の人には理解できないでしょう。またレンタルビデオ屋が近所に出来たときのワクワク感もまた20代以下の人には分からないでしょう。  テレビ放送に戻りますと、70年代から80年代当時はほとんどが吹き替えで、二ヶ国語放送もありましたが、今度は意味不明になってしまうし、痛し痒しの状況が長い間、続いていました。というか、衛星放送やスカパーに入っていない人で、レンタルも借りない人は今でも地上波放送だけでしょうから、何も変わっていないのでしょう。  そういう環境の変遷がありましたが、6歳の少年が最初に興味を持ったのは東宝大映でお馴染みの特撮映画やアニメ映画でした。もちろんテレビも平行して見ていたので、映画ではありませんが、円谷プロ製作のウルトラセブンはいまでも僕の最大のヒーローです。ビデオ発売されたときも、DVD発売されたときもすぐにすべて見ました。
画像
 円谷プロ及び東宝のロゴを見たときは僕の中では名作である証明書のように思っていました。特撮界のJISマークとでも言ったら良いのでしょうか。円谷英二本多猪四郎田中友幸伊福部昭の黄金のカルテットをスタッフロールで観たとき、高野宏一・実相寺昭雄上原正三金城哲夫の名がウルトラセブンのテーマにのってクレジットされたとき、ぼくはなぜか子どもながらも安心感を得た。  「このおっちゃんたちのときはおもしろいはずだ!」という信頼感は特撮を観る上でかなり大きなものでした。それとは対をなすようにぼくは東映が好きではない。何か作り物というか、子供だましだなあ、と子どもの頃に感じていた。子どもは弱く発言権がないので、大人目線で、これはつまり、「子どもが見るのだから、これくらい(程度)でいいだろう…。」という姿勢で作っても、的確に見抜かれるのだ。  子どもが夢中になる特撮映画や番組、それを提供していたのが東宝であり、円谷プロであった。あったとあえてしたのは皆さんご存知の通り、その後、経済事情その他で、東宝作品も円谷作品も他社とあまり見分けがつかなくなってしまうからだ。そしてその後低迷していく。  ぼくが好きだったのは東宝特撮では『マタンゴ』、およびゴジラであれば『怪獣大戦争』まで、円谷作品でいえば、『帰ってきたウルトラマン』までである。それまでの作品のクオリティが尋常ではない高みにあるのだ。『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』、そして『恐怖劇場 アンバランス』。  『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』『獣人雪男』『キングコング対ゴジラ』『モスラ』『空の大怪獣 ラドン』『妖星ゴラス』『宇宙大戦争』『キングコングの逆襲』『ガス人間第一号』『サンダ対ガイラ』『ノストラダムスの大予言』など。書いていても、楽しくなってきます。ワクワクするような特撮映画は今はなかなかないのが残念です。最近楽しく観たのは『ゲハラ』です。チェ・ゲバラではなく、怪獣の方です。
画像
 気づかれた方も多いでしょうが、何故か特撮には抹殺されてしまった作品もかなり多いのです。ウルトラセブン第12話『遊星より愛をこめて』はいまだに欠番扱いのままで、円谷プロはその存在すら認めないくせに、ブログで該当話の画像を入れれば、著作権を盾に圧力を加えてきました。  『獣人雪男』『ノストラダムスの大予言』などもそうですし、『怪奇大作戦』の秀逸なエピソード『狂気人間』もまた、特撮史から抹殺されたままです。見せない事情も分かりますが、見せることによって、観るものに判断させる枠作りを検討して欲しい。CS放送では最初と最後に「おことわり」を入れることにより、これらの問題をクリアしていこうという姿勢が見える。その勇気を讃えたい。  特撮というと子供向けという方も多いかと思いますが、実はいわゆる封印作品と呼ばれる映画も数多いのです。前記した『獣人雪男』、小学生のときに見た『ノストラダムスの大予言』、『怪奇大作戦』の狂気人間、『ウルトラセブン』の幻のエピソード『遊星から愛をこめて』など今では見ることの難しいものもまた多々あります。子どもが見るのだからという訳の分からない理由は大人の事なかれ主義を子どもに転嫁するものでしかない。
画像
