良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『エル・トポ』(1969) ジョン・レノンお気に入りの、えげつなさと美しさが同居する奇妙な一本。

 デビュー作『ファンドとリス』で注目を浴びたあと、彼に目をつけたアラン・クライン製作で、奇才アレハンドロ・ホドロフスキー監督の撮った、1969年の第二作目の作品。この作品が世に出るきっかけとなったのは、まだ名目上はビートルズだった頃のジョン・レノンのおかげでした。

 

 彼はこの不思議な映画をとても好きになり、しまいには自分で全米での興行権を買ってしまったほどでした。彼らの設立したアップルには映画会社もあったはずなので、ホドロフスキー監督にやりたい放題の映画を作らせていれば、どんなものが出来上がっていたかと思うと、とても興味深い。

 

 映画で大切なのは、何よりも先ずオープニング・シーンだと思うのですが、この作品のそれはシュールで、かつ詩情溢れる見事な映像の美しさを誇っています。このシーンのような映像がずっと続いていたならば、映画史に残るような残酷で美しい作品として語り継がれるはずでした。

 

 しかし、そこは稀代の変人、ホドロフスキー監督は勿論そんな素人の考えるようなものにするはずは無く、金の亡者アラン・クラインの期待に応え、全篇を通して、映像で示すことの可能な、ありとあらゆる俗悪な映像で埋めつくしてしまいます。

 

 全裸映像はともかく、障害者、SM映像、黒人差別、動物虐待、死体にたかるハエ、首吊り処刑、ホモ行為、レイプ、人権蹂躙、公開処刑カニバリズム、惨殺死体、拷問、性器切断、死体陵辱、焼身自殺、健常者と障害者の性交、子供による銃殺、男女性器をイメージさせる映像など、考えつく、目を背けたくなり、吐き気を催す映像が2時間以上続きます。

 

 ベトナム戦争での虐殺の酷さや、当時見られた僧侶の焼身自殺などがイメージとしてあって、それを作品中に取り入れたのかもしれませんが、ここまでやるのはいかがなものだろうとずっと思いながら見ていました。

 

 時折、思い出したように砂漠やオアシスの美しい映像が挿入されますが、質量ともにそれらを凌駕し、圧倒するえげつない映像と音の前では、映像美という言葉はあまりにも無力で無意味なものに思えます。何故、ここまでのえぐい映像を観客に見せつける必要があったのでしょうか。

 

 もし、映像表現としては具体化できたとしても、最低限度やってはいけないことも存在するのではないだろうか。60年代というと、ロックやドラッグに象徴されるような、無軌道で刹那的な文化が花開いた時代ではありますが、映画でも、より過激と刺激を同時に求める風潮が出始めた時期だったのかもしれません。

 

 先駆けとなった『俺たちに明日はない』、『ワイルドバンチ』などの過激な描写、そして『イージー・ライダー』、『卒業』、『タクシー・ドライバー』などのアメリカン・ニュー・シネマの誕生と隆盛、それと対照的なものになってしまった、ハリウッド・メジャーの没落。ノーマルなものに飽きてしまい、より過激なものを求めていたアメリカ人やイギリス人が向かった先がたまたま外国映画、それもメキシコ映画だったのでしょう。

 

 おそらく、この作品が地上波に乗ることは絶対にありえません。CSでもおそらく視聴制限が加えられることでしょう。ホドロフスキー監督の作品の中では、この『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』、そしてパゾリーニ監督の『ソドムの市』は、「18禁」に限りなく近い作品ですので、弱腰の地上波ではまず無理でしょう。

 

 一部のマニア的な映画ファンのみが、語り継いでいかざるを得ない作品なのかもしれません。  見た物だけに拘り、表面上だけで物事を判断すると、そうなってしまうのですが、ただ猥褻というだけの映画ではありません。フリークスが数多く出演している、というだけで、この作品がそれらの人々に対する差別を助長するというのは、短絡的過ぎるように思います。

 

 見て見ぬ振りをする人と違い、ホドロフスキー監督はたとえ興味本位であったにしろ、きちんと俳優として彼らを起用しています。ルーカス監督も「イウォーク」や「R2D2」で小人俳優を使い、一部の「人道」主義者からの批判を浴びせられましたが、むしろ起用された方は、使ってくれた監督に感謝したという記事を読んだことがあります。同情だけでは彼らの生活は救えません。

 

 作品世界の中で、これらの人々は違和感なく溶け込んでいます。ハリウッド作品のように、美男美女だけで世界が構成されていることへの反発と、それへの反動がホドロフスキー監督を奇形へと奔らせたのでしょうか。

 

 見世物とされる人々への哀しみを汲み取って欲しい。ハリウッドスターも障害者も、スクリーンの中でやっていることになんら変わりはないのです。

 

 オープニングの美しさとの、ギャップがあまりにも大きすぎるストーリー展開は、反対にエンディングが近づくにつれて、主人公を「聖人」化させていき、彼の死後、生き写しのように父親に似ている彼の長男であるガンマンは、腹違いの弟と彼の母親を連れて、再び砂漠に去っていく。

 

 作品全体を使って、「円環」として親と子の歴史が続いていくような不思議な終わり方をします。「円環」のイメージは何度も作品中に登場しますが、最後のシーンのために使われてきたのだろうか。

 

 脚本の根幹に東洋思想を据えていますがヨガ、仏教などの持つ神秘的なイメージと、西洋的なキリスト教占星術の持つイメージを、ラテン気質と変質者的性格を持つメキシコ人監督がブレンドすると、こういう不思議な雰囲気を持ち続ける作品に化けるのでしょう。この思想性こそが、彼をただの変人と奇才とを区別してくれる道具なのです。

 

 美しいシーンで幕を開けたこの作品は、美しいシーンとともに幕を下ろす。はじめと終わりが美しいために、何故か途中のえげつなさが中和されていくような不思議な感覚を味わった作品でした。

 

 ホドロフスキー監督作品『エル・トポ』の興味深いところは、まさにこの点であり、万人向きとは言えませんが、何年かするとまた見たくなる、なんともいえない魅力を今でも持っています。

総合評価 81点 

エル・トポ

 

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