良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『フェイズ IV/戦慄!昆虫パニック』(1974)演技するアリに驚かされる。スタイリッシュな映像美!

 日本ではTV放送のみの未公開映画らしく、『戦慄!昆虫パニック/砂漠の殺人生物大襲来』『昆虫パニック』『SF超頭脳アリの王国・砂漠の殺人生物』など放送のたびに数々の邦題が東京12チャンネルによって付けられていて、ファンの記憶を混乱させています。  度々の改変は視聴者に一本の作品を別個の複数作品と誤解させてしまう恐れもあるので、適当なその場しのぎをされると長い年月が経ってから思い出しにくいので勘弁して欲しい。ぼくがこれを見たのは多分1978年から1982年までの間でしょう。タイトルをしっかりと覚えていなかったのですが、アリの知性的な攻撃シーンが鮮烈だったのをぼんやりと覚えていました。

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 しかしながら、タイトルにいつわりありで、カメラはパニックにはなりえない科学者対アリの集団の陰湿かつ知的な知恵比べによる殲滅戦を冷静に切り取っていく。どちらも知性的なので、アリの猛毒が回って、判断力が低下していく博士以外は冷静に行動しています。もっとも最後は皆がコントロールされてしまいますし、彼らのほうが知性が高いというなんとも皮肉な結果も待っています。  作品は宇宙から降り注いでくる放射線の影響で、生物に劇的な変化が起こり、地球上の現在の支配種である人間対被支配種(アリ)の戦いが静かに始まるところから始まる。

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 条件的に弱い立場にある初期段階において、弱者が強者にどうやって挑んでいくかという人間世界でも世界中のあちこちの紛争にも見ることが出来る、貧者の戦略を描いた傑作でもある。  第一局面はアリが人類に敵対する資格、すなわち知性を得たことの確認であろう。彼らの強みは団結力と自己犠牲の精神、環境順応能力とその迅速性、そして何よりも圧倒的な個体数にあります。

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 まずはアリ種族内の利害関係を調整し、彼らを餌にする蜘蛛や蜥蜴、蟷螂などに集団で襲い掛かり、優位性を高めていく。つぎに幾何学を理解するようになったアリたちは彼らの意思の象徴として建造物を構築し始める。それは蟻塚であるが、モニュメント的な幾何学的形状を持ち、自らの領地を誇示するようにあちこちに証を残す。  当然、こういった変化は人類に感知されるが、人類の多くはその危険性に感づいてもおらず、一部の科学者たちも危険性より、知的好奇心をくすぐる実験対象としてしか認識していない。

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 第二局面は人類との局地戦の始まりであろう。この来るべき支配者になる可能性を持った種族は人類との戦闘を開始していく。ただし最初に仕掛けたのは人類であり、彼らの文化の発達の象徴であった建築物である蟻塚を完全に破壊してアリたちの出方を探る。  メタファーとしては自分たちが理解できない宗教や文明への弾圧だろうか。もともと攻撃的な種族であるアリは人類との戦いを選択し、手始めに農家(食料地帯)に攻め込み、壊滅させる。そのときガソリンの堀に溺れ、焼死するのを避けるために彼らは船を建造し、人間の罠をスルーしてくる。

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 農家の娘だったリンはこのときのアリによる襲撃から唯一生き残り、安全地帯であった研究所に助けられるが、素人である彼女のある行動(感情に任せて、施設の設備を一部破壊してしまい、捕虜となっていたアリに脱走されてしまい、農薬の免疫を作られてしまう。またこのとき博士は毒アリに噛まれて負傷してしまう。)により、戦局は人類に不利な方向へ進んでいく。  この農薬サンプルを研究所から女王アリの待つ蟻塚へ運んでいくときのアリたちの自己犠牲をものともしない必死な行動に驚かされる。彼らは致死性の猛毒であるサンプルを決死の覚悟で巣まで運んで行く。一匹の命が尽きると、次の一匹がそのあとを継ぎ、死ぬまでサンプルを運んで行く。これをひたすら繰り返していくので、まさに死のリレーとなり、死屍累々の山が出来ていく。