 つぎに特撮分野で大好きになったのはほとんどの少年たちと同じように『スターウォーズ』『スタートレック』でした。とくにダース・ベーダー、ジャバ・ザ・ハット、ヨーダをはじめとする人気キャラクターを数多く輩出したスターウォーズはキャラクタービジネスという新しい映画のあり方を提起する画期的なシリーズとなり、映画という範疇には収まらない巨大なビジネスとなり、世界中の特撮ファンに与えた影響は甚大でした。  小学校高学年、そして中学生になった頃はしばらく特撮とは縁遠くなり、その代わりにアニメである『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士 ガンダム』『伝説巨人 イデオン』などメカニック満載のアニメ全盛時代が到来し、夢中になっていました。前記の三タイトルはそれぞれ映画化され、ヤマトやガンダムはシリーズ化されていきました。このときのムーヴメントもプラモデルなどのキャラクターグッズが飛ぶように売れ、学校をサボってガンダムのプラモデルを買いに行く子どもが出てくるなど問題化していました。  またガンプラガンダム・プラモデル)欲しさに、悪い奴らが低学年や他校生徒にカツアゲをするという事態まで起こり、ぼくらの学校でも何人かの友達がカツアゲされたという話も聞きました。悪知恵のまわるワルは金持ちの子どもにたかり、映画やプラモなどを「借りる!」という名目で取り上げているのを見ました。ジャイアンなんて可愛いもので、実際は大人社会の縮小版でした。
画像
 大人がどんなに覆い隠そうとしても、厳しい現実は子どもにも襲い掛かってくるのです。カツアゲやたかり、いじめは暴力であり、未成年などという感覚は取り去り、12歳以下であろうと加害者は唾棄すべき犯罪者であり、加害者の人権などが過度に守られている現状は自然ではない。人間社会は力が弱くとも、抜け穴はあるものの法という知恵で解決できる唯一の動物なのですから、加害者には徹底した鉄槌を加え続ける必要がある。  話はかなりそれましたが、調子に乗った映画会社や製作会社は当然、サイドビジネスだけではなく、本業である映画も宣伝とともに量産され、ガンダムは結局三本作られ、第二作である『機動戦士ガンダム 哀戦士編』などは映画としての出来栄えもよく、いまでも三年に一回くらいの頻度で観ることがあります。  こうして見ていくと、少年時代で見た映画の大多数は特撮映画であり、アニメ映画であった。これだけであろうか。いや。パニック映画があった。ホラー映画があった。SF映画があった。『ジョーズ』は劇場に行った。前半20分以上はジョーズは出現しない。特撮映画の基本である。  どんな化け物なのかを想像させる演出。これは特撮やホラーの肝であろう。小学生時代に観た『エクソシスト』『オーメン』はトラウマのように心理に刻まれ、夜中のトイレはかなり怖かった思い出がある。人間が死んだらどうなるかというのは小学3年生くらいの頃、僕の中ではもっとも大きな人生のテーマだった。それに輪をかけたのが、前述した『ノストラダムスの大予言』であった。
画像
 何が凄いかといって、この予言をはじめて知った小学生時代以来、1999年7月だから、なんと20年以上も僕の心のどこかに重石のように存在し、「どうせ、みんな7月に死んじゃうんだもんなあ…」という思いを抱かせ続ける作品となったのだ。予言はいつのまにか「テポドン通天閣に墜ちるんだ!」とかだんだん訳の分からないものになっていったが、7月が過ぎるまでは不安でした。
画像
 こんな馬鹿な思い出はともかく、特撮映画が与えてくれた影響が甚大であったことに改めて気づかされました。あれ?じゃあ、ぼくが他の映画に目覚めたのって、いったいいつだったのだろうか?黒澤映画には小学生時代には『影武者』でもうめぐりあっていましたし、中学生時代には『椿三十郎』のビデオを何度も見ていた記憶があります。『乱』も『夢』も劇場に観に行きました。  外国映画はどうだったろう?『西部戦線異状なし』も小学生時代に見ましたし、『史上最大の作戦』『ナバロンの要塞』『荒鷲の要塞』も高学年のときに、『Uボート』も中学生時代に見ていました。外国映画ではありませんが、『太平洋戦争 奇跡の作戦 キスカ』『日本の一番長い日』などは終戦記念日あたりに深夜でよく放送されていた記憶があります。  ちなみに中学生のときにもっとも強い印象を残した映画が『ゴッド・ファーザー』であったことを最後に付け加えておきます。機会があれば、今度は黒澤・溝口などの日本映画の巨匠、そして海外の映画などとの出会いについて書いてみたいと思っています。