良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『闇のカーニバル』(1981)高度経済成長に取り残されたマイノリティの人々が蠢く新宿の夜。

 山本政志監督作品でもっとも有名なのはおそらく『ロビンソンの庭』でしょうが、ぼくが一番衝撃を受けたのはこの『闇のカーニバル』でした。  冒頭とラスト・シークエンス、中間部にほんのワン・カットのみにカラー撮影が採用されていて、本筋はすべてモノクロ撮影という80年代にしては奇妙な作品です。  いわゆるパート・カラーというのは大昔のポルノ映画のようないかがわしさや猥雑さを連想させる。おそらく撮影許可などを取っている様子がなく、ゲリラ撮影の独特な緊張感と魅力があります。お金のないインディーズなので、その時々のフィーリングで判断して、少しでも面白いものを撮ろうとしたのでしょう。
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 日本人の大半が高度経済成長をひた走り、経済の繁栄こそが絶対の幸福であると信じられていた時期に、新宿二丁目界隈の夜には暴力と覚醒剤、ホモや変質者が蠢いている。この映画の凄まじさはモノクロになってから現れてきます。  主人公は太田久美子です。彼女が百貨店の化粧室で赤い口紅を引いた刹那、画面は赤の余韻を残しながら、モノクロに変わる。彼女を見たときにすぐに思い出したのは東京ROCKKERSの一員としてリザード、ミラーズ、SS、フリクションらとライヴに出演していたMr.KITEのボーカルのジーンでした。   映画の冒頭でバンドを従えた彼女は引きこもるような閉鎖的な空間を作り出しています。彼女を取り囲むように当時のインディーズ・シーンでは有名だった遠藤ミチロウ江戸アケミらが蠢いている。
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 インディーズのファンからすると流れる音楽が素晴らしく、じゃがたら、コクシネル、AUTO-MODなどが参加しているのはかなりポイントが高い。当時のインディーズのレコード(今では大半がCDになりましたが)をまだ持っていますが、残念ながら映画で使われている音源を所有していませんので、曲名が分からないのが悔やまれます。  退廃的な雰囲気や鬱積したエネルギーの暴発を描くこの作品には彼らの衝動的な音楽こそが必要だったのでしょう。ライヴ・シーンの直後に暴漢に襲われて、血みどろになって床をのたうち回るのが遠藤ミチロウです。  お話しに戻ります。山本政志監督にとってこの作品はどういう位置付けだったのだろうか。『ロビンソンの庭』に進むにはここで剥き出しの怒りや有り余る体力と衝動、そして悪趣味な表現をすべて出し切る必要があったのでしょう。  ありったけの悪意やマイナスの感情を吐き出したのがこの作品だったのだろうか。彼の剥き出しの悪意は鮮烈な印象を観客に与えてくれます。公衆電話に銃弾を浴びせるヒロインと電話ボックスのガラスに入った弾痕と亀裂の間から彼女を見つめるカメラ。しかも使用していたのは改造拳銃だったそうな。
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 胡散臭いホモのオッサンに犯されながら絞殺される男娼の若者は死後に仲間たちによって有り金を剥ぎ取られ、残った金でバルサンの煙とともに葬られる。なんてシュールなシーンだろう。  彼は男に後ろから犯されて、紐で首を絞められて死んだという恥にまみれた死に様を仲間に隠してもらい、首吊り自殺を選んだように公園に吊るされる。悲惨ではあるが、プライドは守られる。  新宿二丁目の公園に彼が吊るされるシーンは悪夢を見ているような、または彼が殺されるシーンを覗き見していたような居たたまれなさが観る者を不快にさせる。
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 ヒロインの恋人もまた覚醒剤中毒のチンピラで彼に貢ぐトルコ嬢も禁断症状のために人間ではなくなっていて、床にこぼれた覚醒剤の粉末を舐め回す。  むしゃくしゃするこの男はミチロウに襲い掛かり、泥酔した挙げ句に新宿伊勢丹の前で目覚める。何の落ち度もない早朝の牛乳配達の青年にもビール瓶で襲い掛かり、割れた牛乳瓶で真っ白になった路上で彼を引きずり回し、血みどろになるまで蹴り続け、しまいには打撃のダメージに苦しむ彼に自転車を投げつける。  一連のシーンで最初は真っ白だった画面が流れる血の色、それも白と赤が交わるのでピンク色にに変わっていくのがかなりおぞましく、生理的にも悪趣味な表現でした。モノクロなのにはっきりとピンク色を意識できるし、知覚できます。
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 身寄りのない少女はカラスを捕まえたり、他人の墓に腰掛け、火葬場から人骨を拾ってくるなど奇妙なものばかりを集めて、伊勢丹前の路上で商売をしている。  この少女以外の登場人物はみな夜の新宿の真っ暗闇の中で暴行を受け、傷ついて朝を迎える。通勤者や買い物客で溢れかえる新宿の街並みは彼ら夜の住人にはまったく無関心で見向きもしない。明るい街には暗闇はなく、彼らは影すら残せない。  この作品は日の当たらない新宿の住人たちの夜の生態を切り取った記録のようでもある。カメラの視点はどこまでも冷たく、管理されていない、本能のままに生きている野性の人間たちを淡々と暴力と流血を写し続けていく。
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 カメラが向ける視線は彼ら敗残者への愛情や憐憫の情はまったくなく、ただ被写体としてのみ写している。彼らは新宿の風景の一部でしかないと語っているようです。誰にも見向きもされない彼らは生きているのか、亡者なのかも分からない。  どこか『にっぽん昆虫記』を思い出します。もうひとり、左翼系の活動家のエピソードが語られる。地下室特有のこもったような音がするなか、誰も寄り付かない新宿の地下のアジトで地上の地図、電気配線図、地下街の地図、水道配管図、都市ガス配管図を自力で集め、その地図を重ね合わせる。
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 彼はその地図により、どこに爆弾を仕掛ければ、効果的にパニックを起こせるかを画策している。ただ間抜けなのは地図が完成すると、彼は次に爆弾の研究を始め、紀伊国屋書店で文献を集める。ギャグなのだろうか。異常者としか思えない。彼はとてもクールなのが、かえって恐ろしい。  出てくる人々はどこか現実離れしていて、寓話のように思えます。狂った神話と持ち上げることも出来ますが、そこまで考えて撮っているわけではなかったでしょうから、ただ単によりセンセーショナルに表現しただけでしょう。映像の力はかなり強いのですが、万人が観たがる類のそれではありませんので、注意が必要なのかもしれない。 総合評価 75点
南蛮渡来
BMGメディアジャパン
1999-09-22
JAGATARA

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