良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『愛のコリーダ』(1976)定吉二人キリ… 阿部定事件から約80年

 本日、通勤のために駅改札に定期券を入れたところ、駅構内が突然停電してしまい、駅に入れないだけでなく、遮断機も降りたまま、定期券も改札機に入り込んだままでしばらく身動きがとれない状態になってしまいました。  もしかすると、これはニュースでやっていたハッキング集団の犯行なのだろうか。それともただ単なるローカル線の整備不良か何かなのだろうか。  数々の問題作に挑み続けた大島渚監督作品のなかでももっとも衝撃的で物議を醸したのが藤竜也主演で松田暎子が熱演した『愛のコリーダ』です。  阿部定事件に関してはこれまで何度も映画化されたりしてきましたが、決定版と言えるのがこの作品であることは間違いないでしょう。  当時の人気俳優だった藤竜也を使って、射精まで突き進むフェラチオ(『ブラウン・バニー』でも問題になっていました)や局部アップ(日本では性器描写は禁止なので無意味だが、海外上映を念頭に置いていた)を含む、あそこまで体当たりの演技をさせる必要があったのか。  そう問われれば、おそらく必要ではなかったでしょうし、写す角度で調整できるものを、大島渚監督はフランスでフィルムを編集してから輸入しようとするなど映倫を挑発し続け、裁判沙汰(結果は勝訴)にまでなりました。  はじめてこれを見たのはちょうどビデオ(たしか赤いテープだったような記憶があります)が家庭に普及してきた時代でしたが、もちろんの修正版で興を削がれる内容でした。  DVDにフォーマットが変わっても、相変わらずボカシが入るなど海外版とは違う扱いをされていましたが、これも変わっていて、たしか早送りができない特殊な仕様だったと記憶しています。
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 ところが、昭和も二十世紀も通り抜け、時代は新世紀に移り、インターネットが各家庭に行き渡るようになってきていますので、国内では正式に無修正を自由に見られなくとも、海外動画サイトに出向けば、簡単にアクセスできる世の中が到来しています。  今回は無修正版を見た感想を書いていきますが、そもそも阿部定事件自体は当時の普通の日本人であれば、ぼくら小学生の子供であっても、語り継がれてきたためか誰でも知っていたでしょうし、『八つ墓村』には津山三十人殺しの実在のモデル(都井睦雄)が存在したことも人伝に聞いていました。  『八つ墓村』に関してはのちにその近辺に実家がある友人に出会ったこともあり、いろいろな話を聞かされていました。そのためにわりと早くに映画の『丑三つの村』まで辿り着きました。  一方で阿部定事件についてはさまざまな猟奇事件、ほかには大久保清連続婦女暴行殺人事件などを取り扱う雑誌やホラー本などで見聞きしていましたので、その後に起こることの顛末を知った上での鑑賞になりました。  そのため、この映画を見ても、ショッキングというほどのことはありませんでした。ぼくら日本人の観客からすれば、事件は周知の事実であり、オリジナルがハードな絡みがある無修正作品ということばかりが一人歩きしていっただけで、正直初見の時は騒ぐほどではないという感想でした。  まあ、当時は未成年でしたが、すでに裏ビデオの洗礼を受けていましたし、『ミス・ジョーンズの背徳』と同列の話の筋のある薄気味悪いポルノ以上のものではありませんでした。  ただピンク映画との違いとしては日本文化や綺麗な構図、そして独特の美的センスが醸し出す妖艶で退廃的な映像美が欧米を中心にファンの心をつかんでいるのでしょう。  個人的にはなんだか異臭が漂っていそうで吐き気がする部分もあります。『ウォーター・パワー アブノーマル・スペシャル』のようなスカトロ・プレイがないのが唯一の救いかもしれない。