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 そしてついに女王アリのところまで持っていくと、女王はこの猛毒を体内に取り入れ、耐性力の強い新種を生み出していく。つまり人間の知恵にフィジカルで対抗していくのです。  第三局面は膠着状態に陥るものの、小さな侵略者であるアリたちの人海戦術(?)と戦略のためにもろくも敗北を喫する人類の没落の始まりであろう。この最初の戦いはけっしてアリの全面勝利というわけではない。

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 多数の死者を出したアリたちがなんと瓦礫の中から戦死者たちを担ぎ出し、集団埋葬するシーンがあるのです。整然と並べられた死者たちを埋葬するときの生き残ったアリたちはまるで復讐を誓うような怒りを表現している。  このシーンを見て思い出したのはなぜか『風と共に去りぬ』でヴィヴィアン・リーのアップを映し出してから、クレーンがどんどん引いていくと、多数の傷痍兵が道に横たわっている、あの名シーンでした。

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  過去作品へのオマージュ的なシーンもあります。アリたちに襲い掛かられて死んでしまったリンの家族の手の平から多数のアリたちが這い出してくるシーンがあるのです。これは間違いなく、ルイス・ブニュエル監督の衝撃的だった『アンダルシアの犬』からの流用でしょう。  話を戻しますと、彼らはまずは人類が依存しているものを探り出し、破壊していく。それは電力設備である。電気がないとコンピューターなどの制御装置がまったく使用不可能になり、一気に形勢が不利になっていく。その破壊の仕方はアリお得意の人海戦術であり、兵隊アリ(働きアリか!)が電気コードを噛み切り、蟷螂もコンビプレーで倒し、電力をショートさせる。

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 また砂漠地帯の猛暑の下、エアコンを使用不能にした後に、温度に弱い人類の弱みを突き、太陽光を利用した巨大なモノリスのような虫眼鏡的な鏡を作り出し、反射光を研究所に照射して、精神的に人類を追い込んでいく。ここまでくると本当に凄いとしか言いようがありません。かれらは研究所内にも侵入を果たし、リンにマインド・コントロールを仕掛ける。  そして第四局面はこの戦いに勝利したアリたちは人類をモルモット化して、敵としての人類を研究し終える。アリたちの時代の幕開けが朝日と共に高らかと宣言される(実際にはしゃべらないですよ!)場面で物語は閉じられる。これって、もっと話題になってヒットしていたら、『猿の惑星』と同じように続編が作られたのかもしれません。

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 まあ、当然監督を務めたソウル・バスは続編などには興味はなかったでしょうから、脚本家たちがその後をでっち上げて、ハリウッド的に捻じ曲げていったことでしょう。たとえばパート2でテレパス化したアリか、頭脳に入り込んだアリが人間を乗っ取り、生体アンドロイド化して、人間の中枢機構に侵入していくとかで終わったりする。  第三弾ではアメリカ大統領になったアリ人間がアリに都合の良い法律(どんなのかは分からないけど、殺虫剤は強いのを認可しないとか?)をどんどん成立させたり、ワクチンと称して、アリの言いなりになる注射を全国民に義務化するとか。

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 まあ、バカらしい話ではありますが、この映画を見終えた後にはすぐにこんな感じの続編とか出来るかもしれないなあとか妄想で遊べました。これって、特撮やSFで本来あって欲しい余韻の残り方だとは思います。つまりその後の作品世界を予想して楽しむということです。  たとえばゴジラとかを見終わってから、壊された街は修復するのに何年掛かるのだろうとか、倒された怪獣は死体なのですから、腐臭が漂う前にどう焼却処理するのだろうかとか、けっこう誰も考えないのでしょうけど、こういう楽しみ方もして良いのかなあとか妄想を広げると楽しい。

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 具体的に映像の凄さを見ていくと、アリたちを接写で捉えた圧倒的な映像美とアリによる“演技”をどうやって撮影したのかがまったく分かりません。さまざまな種類のアリたちに演技をさせていて、彼らの哀愁や感情までを感じさせてくれる描写の多くに驚かされます。  またこれはハイビジョン化のおかげなのですが、アリたちのうぶ毛や触覚が細かいところまできっちりと写っているので、驚いてしまいます。もともと小さくて気味の悪いアリですが、さらに細かすぎて気持ち悪さが増幅されています。ネズミに襲い掛かり、数分で骨と毛だけにしてしまうハイスピード映像には「うえ~っ!」となります。

