良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ハーツ・アンド・マインズ』(1974)ベトナムの?政治家の?いったい誰のための戦争だったのか。

  1960年代のベトナム戦争時に、ソビエト中共の主導する共産主義から民主主義を守るためという錦の旗の下、今も昔も自己本位的なアメリカ軍がベトナム現地で行った数々の残酷な行動の記録映像のなかでも、とりわけ有名な映像が二つあります。  第一は市街戦で捕らえた、まだあどけなさが残る少年ゲリラの頭部を憲兵かどうかは知りませんが、兵隊が至近距離から、つまりこめかみに突きつけて、無造作に拳銃で撃ち抜く戦慄の走るシーン。撃たれているのを見ていたサングラス姿のGIも特に何の感慨も感情もなさげでした。     戦争ドキュメンタリー特集、ニュース映像などでも頻繁に流される有名な映像ではありますが、何度見ても気分が悪くなります。いったい彼が何をしたのだろうということは全く語られず、彼がどういう人生を送ってきたのであろうかということも一度も触れられたことは無い。  ただベトナム戦争の悲惨さと衝撃を与えるために、戦後40年以上ものずっと長い間、アメリカ人の撮ったフィルムに定着するために彼は存在してきたわけではない。彼は映像ではなく、人間だったのです。死後もゴミのように放置される人生、殺す側と殺される側の差はなんだろうか。
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 もうひとつはベトナム戦争時に枯れ葉剤の大量散布とともに、もっとも有名な武器となったナパーム弾が撃ち込まれた田園地帯から逃げ出してくる子どもたち、なかでもナパームのせいで背中にケロイド状の火傷を負ったまま、阿鼻叫喚のなか、命からがら全裸の少女が走ってくるシーン。  彼女に関しては今も生存が認めれる。いまから10数年以上前のことになりますが、ドキュメンタリー番組で、成人したこの少女がいまも当時受けたナパームの傷跡を抱えながらも、生き抜いている様子が放送されたのです。  どちらの生き様も強烈な印象を観る者に与える。これらの映像もしくは画像は通常モノクロ処理で放送、もしくは掲載されてきました。なぜならば、カラーでこれらを流すのはかなりグロテスクだからという判断でしょう。しかしこれら冒頭の二つはオリジナルであるこの映画にはカラーで収められている。つまり第一のシーンでは射殺されたあとにアスファルトに叩きつけられた彼の後頭部からの激しい流血が映されている。二つ目の火傷のケロイドも鮮明とは言いがたいが、カラーなのです。
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 モノクロにしてしまうと、どうしても大昔の映像のように映り、他人事のように感じてしまう可能性が高くなってしまう。これは本来の事象や痛みの感覚を著しく歪めてしまうのではないでしょうか。ピーター・デイヴィスの意図がどうだったのかは定かではありませんが、これらの映像をモノクロで流すとだいぶんと強烈さが和らいでしまうのです。  映像としてはもっとも衝撃的なのが上記の二つです。そして、もちろん、この映画はそれだけではない。個人的には戦闘で散ったのであろう戦死してしまった息子の葬儀に参列していた母親、そして残された遺児たちが泣きながら父親のお墓にすがりつくシーン、田園地帯で何も無いところに爆撃を受けたために父親以外の一家全員が死傷した家の様子など被害を受けた国の様子は痛ましいものばかりです。
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 米兵も自分たちの行為に対して、自信が持てなかったようで、自由のために来たはずだが、実際に行ったこととのギャップに悩んでいます。徴兵忌避をしてカナダに逃亡するも結局はアメリカに戻ってきて裁かれている兵役義務者とその家族の別離のシーン、国のためというお題目のもとに戦って帰還したのに轟々と非難を浴びてやるせなさがにじみ出えいる復員兵のインタビュー(彼は戦闘で足を失っている。)なども印象に残っている。  ドキュメンタリーらしく、数多くの関係者、下級軍人、現地人、米軍首脳、復員兵、戦没者の遺族などのインタビューがあり、各々の立場があるためか、そこで語られる言葉は衝撃的なものも多く、むしろ映像よりも圧巻です。  捕虜を二人、軍用ヘリコプターに乗せて上空で始まる尋問について語る下りもあります。ひとりは口が軽そうな捕虜、もうひとりは口が堅そうな捕虜を連れ出し、「しゃべらないと落とすぞ!」とどやしつけ、片方を放り出す。残された方は泣きながら、何でもしゃべりだす。その行為を「噂で聞いたことがある。」として語る復員兵。  おそらく自分も加担したのであろうが、それについては何もいわない。柘植久慶の著書のなかで、実際にこういう行為を行ったという記述があるので、日常茶飯事的に行われていた尋問方法なのでしょう。アメリカ人はアジア人の命などなんとも思っていないのでこういった所業を平気でやるのでしょう。  もっと酷いのはおそらくべトコンの捕虜と思われる若い男への尋問シーンで、米兵が取り囲み、彼の下半身を露出させた挙句、ライフルの銃口で彼の顔を突き、腹を足蹴りにする様子がはっきりと映っているのです。下半身もノー・カットで映っています。撮影に気づいた彼の怒りの形相は忘れられません。