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 次に見たのはDVD時代、そしてスカパーでの視聴でしたが、『女猟奇犯罪史』『戦後猟奇犯罪史』のインパクトの方が大きかったのを覚えています。  阿部定の人となりは先天性のニンフォマニアであったと言われていましたし、男根及び睾丸を切り取る異常性ばかりがクローズアップされてきました。彼女は若いうちから芸者になったり、大阪の飛田で娼婦になったりして、流れ着いた先が吉蔵の鰻屋だったようです。  80年代の写真誌に阿部定事件の現場写真が掲載されたことがあり、被害者吉蔵の目の部分には墨が入っていましたが、さすがに本物なので異様な姿に驚きました。さらに驚いたのは写真誌に掲載された1980年代後半には阿部定自身はまだ存命という噂があったことでした。  末路がどうなったのかは正確には解りかねますが、90年代までは生きていたようです。そういうレッテルを貼られた主人公に対して、反骨の漢である大島渚がどういう解釈で挑むのかに注目が集まったはずです。  ただただ目立ちたくて、日本映画史上に衝撃を与えた、濃厚な本番シーンが全編で展開される劇場一般映画を作っただけではないはずだと信じたい。  1970年代の日本において、無修正作品を劇場に掛けるのはもちろん御法度でしたし、今でも緩くはなってきているもののせいぜい陰毛程度までであり、局部アップは問題外です。  今回、久しぶりに見たのは海外無修正版でした。しかし無修正動画自体が気軽に見られる環境ではひんぱんに出てくる局部にも特に思い入れはない。綺麗な構図や日本独特の文化を見せる、外人向け作品に映ります。  おそらく感覚が麻痺しきっている中年が見たからなのでしょうが、普通に結婚していたり、彼女と付き合っている方々が見れば、首絞めプレーや他人に見せながら興奮を得る好き者趣味以外は普通に普段やっていることにすぎない。
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 現在の感覚でも、膣内にゆで卵を挿入したものを力んで出させたあとに食べたり、松田の股間の愛液に刺身やしいたけを浸しながら食べるなどの行為は気持ち悪いが彼らには悪ふざけ程度のようです。  また生理を気にする定の経血を舐めた藤が「気にしねえよ。」と言い放つシーンは凄みがあります。二十代のころ、好き者の友人が彼女の生理中に行為に及んだり、アナルを試したことについて、前者をイチゴポッキー、そして後者をチョコポッキーと言っていたのはさすがに気持ち悪いから止めろと制しましたが、気にならないヤツもいるようです。  ホイップクリームやハチミツなどを身体に垂らしたものを舐めたり、女の股の間にお酒を注ぐわかめ酒というプレイもあるのでなんとも言えない(て、いったい何の話だ!)。  劇中に出てくる“ちんちん”(日本版では台詞がカットされていたりする)は三本あり、まず最初は定を求めて、暮らしを捨て、彼女をあてどなく探し求め、ようやく再会するもすでに精魂尽きて年老いた殿山泰司不能なイチモツが登場する。子供に冷やかされる悲しい末路ですね。  次が本命登場です。現役世代のなかでも絶倫を誇る藤竜也の硬い男根はこの映画の主役です。そして裸で追いかけっこをしている幼児のかわいいヤツ(思わずつまんでしまう定の目に妖気を感じます。今じゃ、幼児虐待とか言われるのだろうか?)が三本目です。  全編に濃厚かつ執念深い性交シーンがひたすらに繰り返されるので、見ている者まで疲労困憊してきますが、それも狙いだったのでしょう。  見ている者も飽きてしまい、やっている者も飽きてくると行き着く先は極限であり、より刺激の強い過激な行為に突き進んでいき、定は自分が見ている前で藤に芸者(乱交あり)、給仕、老婆などと性交させる。  年端の行かない少女も気に入らないからと強姦させようと殴り付けるが、さすがに藤が止めに入ったりするのは男の冷静さを垣間見せる。
