良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『A級とB級の違いは何?』よく言われる“B級”だが、その定義は何だろう?

 映画評などを読んでいると、よく「この映画はB級作品だ!」とか「こりゃ、最低のZ級だ!」とか書かれているのを目にすることがある。いったい彼らの言う“B級”“C級”“Z級”とかの定義はどこからきているのだろうか。

 そもそもA級作品とは文芸映画、B級は娯楽映画だったと思います。またアメリカのメジャー映画会社フォックスがサイレントからトーキーに映画が変わっていく過程において、トーキーを扱うために新築されたスタジオ(A)で撮影される作品をA級、それ以前から使用していたスタジオ(B)で撮影される作品をB級とするのも語源のひとつでしょう。

 大規模な予算とスター俳優を起用しての社運を賭けるような作品をA級、上映時間が80分以下程度で予算、俳優ランク、撮影期間が安上がりな作品をB級と呼ぶ場合もあるようです。

 また我が国でもあったように、2本立て興行が主流だった頃、メイン映画の添え物となった2作目のことをプログラム・ピクチャーと呼んでいたので、これらをB級と考える人もいるでしょう。

 いずれも映画の本質に迫ったものではありません。せいぜい設備が最新のスタジオであったか、資金がどれほど掛かっているかくらいしか分からない。それなのに表現だけが先走りしている。なんだかおかしい。それで今回は今までとちょっと違う独自の“B”を定義してみようというお遊びの記事です。

 まずは映画の質を決定する要素を7つほど挙げてみます。

①メジャー作品(アメリカならハリウッド、欧州アジアではメイン映画会社と考えます。)

②潤沢な資本

③有名監督作品もしくは有名プロデューサー作品

④スター俳優起用

⑤古典的なストーリー展開

⑥娯楽映画か文芸作品か

⑦公開劇場の多さ(公開国の多さ)

知名度

⑨次世代への影響

 大まかにみていくと大体こんな感じでしょうか。

 

 では具体的に見ていきます。

①メジャー作品(アメリカならハリウッド、欧州アジアではメイン映画会社と考えます。)

 アメリカではパラマウント、ワーナー、コロムビア、フォックス、ユニヴァーサル、ディズニーなど今でも存続する会社だけではなく、MGM、ユナイテッド・アーチスツRKOなど今はもう倒産してしまっているが、かつては繁栄を築いたスタジオも含む。

 また日本でいうと日活、松竹、大映東宝東映など五社協定を組んでいた大会社はメジャーと呼んでも良いでしょうし、ヨーロッパだとゴーモン(フランス)、UFA(ドイツ)などもメジャーでしょう。

 イメージとしては有名なハリウッドやシネチッタなど広大な敷地にロケ・セットを組めるようなメジャー・スタジオ作品であれば、A級としてみる。反対に独立系製作だとB的かもしれません。①を満たした上で5個以上当てはまる作品。

 例えば『風と共に去りぬ』は①②③④⑤⑥⑦⑧⑨が当てはまるでしょう。ただ何分大昔なので、比較的新しい作品で見ていくと、例えば『タイタニック』だと⑥以外の①②③④⑤⑦⑧⑨を満たします。

 『サウンド・オブ・ミュージック』だと④についてはジェリー・アンドリュースはこれが出世作品であり、かつ世界的に有名な代表作品でもあるので基準を満たすものと考えます。①②③④⑤⑦⑧⑨が該当します。

②潤沢な資本

 

 潤沢な資本には撮影期間の長さ、上映時間の長さ、ロケーション撮影の多さ、特撮等の最新技術の使用、大量の宣伝、衣装や小道具等のこだわりなども含まれます。簡単にいうと映画の質を高めるための経費を惜しまない企画がA級でしょうか。

