良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『生きる』(1952)黒澤映画というより日本映画の代表的な一本。年齢を重ねるごとにズシンと響く。

 最初にこの映画を見たのはたしか13歳の中学生のときでした。その後、レンタルビデオを借りてきて、二十代までの若い頃に何度も見た『生きる』は確かに良い映画でしたが、どこか共感できない部分がありました。

 

 たぶんずっと後ろ向きに生きてきて、煮え切らない人生を送ってきた主人公にイラついたからでしょう。若い頃にはウジウジした大人は嫌いなのが若さなので仕方がない。数年に一度はビデオやDVD、スカパーやBSで見てきたので、もう十回は見たことになります。

 

 ところが四十歳を過ぎてから二回ほどDVDやスカパー放送を見ましたが、印象はこれまでと違い、グサリと心を突き刺されるような感覚が年々強くなっている。映画の深みも分かってきたように感じます。

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 タイトルは「生きる」となっているが、内容は死を迎える前に何をやりきったかという自尊と親子の断絶がテーマなのかもしれません。死と正しく向き合うには本来は宗教だったり、哲学だったりが必要になることが多い。

 

 無神論的な人間でも死に対しては漠然とした恐怖を抱いているだろう。家族が自分の死を悲しむことなく、ただ残されているだろう遺産の配分のみにしか興味がないと知れば、当人は傷つくだろう。

 

 可愛がってきた子供たちが他人のはじまりだと思い知らされる瞬間が来たとき、どれほどの者が平静を保てるだろうか。三十代後半以降は未来とは希望に満ちた素敵な時間ではなく、苦痛か失望の要素を数えてしまうことが増えていく。痛みは増えていくが、痛みも生きることの一部です。

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 それでもなんとか踏み止まって、笑顔で生きていかねばならないのが大人としての人生の向き合い方なのかもしれません。楽しいことはほんの少しで、あとのほとんどは苦しみというのが仕事であり、家庭なのかもしれない。

 

 家族皆が健康で、良い人ばかりというのは昭和の理想的なファミリーアニメ『サザエさん』だけでしょう。それでもこの映画が公開された昭和二十年代当時はアメリカに敗北したという自信喪失と貧困生活などの絶対的な物資不足による苦しみがあります。

 

 平成世代的な感覚だと日本特有の縦社会及び横並びの鉄の掟は依然としてあり、個人の尊厳や自由は無視され、プライバシーは皆無で生活は不便でした、と言い切れるのかもしれない。

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 しかしその社会はマイナスばかりではなく、近所同士の助け合いや親身になってくれる身内や友人たちもいたでしょうし、戦友という強い絆もあった訳ですから、戦後社会の縦社会や人付き合いすべてが悪いとは思わない。

 

 もちろん現在の社会も悪いことばかりではない。例えば、今の若いペーペーのサラリーマンの部屋にはお風呂とシャワーがあり、電化製品は一通り揃っていて、栄養価の高いものがどこにでも売っていて、自宅のDVDで映画をかなりの臨場感でしかもノーカットで楽しめる。

 

 六十年前にそんな生活を送れた人が日本にどれくらいいただろうか。昔は良かったという人がいる。しかし物質的には誤りであり、資本主義経済でもっとも恩恵を受けているのは我々一般市民なのかもしれません。

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 それはともかく、スター俳優とは言い難い、脇役(今なら演技派とか性格俳優とか言われるのでしょう。)だった志村喬が主役を張ったこと自体がエポック・メイキングなのではないか。結果として、俳優・志村喬の代表作となった『生きる』は今でも力強く、人として生きる意味と時間の大切さを我々の心に訴えかけてきます。

 

 そもそも生きるとはどういうことだろうか。生物学的なことではなく、生きる意味についてです。この映画のテーマはひとりの人間が人生の終わりに直面したときに気づいたそれまでの無為な時間の浪費、残されたわずかな時間を人間としてどう意味を持たせるかという生きざまとは何かを、そしてそれとともに成人してしまった後の子供夫婦との埋められない親子の断絶を描いている。

 

 この国ではほとんどの成人はよほどの大金持ちでない限りは学校卒業後は会社などの組織に所属し、ある者は転職したり、またある者はそのまま会社や組織に留まり、家庭を築き、子供を育て、定年を迎え、老後の暮らしを始める。

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 実質の働く期間は四十年間程度であるが、その期間を常に思い通りに、希望通りに働き続けられる人はまれである。病気、事故、怪我、結婚、育児、非行、離婚、妨害、左遷、失業、倒産、老い、借金など年齢を重ねれば重ねるほどにトラブルの種は多くなり、人生の障害は日増しに増えていくようになっているのが人生です。

