良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『猿の惑星』(1968)最高の脚本とラストシーンの演出!いまさら語るのもなんなんで…

 おそらく映画ファンを名乗る人々ならば、必ずや観ているであろう古典中の古典ともいえる本作品について、いまさらあれこれ言うのも野暮でありましょうから、作品が問いかけているとされる意味や隠喩のことは敢えて何も触れません。

  フランクリン・J・シャフナー監督、チャールトン・ヘストン主演で製作されたこの作品はあまりにも有名であり、あまりにも語られすぎました。続編も数多く作られただけではなく、21世紀に入ってからも新しい味付けがされ、さらに新たな続編(猿のリンカーンを見れば、それは明らかであろう!)まで作られそうな確信まで与えてしまいました。

 またヴィジュアル的な部分でのメーキャップや、自由の女神が登場するラスト・シーンのインパクトの凄まじさや優れた脚本についても言い古されているでしょうから、多くは語りません。

 今回は何回も『猿の惑星』を見た僕の現実の映画とはほとんど関係のない体験談のスケッチをしていきます。話は三年ほど前に遡ります。

 ある日の日曜日、僕は近所のスーパーで、ある一人のおばさんを見ました。最初見た時は「はて?このおばちゃん、どっかで会ったような気がするな。」と考え込んでいましたが、すぐに彼女に似ていることに気づきました。それが誰かというと、じつはジーラでした。そう!あのコーネリアスの奥さんであるジーラです。

  

 すっかりうれしくなった僕は自分の用事をそっちのけにして、彼女(ジーラ)が何を買い物するのか、ある期待感で頭がいっぱいになってしまいました。結局彼女は「アタック」やら「カロリーメイト」やらをせかせかと買っていました。

 

 しかしながら僕は頭の中で「違う!そやない!バナナや!バナナをかうんや!」と念じ続けましたが、とうとうその夢は叶わずに、がっかりとしてしまいました。しかし、おそらくあれはコーネリアスと食べるに違いないとも思いました。猿たちは未来で起こる地球爆発後(くわしくは『続 猿の惑星』をどうぞ!)にわが国に入り込んでいたのです。

  

 それはさておきこの作品では、ぼくら「イエロー」はそのまんま「猿」として、そして「黒人」の人たちは強い「ゴリさん」として描かれています。白人のみが人間であるという優越感を逆手に取ったアイデアが見事でした。

  

 作品としては、あのラストシーンに勝るSF映画の演出はいまだに見たことがありません。ただひとつだけ不満なのはその年のアカデミー賞の特撮部門においてこの作品が選ばれたことです。個人的にはキューブリック監督の『2001年 宇宙の旅』に登場する「おさるさん」のほうが出来が良かったように思えます。

総合評価 85点

猿の惑星 BOX SET