『イントレランス』(1916)グリフィスが湯水のようにお金を使った最高傑作。
15年くらい映画ブログを書いておりましたが、こちらに引っ越してまいりました。のんびりと引っ越そうと考えておりますので、記事移行に数年かかるかと思っています。
監督で選んで作品を見る映画ファンなので、かなり偏ったものになると思います。尊敬する監督さんは黒澤明監督、溝口健二監督、アルフレッド・ヒッチコック監督、スタンリー・キューブリック監督、フェデリコ・フェリーニ監督などです。
その他にサイレント、特撮物、フィルム・ノワールを重視し、さらにマニア色の濃いカルト作品や非DVD化作品を記事にしていきます。
そして生意気ではありますが、100点満点で各作品を独断で評価しております。基準は以下の通りです。
☆ストーリー(20点)
☆演技(20点)
☆演出(20点)
☆音響(10点)
☆環境(10点)
☆印象(20点)
合計100点
それではよろしくお願いいたします。
こちらで取り上げる作品の一本目はこの作品を選びました。まさに完璧な作品です。彼こそが映画のオリジナルです。映画の父と呼ばれるに相応しいグリフィス監督の最高傑作であるばかりではなく、見る前と見た後では映画に対しての考え方が変わります。
後の監督にどれほどの影響を与えたか、その後の映画が如何に進歩していないかが理解されることでしょう。革命家としてやりたいことをやりつくしています。もともとの長さはシュトロハイム監督の『グリード』(貪欲)並みの8時間だったそうです。
映画史上で最も難解かつ、後世への影響が大きかったこの作品は時代がグリフィス監督に追いつけず、公開当時の興行は大失敗したために以後のグリフィス監督から大作を撮るチャンスを奪いました。難解だと言われ続け敬遠されてしまうこの作品ですが、現代の我々が見るとそれほど難しさは感じませんでした。
表層的な理解に留まっているからかもしれませんが、視覚的にも精神にも訴えかけてくる巨大な映画です。重たくて興行受けしにくい「不寛容」というテーマとカットバックやクロースアップに代表される撮影技法のアイデアが満載された、まさに映画の父の作品です。
4つのエピソード、「キリストの受難」、「バビロンの栄光と崩壊」、「メディチ家による宗教に名を借りた粛清」、「労働争議と労働者たちのその後」をリリアン・ギッシュの演じる母とゆりかごに揺すられる赤ん坊のモンタージュが相互に結び付けています。これらのエピソードを貫くテーマが「不寛容」です。
上映時間が160分を超える大作でありますが、前の作品の『國民の創生』と比べますと時間は変わりませんが、時間軸がずれて語られる脚本は当時の観客にはそれこそ「不寛容」だったことでしょう。
4つのエピソードの起承転結を全部ばらした後に、4つの「起」、4つの「承」という具合に順番に見せられるのはとてもくどいものだったとは思いますが、人間は何も変わっていないことを理解させるにはこのような展開にする必要があったのでしょう。
時間の軸は5つあり、4エピソードとリリアンの語りの時間が存在します。最も大事なのは実はこのリリアン・ギッシュのパートなのです。揺すられるだけで自分からは、なにも出来ない赤ん坊は愚かで未熟な人間のたとえであり、リリアンの赤ん坊へ寄せる愛こそが「寛容」の世界への鍵として描かれています。
リリアンの時代では「寛容」は夢なのでしょうか。それとも「不寛容」を昔話として語っているのでしょうか、その興味は尽きません。製作されてから100年近く経った現代でも相変わらずの「不寛容」な世界に生きる我々をグリフィス監督はどう見るのでしょう。
4つのエピソードの中で生きる人々は、ある者は「不寛容」から他人を攻撃し「死」に至らしめ、その運命から逃れようとする人々は「愛」を内に秘めて戦い、ある者は悲劇のうちに人生を無理やり終わらされ、またある者は「不寛容」に打ち勝ちます。グリフィス監督が描きたかったのは、「不寛容」よりも、むしろ「愛」だったのではないか。
