良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ダーティハリー』(1971)思春期の僕らに響いた44マグナムの轟音とサソリの異常性。

 本社での研修出席のため、25年ぶりに東海道新幹線に乗ることになり、久々の富士山や東京グルメを楽しもうとしていましたが、さすがに会社は渋い。  関西からの日帰り、自由席、タイムスケジュールがキツキツに詰められてしまい、駅ナカで天そばをすするくらいしか出来ませんでした。プレゼンもイマイチだったこともあり、さらに気が重い帰路についています。  初めてののぞみ(ひかりしか乗ったことはない。)に乗れたことしか楽しいことはありませんでした。あいにくの雨と厚い雨雲のせいで、行きも帰りも富士山を拝めず、朝五時起床、移動時間の往復が12時間というサッカー代表サポーターのアジア遠征弾丸ツアーのような日程にかなり疲れました。  しかも帰りの新幹線で東京から関西までかかった時間は130分間でしたが、私鉄始発駅に着いた瞬間に人身事故が起こり、そのまま50分近く待たされた挙句に動き出したが、徐行もあり、かかった時間は110分間でした。8県またがった時間と2県の往来で20分しか所要時間が変わらないのは何だか不合理です。我ながら、笑えてくるほどの運のなさでした。  後輩たちから「頑張ってきてください!」と励まされて臨んだもののプレゼン結果は惨敗でしたし、何事も経験になるさとは思いますが、ただただ疲労しかない。唯一楽しかったのは同僚女性との携帯でのやり取りで出来た暇つぶしくらいでした。
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 こんな気分の時は何も考えなくていい特撮かアクション映画を見たい。するとふいに思い出したのがクリント・イーストウッドの代表作品である『ダーティハリー』でした。その後にシリーズ化していくほどの大ヒットとなり、クリント・イーストウッドのスターとしての名声を決定的なものに押し上げた本作を久しぶりに見ることにしました。  まあ、『ダーティハリー4』と『ダーティハリー5』を映画館まで観に行った世代です。テレビやビデオ、DVDやCSなどでも何度も見てきましたので大好きな作品と言えます。  現在のアメリカ社会に本当にいたら、かなりの大問題となるような行動や捜査手法ではありますが、生きざまがカッコいいので特に無茶苦茶さが気にならない、というか破天荒ぶりが心地好く、結局何度も見てしまう。  時代を代表するような悪役として登場する惨たらしく、知能犯の顔を併せ持ち、誘拐及び少女を手にかける強姦殺人犯人スコーピオ(アンディ・ロビンソン)の設定の異常さは今の時代ならば、いたって普通なのでしょうが、70年代後半に小学生だったぼくには衝撃的でした。  クリント・イーストウッドの大ヒット作というのはもちろんですが、敵役のアンディ・ロビンソンが完璧に機能した結果としてこの映画は引き締まり、ドン・シーゲルの演出と秀逸なカメラが絶妙にブレンドされたからこそ生命力が今でも持続しているのでしょう。
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 言い尽くされたような映画ですが、味わいは深く、生命力と魅力を十分に保っている1970年代の名作の一つです。古い映画だからツマラナイんじゃないの?というような若いファンこそ見て欲しい作品です。  ハリーとスコルピオという生臭い主人公と敵役が同居する1970年代という雰囲気は他の十年間にはない独特の世界観が堪能できる。アメリカン・ニュー・シネマの最後の輝きと言ってもいいのでしょう。  バカな中高生の頃、大好きだったハリー・キャラハン刑事(インスペクターNO.2211)を見て、アメリカの刑事はなんてカッコよいのだろうと思っていました。権威や組織に対しての反抗的な態度、型破りで痛快な行動や言動などにそう感じていたのでしょう。  受験や組織の大きな枠に押し込まれ、決められた規律ある行動を強制される学生やしがないサラリーマンには大いに受けたに違いない。見所はと言われると「全編!!」と答えてしまうほどではありますが、あえて挙げていきます。  なんといってもみんなの記憶に残るのは銀行強盗を豪快に射殺しまくったあとに最後に残った瀕死のギャングに向かって言い放つ“MAKE MY DAY! ”でしょう。
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 その後にさまざまな映画やドラマの台詞に引用されたこの一言や市街地振り回しシークエンスを見ても、どれ程多くの映画関係者やボンクラのまま中年になってしまったぼくらに大きな影響を与え続けてきたかを思うとその凄みが解る。  映画に戻ると、まずはオープニングにインサートされる殉職警官たちの墓標は不吉であり、これから始まる物語には多数の死者が生まれることを暗示します。  次に超ドアップで現れるのは屹立する狙撃用ライフルの銃口とスコープで舐め回されるように照準を合わされる、プールで若さを謳歌しているティーンエイジャーの女の子。突然、理由もなく、何の落ち度もなく、命を奪われる若い女の子と興味本意で殺害したのが画面を通しても解る異常者の目。  その後も黒人少年の顔面を撃ち抜き、教会の警戒に当たっていた警官を撃ち殺し、神を冒涜するように「神は救いを与える。」の電光看板を撃ちまくる犯人の異常性。巨大な十字架のモニュメントの下で、ハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)と相棒チコを半殺しにしてしまう狂暴なアンディ・ロビンソン。  少女を誘拐及び強姦殺人しても法律の規定という壁により、本来守られるべき生命が無惨に奪われ、始末されるべきクズがマスコミや法曹界によって保護される矛盾を炙り出していく本編でのサイコパスの知能犯さそり(アンディ・ロビンソン)とクリント・イーストウッドの攻防を骨太に描き出していく。