 

 漠然と人生はずっと続いていく。少なくとも数年内に生涯を終えるかも知れないと覚悟している人は若ければ若いほど少ないだろうし、現役世代では考える暇すらないほど忙しい。

 

 1952年当時の定年退職が何歳だったのだろうかというと、おそらく今現在の60歳ではなく、55歳くらいだったはずです。55歳前に胃ガンと宣告されたらどれだけの人間が平静を保てるだろうか。映画での設定では志村喬の設定はたしか53歳だったと記憶しています。

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 子供に相談しようにも、すでに自立していればなかなか会うこともままならない。また同居していても、誰とも会話が出来ないような冷たい家庭もあるようです。周りに人がいるのに孤独をずっと味わわなければならないのはもともと家庭を持っていない独身者よりも苦しさは増すのではないか。

 

 当時ですら孤独感が強く描かれていたのですから、現在ではなおさらその部分が観客の心に響いてくるかもしれません。大昔は親子断絶が観客の心に響いたでしょうが、独居世帯が増える現状では孤独というテーマの方が強く響いてくるかもしれません。

 

 映像で興味深かったシーンをいくつか見ていくと、まずは病院の待合室場面。居合わせた患者と会話する内に胃ガンと自らの余命を確信させられた志村喬のひきつった表情と思い詰めた眼差し、絶望で強張った両肩と丸まった背中が強烈な悲しみを表す。彼を捉えるカメラとあまりにも暗い影のため強調される暗い目がより深刻さを観客に知らせます。

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 医者同士や看護婦との会話も生々しい。死期を知っているのに患者には知らせない。当時はそんな感じだったのだろうか。会話はあくまでも他人を突き放したような冷たさが際立っているが、告知されない恐怖もまた真なので、個人的にはたとえそれがあと一ヶ月とかいう場合でも本人への告知はするべきであろうと思います。

 

 映画の前半では志村の残された人生を意味のあるものに変えるためにさまざまな人々、とりわけそれまでのお堅い役所仕事を続けていた彼が寄り付かなかった夜の仕事や盛り場にいる人々との刹那的な出会いが描かれる。

 

 毎日、顔を合わせている家族にも告げられなかった病気や余命のことを初めて出会った人々に語るのは一見不思議に見える。ゲーテファウストに出てくる悪魔メフィストフェレスのような伊藤雄之助に余命や家庭についてありのままを話したり、あまり重要視していなかった女性事務員の小田切みきに心を開く様は奇妙に思える方もいるでしょうが、利害関係がないからこそ聞かせることができる話もあるのでしょう。

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 ただし演出上、前半部分を盛り上げてきた伊藤と小田切は後半になると出てこなくなります。それを持って、彼らを使わないのは構成上の問題であると捉える向きもあるでしょうが、彼らと志村とが交友を持ったのはごくごく短期間である。

 

 志村と直接に関係のない、第三者の他人として彼に問われたことに親身に答えているだけなので、わざわざ葬式の場に伊藤や小田切が顔を出して、謎解きのキャラクターとして登場し、家族や職場の同僚たちに志村の素晴らしさを語ってしまってはこの映画の品格は安っぽいテレビドラマになってしまう。  

 

 死ぬ前に色気づいて、妾さんでも作ったのではないかと邪智されるのは志村の名誉にとっては悲劇的であり、すべてを知る我々観客からすると居たたまれない場面が出てきますが、こういったビターな味わいがあるからこそ、家族でも最後まで分かり合えない断絶の強さが引き立つのではないか。

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 そうはいっても他人は所詮他人なので、死に当たっての金銭面や印鑑の準備をしているのはなんだかんだ言っても血は濃いのだなあという印象を受ける。誰もが深く考えねばならないことを浮き彫りにして、各自の心に突き刺してくるのがこの映画のストーリー展開です。

 

 この映画の珍しさはもうひとつあります。それは主人公が中盤ですでに亡くなっていて、死者の人となりを語る葬式シーンが広間で語られる。和室のふすまをぶち抜いて、通夜の席に座っているが、撮り方も難しいこのシーンを成り立たせるためにはフラッシュバックによる思い出語りはアイデアとして優れていますし、観客の興味と集中を保つためにも良い方法でした。

 

 名場面が次々に出てくる本物の名作映画でもあります。映画が素晴らしくなるために必要な諸条件、つまり映像としての美しさが卓越していること、物語にグイグイと引き込んでいく力があること、俳優を見ていて心から共感できたり、暗い気持ちになったりと感情移入が出来ること、効果音や音楽が映像と相まって強烈な印象を残してくれること、見た後に心が洗われることなどがすべて揃っているのがこの『生きる』ではないか。