 メディアを使った宣伝、現在ならばタイアップした企業との広告契約、サントラ盤やノベライズ本とのタッグなど映画の内容よりも観客動員を第一に考える映画がA級でしょう。

 ここには製作費用はもちろん、製作期間が長い作品が含まれる。特撮やセットが作品の質を押し上げるスペクタクル物などが分かりやすい。

③有名監督作品もしくは有名プロデューサー作品

 クラシックではD・W・グリフィスチャールズ・チャップリンなど作品へのスタジオの介入を許さないほどの発言力のある監督のことを指す。ジョン・フォードハワード・ホークスアルフレッド・ヒッチコックなどは娯楽映画を撮る職人監督という括りが適当でしょう。

 彼らが正当に評価されるのはヌーヴェルヴァーグの到来を待たねばならない。彼らが撮った映画こそ、B級映画、つまり娯楽映画だと思っています。ただしヌーヴェルヴァーグ以降でもすでに40年以上は経っており、当初のB級も古典化しているものも多いので、彼らもA級の巨匠としても良いのかもしれません。

 有名監督作品またはプロデュース作品なのか無名なクリエイターかというのはリアルタイムでしか分かりませんので、常に新作も観ていかねばならないということになります。

④スター俳優起用

 ハリウッドのアイコンであるチャーリー・チャップリンリリアン・ギッシュメアリー・ピックフォード、クラーク・ゲイブル、エリザベス・テイラーグレース・ケリーらは文句なく正統派のスター俳優たちでしょう。マリリン・モンローハンフリー・ボガード、リタ・ヘイワーズらも大スターではありますが、メイン・ストリームとは違う気がします。

 それでも監督のところで言ったように、時間の経過と共に名作の位置付けが変わってきているので、彼らもA級として良いでしょう。

 現在なら、トム・クルーズアンジェリーナ・ジョリー、キャメロン・ディアズなど娯楽映画のスターが圧倒的な人気を誇るわけで、文芸映画はほぼ皆無でしょうから、お客さんを劇場に呼べる俳優をA級と見なします。

⑤古典的なストーリー展開

 いわゆるハッピー・エンドを迎えたり、勧善懲悪で悪は必ず罰せられる決まりごとを遵守していたり、悲劇を悲劇として描く悲恋の物語などもこの古典に含まれる。フラッシュバックを使わずに、時系列どおりに物語を進める。⑤古典的なストーリー展開か捻りを利かせた個性的な語り口か

⑥娯楽映画か文芸作品か

 特に説明の必要はないでしょう。

⑦公開劇場の多さ

 公開劇場の多さ(世界的に公開されたか全国一斉公開や全世界公開などにより、短期間で一気に資金回収を図る映画など。現在では公開後にすぐにペイパービューでのテレビ局放送をして、その後にDVD化して発売したり、レンタルで回転させていくことで資金を回収するので、大昔の都会では綺麗なフィルムで観ることが出来ましたが、二番館、三番館などになると劣化したフィルムを同じ料金で観ねばならないという不合理なシステムでした。

知名度

 まあ、アジアの片隅の我が国でも普通に鑑賞できる状況ならば、その映画は世界的な知名度を持っているのではないか。アメリカ人は英語でないと観ない、つまり字幕版を観る習慣がないとも言われていますので、もしかするとぼくらよりもヨーロッパ映画を観ていない可能性もある。

⑨次世代への影響

 のちのクリエーターたちがその手法を模倣するような作品には映画史的にも価値があると言える。たとえば『勝手にしやがれ』や『戦艦ポチョムキン』などのような作品をイメージします。またカルト映画的な熱狂的なファンを持つ映画、たとえば『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』『エルトポ』『悪魔のいけにえ』などは次世代への影響は甚大ですが、低予算映画ですのでA級とは呼べない。

 B級は上記の条件が四個以下の作品。ただし⑨の次世代への影響がある作品というのをこだわっていきたい。『マルタの鷹』を例にとると、①③④⑤⑦⑧⑨が当てはまるので、A級と判断します。ただこのやり方だとB級映画では屈指の傑作である『狩人の夜』に当てはまるのは⑧⑨のみになってしまう。