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 金の無心のために恩師で議員の先生(のちに事件が公になると彼も破たん。)に抱かれに行ったり、それを肴に同じようにプレイしてみたり、藤竜也の浮気(本来、定が浮気相手のはずだが)に嫉妬深くなっていき、刃物で脅すようになる松田暎子の異常性と他人が見ている前でもお構いなしにペロペロとペニスを舐め続ける執着にゾッとして来ます。  ただ凄味という点でいうとこういった狂態を目の前にしても体面上は笑みを浮かべながら、三味線を鳴らし続ける芸者衆のプロ意識でした。  次第に異常性からお座敷衆も寄り付かなくなり、孤立していく二人の中でも、明らかに常軌を逸した目付きに変貌していく松田暎子は決して演技が上手いとは言えませんが鬼気迫る勢いはあります。  最後に行き着いたのは首絞めプレイであまり乗り気ではない吉蔵に対して、とことん性欲に突き進み、快楽を追い求める定は拘束を強くしていった結果、疲れ果てて寝ていたところを無理に挿入して、強く絞めすぎたためにパートナーだった吉蔵を絞め殺してしまう。  そのあとに有名な男根切断及び睾丸抉り取りの猟奇的な人体損壊を行い、吉蔵の身体に彼の局部を切り取った際に吹き出た血液で「定吉二人キリ」という異様な言葉を書き残す。  切り取った男性器を肌身離さずに大切なお守りのように抱いていた定は捕まるまでの数日間を転々と過ごす。取り調べでは「変態と言われるのが口惜しゅうございます」と供述したそうです。  日中戦争に突き進んでいく刹那的な荒んで息苦しそうな世相は世間にも伝播していて、定との暴淫な生活を送っていた吉蔵が規律正しく行進してくる兵隊さんたちと交差する際にどこか後ろめたそうにしている姿がなぜか印象に残る。  映画は最後に突然、大島渚監督本人によるナレーションが入り、この阿部定事件の顛末がサラッと語られるが、かなり下手くそなためにテンションが下がってしまう。
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 ここはテロップで流した方が重みがあったのではないかとも思いますが、反対にこのなんとも間が抜けたナレーションがあるおかげでこれまでの緊張が緩和されるのも確かではある。  見終わってから気づかされるのはこれはハードコア描写が全編に展開される挑戦的な作品ではあるものの行為に戦慄は走っても、それによって興奮するということはなく、強めのラブストーリーなのだということです。  だってこれを無修正で見たのに自分はまったく反応しませんでした。老いただけか、もっと過激なものを見続けてきたからかももしれません。  阿部定事件が起こったのは1936年でしたので、約80年も経過しているが、たまに映画化されたり、ドラマ化(渡辺麻友とえなりくんで、これにインスパイアされたお話をドラマ化しようとして抗議されたのはつい最近ですね)されたりしています。  首絞めプレーに関しては村上龍の『トパーズ』の映画化の際、変態役の島田雅彦が仮死状態に陥るシーンが描かれていましたが、SMプレーではそれほど珍しいものではないということなのでしょうか。  大昔の春画にもオーラル・セックスは描かれているので、特に珍しい行為だというわけでもない。当時、大騒ぎになったのは俳優が映画のなかで本番を行ったこと、そして性器切断という阿部定の狂気を無修正で描いたことの二点でしょうか。  残念なことに彼らのどうしようもない性質や嗜好の異常性は表面上のものに終始し、彼らの内面が深く描かれているとは言い難く、結果としては最悪の最期を迎えましたが、繰り返される快楽の狂喜の宴が一歩足を踏み外して狂気の宴に変わってしまっただけなのではないか。  刑務所に収監された阿部定は6年後(けっこう刑期が短いのにびっくりします)に出所し、戦後にはなんと映画『明治・大正・昭和 女猟奇犯罪史』にも出演しています。興味がある方はご覧ください。  ちなみに映画では“定吉二人キリ”が胴体に血でかかれていますが、実際は太腿部分に“定吉二人”、そして布団に“定吉二人キリ”と血液で書かれ、左腕には“定”と肉切り包丁で刻まれています。
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総合評価 60点