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 なかでも誕生日を迎えた女学生を祝福するために皆が歌う『ハッピー・バースデー』を背中に受け、志村が最後に自分がなすべき仕事をする決心をするシーンは彼の人生の再生をも表しています。

 

 男祭りの映画を撮るのが黒澤映画なのだという印象を持っている方も多いでしょうが、黒澤作品群のほぼ半分はメッセージ色の強いヒューマンドラマが多いので、斬り合いのある時代劇だけではなく、残り半分にも興味を持っていただくきっかけになる作品になると思います。

 

 映画を盛り上げる音楽も素晴らしい。彼の低い美声がズシッと響いてくる『ゴンドラの唄』は何度聴いても絶望的でせつなくなりますが、見る者へのメッセージは色褪せてはいません。

 

 生命短し 恋せよ乙女  赤き唇 あせぬまに  熱き血潮の冷えぬまに  明日と言う日の無いものを 

 

 なんと哀しい歌なのだろう。キャバレーで歌われるこの歌は恐怖に震えながらも死を受け入れようとした者の覚悟を見せつけられます。恐怖を敏感に感じ取った周りの観客がゾッとして彼から遠ざかっていく様子がとてもリアルに見える。

 

 ブランコに乗って、小田切みきと楽しげに語り合う名シーンを覚えているファンも多いでしょう。雪が降り積もるなか、完成後の公園でひとりぼっちで歌う『ゴンドラの唄』、そして何と言っても冒頭のナレーションで語られる胃ガンの宣告と彼の妻が霊柩車で運ばれるまでの回想シーンを一気に見せる力業の凄みを素直に楽しみたい。

 

 胃癌宣告を望み、医師の煮え切らない態度から病状を察して、大きなショックを受けて歩き出し、自動車に轢かれる寸前にハッと気づくシーンは忘れられません。悩みに悩んでいた彼を表す無音状態だったのが一気に音が大きくなって、現実世界に戻ってくる様子は映画の演出としては最高レベルなのではないか。

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 無音と騒音の対比が効果的です。他者によるフラッシュバックが多用され、徐々に彼の人間像が語られるが、どれも正解には辿り着かない。志村が死への迷いを捨て去り、死を決意してからの想いと真摯な行動とその動機を理解しているのは我々観客のみである。

 

 その語り口によって、映画を見ている観客は志村を見守り、時には心のなかで励まし、彼の死に涙する。誰にも真実を知らせないまま亡くなった志村を理解している我々は彼をけっして忘れはしない。

 

 葬式の時に志村のようになろうと熱く語った役人は木っ端役人に戻ってしまう。それを持って、黒澤演出のシニカルさだと言うことも出来るが、志村の心を知らない彼が下らない小役人に戻ってしまっても無理はない。

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 一回目のブランコに乗るシーンは小役人だった自分が意志を持ってやりきった仕事への誇りが溢れ出す栄光の戴冠式であり、小田切みきはハレの舞台の参列者でした。

 

 二回目の雪の降りしきる場面は死を決意し、悔いなく人生を閉じるための葬式であり、『ゴンドラの唄』は自らによる葬送行進曲なのだろうか。

 

 志村は家族に若い愛人を作ったと誤解され、葬式にも小田切がやってくるのではないかとヤキモキするが、当然のことながら彼女はやってこない。彼女と志村の関係はロリコン的な見方をされるのかも知れない。

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 当時も今も年齢が離れた男女がともに歩いたり、食事をしたりしているとカップルであるか、娘であるかどうかも分からないのに怪訝な顔をされることもある。ただ若くて素直な女の子は可愛らしいし、一緒にいると楽しく感じるのが多くの男性の本音だろう。

 

 またストリップ・ショーを観に行くメフィストフェレスのような伊藤雄之助や酒場で語らう左卜全を知るのはぼくら観客のみであり、家族は父親であるが、小役人で面白味など何もなかった志村の交友関係を知る由もない。

 

 役人になってから隠し続けてきた人間臭さをやっと解放できたのが死の宣告を受けてからだったというのがこの頃の多くのサラリーマンだったのではないか。自分のやりたいように生きるなどというのは身勝手に他ならない。

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 しがらみでがんじ絡めになって、身動きが取れないというのが本音だろう。すべてを捨て去るのは無責任だろうと心の奥底では自覚しているのが大人の男だろう。

 

 道端で猫が不思議そうな顔でこちらを覗き込んでいる。家に電話すると、「今日はコロッケだよ。」と言われた。

 

総合評価 90点