4つのエピソードについて語っていきます。「キリスト受難」については多くは語られていません。教会に遠慮したのか、検閲のためなのかもしれません。水をワインに変える最初の奇跡、街中を十字架を背負って歩くシーン、そしてゴルゴダの丘での磔のシーンのみです。
この作品の中で最もインパクトのあるのが、キリストの後のバビロンのエピソードです。このエピソードには全ての映画テクニックが詰まっています。何よりも驚くのがそのセットの巨大さと豪華さです。大きな城を完全に建ててしまっているのですが、城壁が90メートル以上もあり、下で戦っている何千人もの兵隊役のエキストラが米粒のように見えます。
しかもこの壁の幅も10メートル以上あり、戦車が壁の上を通っている映像を見たときは流石にグリフィス監督の狂気を感じました。そこからバビロンの王様が指示を出すのですが、彼の視線の先にあるバビロニアの街並みまでも地平線の果てまで作っています。無駄遣いもここまでくると立派なものです。
そしてこの映画で一番有名なものがこの城の内部の俗に言う「バビロンの空中庭園」です。石像や神殿の石柱のばかばかしいほどの巨大さに目を奪われ、庭園の豪華さと質感に圧倒され、ここにも溢れている民衆のけた違いの多さには言葉を失いました。これ以上のものは今後二度と作られることがないだろうと言うのが頷けます。
個人的にエジプトに旅行に行った折に、いろいろな巨大建造物や石像を見ましたが、規模の面では引けをとらないほどの大きさでした。勿論、本物の持つ歴史的な重さにはかないませんが、つい比べたくなるほどの壮大なセットです。
セットだけでも驚きますが、それ以上に見るものの眼を驚かせるのが画面を埋めている大量のエキストラです。何千人もの無名の人たちの人生の一瞬が、カメラを通して切り取られています。吐き気を催す映像でした。
彼らが中心となって作り上げられたバビロニアの攻防戦の持つ迫力は凄まじく臨場感に溢れ、グリフィス監督の用いる俯瞰撮影、カットバック、クロース・アップ、移動撮影などの演出効果とあいまっての一大スペクタクルに仕上がっています。
このバビロンのエピソードを見るだけでも映画100本分の値打ちがある事を保障します。壮大な無駄遣いがもたらしたスペクタクルの見本です。戦闘シーンでの残虐な描写も数多く驚きながら見ていました。俯瞰撮影は気球を使って撮られたそうです。
3話目のメディチ家による大量惨殺事件ですが、他のエピソードに比べると陰が薄い題材にもかかわらず、その陰惨さは群を抜いて陰湿であり、メディチの女帝の気味の悪さには嫌悪感がありました。宗教がらみで虐殺が平気で行われるのは今も全く変わっていません。人間は変われるのか。答えは出ていません。
第4話は近代から今も続く資本家と労働者の争い、偽善者の傲慢さが描かれています。偽善者と資本家のために職を失った労働者を、社会全体が更に不幸の底へ落とし込んでいきます。何が正義なのかを激しく訴えます。
このエピソードでも革命的な撮影手法がとられ、機関車と車のカーチェイスやカットバックによって緊張感を上げていき、見るものを作品にのめりこませます。処刑までの時間との戦いをカットバックが見事に盛り上げています。
グリフィス監督が示した人類の課題である「不寛容」と、それへの解決策となる「愛」。戦いや争いの後の戦車や刑務所に咲き誇り、埋め尽くす綺麗な花々のイメージは人類の悲願である天国なのです。殺し合いを経ないと達成できないことも同時に示される美しくも悲しい映像でした。
最高の監督、最高の女優リリアン・ギッシュ、最高の撮影技術、最高の予算、革命的な脚本がもたらした最高の映画、それが『イントレランス』です。興行的に失敗したために、彼のその後に付きまとい二度と大作を撮れなくなってしまったのが、返す返すも残念です。グリフィス監督にとって最も「不寛容」だったのはほかならぬ身内の映画会社だったのです。何たる皮肉でしょう。
総合評価 95点