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 このメインキャラがかかわる事案では冒頭の狙撃シーンだけではない。最も印象深いのは少女誘拐事件での陰惨な強姦殺人事件では警察を翻弄し、街中や地下鉄、公園などを走り回らせ、ハリーを振り回すサソリに合わせて、ダイナミックに縦横を駆け回るカメラと場面転換が素晴らしい。  都会の端から端までをビルや地下通路、トンネルや坂の高低差や明暗を見事に取り込んだ演出により、迫力のあるシーンに仕上げています。砂埃や排気ガスが舞う後半の工事現場の殺伐さも捨てがたい。  お決まりのカーチェイスなども一切なく(強いて挙げれば、バスジャックのシーンのみ。)、夜の公園や市街地を振り回され、見たこともない公衆電話ボックスに鳴り響く4コールに制限された時間内に受話器をとらないと取引を打ち切るという条件によりサスペンスをキープする手法も効果的です。  よく見ると走っているか、地下鉄か路線バスに乗っているだけなのですが、途中で出くわすギャングやオカマのイラッとくる程度の妨害が映画を引き締めてくれます。教会や十字架、墓標のイメージは何を意味するのだろうか。祈りとは正反対に血みどろシーンが続いていく。  水野晴男ならば、それはすべて「病んだアメリカ(笑)」として片付けるのでしょう。しかし少女を誘拐した証拠として、赤いブラジャーとパンティ、そしてペンチで無理矢理引き抜いた歯を届けるのは犯人は暴力衝動が異常に強く、犯罪を楽しんでいる精神異常者であることを観客に示しています。
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 これも印象に残るスタジアムでの追跡シーンでグラウンドに降りてまで暗闇に紛れてハリーから逃げようとするびっこのアンディが照明に照らし出される瞬間と権利など無視して、刺した足をさらに痛めつけながら、少女の監禁場所を聞き出そうとするハリーの執念と焦りは観客には熱く伝わってくるが、法曹界には全く届かない。凶悪事件への温度差、上層部にいる人間たちの結局は他人事という無責任さと無関心こそがハリーの怒りの原因なのだろうか。  スコーピオ(さそりとか、さそり座の男とかややこしい。美川憲一みたいだ。)は法律に守られて(ちょっと強引な感じではありますが、趣旨を理解しましょう。)、無罪で釈放されたあとも再び犯行を重ね、学童バスをジャックし、身代金と飛行機を要求し、国外逃亡を図る。  バスでの緊迫感溢れるシーンだが、車内で歌っているのがオールド・マクドナルドだったり、「漕げ漕げ♪漕げよ~♪」だったりするのでかえって恐ろしい。  ただ気になってしまうことがありました。それは対訳で、“お不潔ハリー”はないでしょう。汚れ役とか汚れ稼業とか始末屋とか必殺シリーズのような、もうちょっと気が利いた対訳がほしい。それは44マグナムの対訳に特製大型拳銃とやらかしてしまったことにも言える。  もしかしたら、マグナムが登録商標に当たるためのやむを得ない処理だったのかもしれないが、台詞によって世界観が崩されてしまっているのはいただけない。ついでに山田康雄吹き替えは残ってないのかなあ。  それはともかく、犯人アンディ・ロビンソンとの最終決着をつける場面で映画の序盤に挿入されていた瀕死の銀行強盗犯とのやりとりが繰り返される。
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 「もう6発撃ったか、それともまだ5発か…。これは44マグナムと云って、お前の脳ミソを吹っ飛ばす。(こんな感じのセリフだったような。)」のイメージが強く、“特製の大型拳銃”とか言うな!!と叫びたくなるような不釣り合いの対訳がここでまた出てくる。  レベルの低い銀行強盗が抵抗を諦め、知能犯であるアンディ・ロビンソンが罠にかかるのは彼がなまじっか知能が高いためにまさか警官が本当に急所を狙ってくるとは思わなかったのだろうか。  あくまでも劇画タッチで描かれる今作品だからこその演出だったという訳でもなく、抵抗の意思を示したら、射殺されても仕方ないコンセンサスはアメリカにはあるようですし、なんとも言えません。
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 まあ、久しぶりに見ましたが、若い頃のクリント・イーストウッドはカッコいいなあ。いまこんなカッコいい俳優さんはいませんね。この作品でのクリント・イーストウッド扮するハリー・キャラハンに対して、現代によみがえった西部の荒くれ男、もしくは西部劇を現在社会でやるとこうなってしまうのだというような見方をする向きもあるようですが、さすがにそれは違うだろうと思っています。  マカロニ映画が滅びていった後に俳優として生き残りをかけて、己のキャリアを積んでいく過程で巡り合った役柄が『マンハッタン無宿』であり、『ダーティハリー』でのハリー・キャラハンだったというだけでしょう。そして彼の魅力はより深みと凄味を増していき、俳優としても監督としても大成功しましたが、当時はそんな未来など誰にも予想できませんでした。 総合評価 90点