『トパーズ』(1992)村上龍の小説を本人が監督し、映画化。カルトかも?
1980年代後半、いわゆるバブルという株や不動産投機で世の中が大騒ぎし、ディスコで踊り狂っていた頃、地味な片田舎の大学生だった僕には東京や大阪の喧騒はニュースで見聞きする程度でした。
それでも徐々に近所の田んぼや畑、駅前がどんどん再開発されたり、久しぶりに会った、都会の大学に通っている友人たちのファッションや外車を乗り回す姿に「踊る阿呆に見る阿呆だな。」と思いつつ、景気も良さそうだし、みんな楽しそうだし、こんなもんなのかなと日々を過ごしていました。
そんな頃、ぼくに衝撃を与えたのが村上龍原作の小説『トパーズ』でした。風俗嬢が客が来るまで控えている待ち屋の様子や人間関係、そこで行われているSM行為は異常そのものですが、提供者である風俗嬢は暮らしぶりは地味で、派手さもない。
映画としてはアートフィルムっぽい感じで、筋を追うタイプではありません。活動写真を楽しむタイプの映画です。最後に観たのは1990年代後半でしたが、数十年経っても覚えている場面はいくつもあり、高層ホテルの一室にいる加納典明が呼びつけたボンテージルックでほぼ裸のミホを窓に向かって手をつかせた状態で、尻を振らせる。
そのまま夕日が落ちるまで、数時間納得するまで腰を振らせ続けるドSプレイを楽しみ、その後、自分の女を呼び、ミホに繋がっている部位を舐めさせる異常行為を堪能します。
その他、夜の公園でオペラの歌に感動して涙を流すものの、結局は何事もなかったように電動コケシやSMプレイ道具が入っている赤いバッグを抱えて指定場所に向かっていくシーン。
手話を交えて、サルサのリズムに腰を振りながら観客を挑発するエンディングに繰り返される『ジェゲ・ジェゲ』もちょうどクライマックスにかかる間奏部分が演奏される。けっこう数十年経っても覚えているシーンが多く、驚きました。
あれだけ稼げた時代に風俗嬢としてしか生きて行けなかったのはよほどの事情があったのだろうとは今となれば、それなりに理解は出来ますが、当時はそんなことには思いも及ばず、昔の人たちが永井荷風や谷崎潤一郎、田山花袋の小説を陰でコソコソ読んでニヤついていたのと同じような思いで、『トパーズ』の各章に向き合っていました。
その後、大学を無事に卒業後、何気なく新作映画の記事を見ると、なんとこんな風俗嬢の話が映画化され(地元映画館にも掛かったが、いく前に終わってしまった)、ついにはレンタルビデオ屋さんに大量に並ぶ日が来ました。
村上龍作品は何度も映画化されていて、デビュー作品『限りなく透明に近いブルー』『だいじょうぶマイ・フレンド』『トパーズ』『KYOKO』『ラヴ&ポップ』『オーディション』などはビデオなども発売されました。
村上龍本人も監督していて、正直言いますと「餅は餅屋に任せろ」とも思いますが、ファンならば、そこそこ楽しめます。
『トパーズ』は音楽が素晴らしい。オープニングで響き渡るキューバの国民的サルサ・ドゥーラ(ハード・サルサ)の雄であるロス・ヴァン・ヴァン(ロス・バン・バン)の『ジェゲ・ジェゲ』が作品の方向性を決定づける。
天才ベーシスト、ファン・フォルメル、同じく奇才チャンギートが乱れ撃つドラミングの凄まじさに触れるとレゲエが霞んできます。
ただレゲエは生き方でもあるし、ボブ・マーリーのレコードも大好きで、『LIVE!』『カヤ』『レジェンド』などは今でもちょくちょく聴いています。
ロス・ヴァン・ヴァンのアルバムはCDならば、今でも日本盤が安価で手に入りますが、レコードはそもそも発売されてないようで、イギリス盤やキューバ盤を探さなければいけません。これがとても難しい。
理由の一つはCD化された時に僕が聴いてきたアルバムタイトルと当時のキューバで発売されていた原題が違うことです。例えば、最高傑作と呼ばれる『coleccioN Juan Formell Y Los Van Van Vol. Ⅲ』は『1974』としてタイトルされています。
この『1974』はロック・ファンならば、一度は聴いてほしい傑作です。ラテンに持っている明るくテキトーというイメージは覆ります。
CDの最後に収録されている『キューバ人の勇気とプライドは永遠だ』はアルバムの締めとして最高なのですが、CDのみのボーナストラックだと後に知り、愕然としました。
もうひとつ、レコードで聴くのが難しい理由があります。それは海外盤、とりわけ中南米各国ではレコードは信じられないくらい雑に扱われていて、盤に傷があるのは当たり前、ジャケがボロボロなのは当たり前、落書きなんか当たり前、針飛びしなかったら上等なのです。
よって事情はキューバも一緒です。イギリス盤を選ぶのが無難でしょうが、そもそも需要がなく、出物もない。
これだけ世界中に害毒を撒き散らしておきながら、なんら謝罪も賠償もすることなく、更にはウイグル族を虐殺し、台湾やフィリピン、インドやわが国に戦いをふっかけてくる共産中国はナチスの21世紀版であり、打倒しなければならない。
これら様々な要因が重なっているため、なかなか難しいのは分かります。アナログに思い入れがなければ、CDでも十分でしょうが、いつか『Ⅲ』を手に入れたい。
内容的には首をかしげる描写が多々あるでしょうし、風俗で働く人々やそれを消費して、彼女らをモノとしてしか扱おうとしない変態富裕層の姿は吐き気を催します。
それでも都会のビルをバックに女の姿を舐めるように写しだすカメラの視点や拘束されて目隠しされて、覚せい剤を無理やり注入される風俗嬢の様子は退廃的ではあるが、現在の視点で見ると完全にNGでしょう。
個人的にはそれらの映像のインパクトが大きく、ジャケットや宣伝でも頻繁に使われていた印象があります。村上作品では『限りなく透明に近いブルー』以外は当時からだいたい抵抗なく受け入れてきました。
総合評価 69点