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 この作品で語られる多くのインタビューのほとんどの言葉が自らの残虐行為への反省ではないのがアメリカらしい。日本ならば、反対に反省一辺倒だけのドキュメンタリーを作ったでしょう。バランス感覚の無さが日本の欠点です。アメリカ人にかぎらず、外国人は常に自己を正当化する。日本の美点はナイーブでしかないのかもしれません。狡猾な中国や北朝鮮とたいするには国内とは違うスタンダードで対応する必要がある。  この作品を見る人は、アジア人を人間と思っていない米軍首脳や下級兵士の言葉に誰もが怒りを覚えるでしょう。アジア人の命は白人より軽く、殺されても構わないのだ、という根底にある差別思想が見え隠れする。老若男女も区別無く、ベトナム人を射撃したり、爆撃することが単なるゲームなのだ、と普通に語る復員兵の異常さは理解できません。  現地での様子を語る復員兵からは「ちょろちょろしてむかつくから射殺した。」という言葉も飛び出します。ジョンソン大統領やボブ・ホープタカ派的発言をしていますし、戦争のジョークも受け狙いで飛ばしています。
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 So we must be ready to fight in Viet-Nam, but the ultimate victory will depend upon the hearts and the minds of the people who actually live out there.(われわれはベトナムで戦う準備せねばならないが、究極の勝利はそこで実際に生き抜いている人々の心と意志で決まるのだ!でしょうか?)  ジョンソン大統領は演説でお気に入りだったらしい「 the hearts and the minds」というフレーズを、 この戦争の国威高揚キャンペーンのタイトルとした。いまとなってはなんとも皮肉なタイトルになってしまったものです。住民の支持を得られないから当然のように失敗した。アフガンやイラクでも同じようなことになっています。何も学んでいないのでしょう。  復員兵へのインタビューで、殺人ゲームについてむしろ嬉々として話していた彼らが、インタビュアーに「あなたの子どもが同じ目にあったらどう思いますか?」という質問をぶつけられると、思わず絶句し、「想像したくない。」といってしまう無責任さを見て、あなたはどう思うだろうか。
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 軍人とは自分たちが行ったことに対して、それがどんな残虐行為であっても、国の命令だからというお題目のもと、すべて正当化してしまい、反省しません。すべては他人事にすぎないのです。それが出来なかった人々は兵役から逃げたという理由で投獄されたり、逃亡し続けねばなりません。  正義とは何か。所詮、アメリカの利益のことでしかないのか。フィルムは淡々と関係者のインタビューと衝撃的な映像でつむがれていきます。この冷静さが不気味で、より深刻にこの国を蝕んでいった過程を映し出しているようです。現地で売春婦を普通に買う兵隊たち、そして彼らのセックスの様子を普通に撮影しているスタッフたち。さらに敵方のフィルムに撮影されているにもかかわらず、顔を隠さず、ニコニコしながら抱かれているベトナムの女たち。狂っています。  戦争は狂気だともっともらしく言う人もいます。しかしここにあるのはそんな感覚を通り越したあとにある虚無感なのかもしれません。みな力の無い眼をしている。兵隊も、将校も、女たちも澱んでいる表情と感情の無い笑いを投げかける。地獄とは激しい痛みがあるから苦しいのではなく、何もないから苦しいのだ。
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 喜怒哀楽を忘れさせる世界、それが当時のベトナムだったのでしょう。特にアメリカ人にとってはベトナム戦争アメリカ建国以来、初めて味わったであろうほろ苦い挫折であるのは間違いない。これだけ何度も映画化されること自体、かの国があの戦争とは何だったのだろうという回答を模索し続けている証ではないだろうか。  現在、この作品のDVDは日本では発売されておりません。80年代後半に、『プラトーン』がヒットしたときにどさくさにまぎれて、一度ビデオ化されましたが、その後は放置され、現在に至っております。ビデオ自体はヤフオクやアマゾンで比較的安く取引されていますので、興味のある方はオークションその他に参加されてはどうでしょうか。 総合評価 85点