 ここにこの判定法の難しさと限界があります。思いつきで書いてみましたが、B級の定義はけっこう難しい。そこで、新たなルールを作っていきます。

①次世代への影響が大きい。

 撮影当時は職人監督としてのマイナー・イメージしかなくとも、何十年も経ってから高い評価を受ける監督作品。たとえばヌーヴェルヴァーグに影響を与えたジャン=ピエール・メルヴィルアルフレッド・ヒッチコックハワード・ホークスジョン・フォード(彼は生前から大御所でしたが、西部劇専門のジャンル映画監督に近かった)、ジョージ・A・ロメロらは今では映画人から尊敬されていますが、正当な評価をされる前は職人という位置付けでした。

②暴力描写、残酷描写、撮影法などで映画ファンの話題になる。

 ①とリンクしてきますが、予算も少ないし、期待されていないような時期こそ、創意工夫で好き勝手にやりたいことをやりたいようにやる監督が多い。また特に第一作目にはその監督の一番出汁が出るので、そこにきらめきがあるので、そこを見逃さないようにしたい。

 第一作目ではありませんが、ミヒャエル・ハネケの『ファニー・ゲーム』などは暴力的で殺伐とした雰囲気が賛否両論を呼びましたが、作品としての質は高い。このへんを感情だけで判断しないようにしたい。

③何度も観たくなる、もしくは観てしまう。

 食べ物で例えるならば、A級を“美味しい”と仮定すると、B級は“うまい”という感じでしょうか。つまり毎日でも食べたくなる映画、何度で観ても飽きがこない映画をB級としてはどうだろうか。 

 

 こうやって見ていくと、『スターウォーズ』(1977)や『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1969)などはマスター・オブ・Bと呼んでも良いのではないでしょうか。

 つぎにB級以下の映画とはどんなのだろうか。C級映画について整理していきます。金が掛かっていないのは当たり前、製作期間は短く、出てくる役者は見たこともない大根役者ばかりでぜんぜん感情移入できない。

 すべてが安っぽいのだが、時間つぶしくらいにはなるというのを見せ物映画のC級としてはどうだろうか。するとロジャー・コーマン作品群はすべてこのランクに位置づけられるのではないだろうか。

 ただはっきりさせておきたいのは堅苦しいハリウッド映画にはない、隙だらけの開放感がある独立プロ系の低予算映画の良さがあり、このスカスカ感が心地よく、魅力的なのです。

 じっさいぼくはロジャー・コーマン監督作品をけっこう購入していまして、『地球最後の女』『呪われた海の怪物』などを持っています。友人がこれらを見たときに「なにこれ?」という目で冷ややかに見ていました。チープだけど、なんともいえない味がある作品群がC級としたい。

 つぎに出てくるのがD級。これはとりあえず作ってみましたという感じがありありの“やっつけ仕事”かつ愛情の感じられない不幸な映画で、劇場でお金を払って見ているのだけれど、耐えられなくなって途中で出てきてしまうような映画をD級と呼びたい。

 思い出すのは『模倣犯』『デビルマン』『ピンチランナー』みたいな心のこもっていないフィルムのかたまりです。ビデオやDVDで借りてきても、「もういいや…」と途中でストップするような駄作のことです。

 それ以下をZ級とすると、酷すぎて、まったく記憶に残らない作品をこう位置づけたい。つまりD級まではなにかしら記憶の片隅に傷を残すが、このランクの作品群はなにを観たかも次の日には覚えていないような昭和の地上波の東京12チャンネルなどで夕方や深夜にやっていたような名前も出てこない作品です。

 まあ、もちろんこのような地上波の放送枠は玉石混同でたまにとんでもなく素晴らしい作品『裸のジャングル』などにも出会えるときがあるので油断は出来ない。

 こんなかんじでいろいろ好き勝手に書いてみましたが、ご自分の中の“B”の定義があれば、いろいろとコメントをいただければ幸いです。

 それでは良いお年を!