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 監督を務めたソウル・バスはグラフィックの天才で、ヒッチコック監督の『めまい』『サイコ』は彼の代表作でしょう。あちこちにグラフィック・デザインが導入されていて、『2001年 宇宙の旅』でのスターゲイトを思い出しました。  それと余談ですが、『ゴジラVSビオランテ』において、ゴジラの活動状態によって第一段階(Gの存在の確認)から始まり、第四段階(Gの日本本土への上陸)までをコンピューター画面で映し出し、ご丁寧にも作戦中のGをターゲットとして捉えるためにグラフィック・デザインを使用しているところなどは随所にこの映画からの影響を受けているのではないかと思いました。

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 ちょっとマッド気味の科学者役のナイジェル・ダヴェンポートはSFにはよくいるタイプでしたが、なんだか感情移入しにくい。実際の主役はマイケル・マーフィが演じた冷静に侵略者たちとコミュニケーションを取ろうとする音声を研究する科学者です。リン・フレデリックが演じた19歳のヒロインはのちのちかなりエロティックな役割を果たします。  彼女は人類初のアリに飼われるアダムとイヴになってしまうのです。アリたちの(人間は敗北してしまう!)研究の一環として、40歳過ぎのオッサンと19歳の彼女が砂漠の蟻塚の入り口に落ち込んでいった底にある丸い砂のベッド(ラブホテルみたいでなんだか笑える!)で交わるシーンはスキャンダラスでした。

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 彼より先に、侵入してきたアリによって、研究所にいるうちに肌を舐めるように這いずり回られた挙句に、精神をコントロールされてしまう彼女は賛美歌を歌いながら、研究所を飛び出して、蟻塚に捕らえられてしまう。  このときのアリが這い回る描写も同じブニュエルの『小間使いの日記』でのカタツムリが少女の身体を這い回るシーンを思い出させました。けっこう変態的な描写も多い作品ですが、あまりみなさんは気にしていないようです。

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 女王蟻を倒すために、蟻塚の入り口(膣口)から侵入したマイケル(精子)は蟻塚内部のトンネル(膣内部)を転げまわりながら暗闇の底(子宮)に導かれる。暗闇の底(子宮)に到達したマイケル(精子)はリン(卵子)と巡り合い、交接する。蟻塚自体が女性器のメタファーなのです。 新しい生命の始まり、新しい支配者の登場でもある。  交わった後がさらに強烈で、実験動物なのか、蟻たちの代表なのかよく分からない立場になったマイケルとリンが蟻たちと共に砂漠から昇ってくる真っ赤に燃える朝日を見つめるシーンで終わる。

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 ところがこのシーンがくせもので、ぼくは今回久しぶりにこの映画を見たときに、この太陽を最初に夕陽、つまり人類の終わりの象徴として無意識のうちに捉えました。  しかし、シーンが進むにつれて、この太陽が昇ってくることに気づきました。つまり、勝者であるアリ視点でエンディングを迎えているのです。アリの文明が始まることを告げているのです。ディストピア的世界観に打ちのめされる。

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 なんと強烈なエンディングなのだろうか。支配者と服従する者がすでに入れ替わろうとしているのです。冒頭の太陽では蟻は脅威になりつつあることを表しているようでしたが、結果、科学者たちとの局地戦に勝利する。悪夢ではありますが、神と人間の戦いでもあるように思う。  この場合、冒頭での人間は蟻にとっては巨大な神のような存在であり、彼らに挑んでいく蟻たちは自然に適応するだけではなく、快適にするために妨害になる状況を打破していくのは人間の歴史そのものでもある。人類にとって、立場を脅かす存在になろうとしているアリは物言わぬ、不気味で脅威的な悪でしかない。

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 反対にアリにとって人類はまさに最強最悪な敵対者であり、彼らの栄華を築いていくには衝突は避けては通れない。体制と反体制、これは人類の戦いの歴史とも重なるし、アリたちの種族内の歴史でもある。これを超越したアリは新たな支配者としてのステージに進みつつあり、団結できない人類は破滅に向かう。  つまり立場によって変わってしまう善悪という価値観はこの映画において無価値である。また団結し得ない種族は最終的に滅んでいくというメッセージでもあるのだろうか。ちなみにこの作品は過去に日本版VHSがありましたが、DVD化されていません。海外版ならば、PC視聴できますので、興味のある方は一度は見てください。 総合評価 95点

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