良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『飢餓海峡』(1965)内田吐夢監督の最高傑作であり、全邦画中でもベスト3に入る作品。

 水上勉原作、内田吐夢監督、三國連太郎主演、伴淳三郎高倉健の助演で送る、まさに邦画の最高傑作のひとつといっても過言ではない作品である。しかし、この作品があまり知られていないのは何故だろうか。内田監督の謎に包まれた人生同様に大いなる謎である。

 重厚で、個性的な独特の映像のタッチが強烈な印象を残します。わざわざ16ミリ・フィルムで撮影され、それを劇場用の35ミリにブロー・アップすることにより、輪郭が定かではない記憶を辿るような独特の世界観を表現することに成功し、かつ荒々しい時代を写し撮った強烈な個性を放ち続ける映像として世に送り出されました。

 これほど個性的な作風でありながら、これ程上手く、この混乱の時代を切り取り、劇映画として機能している作品にはなかなか出会えません。

 ざらついたような粒子の粗いモノクロ画面が厳しい世相を映し出し、ネオレアリズモ時期のイタリア映画の人生の暗部を抉り取る感覚をさらに押し進めていったような勢いを感じます。フィルムは監督自身の強い信念を表現しているようです。

 戦後すぐという混乱の時代を題材に、劇映画ならではのダイナミックな展開とリアリズム描写溢れる人間群像の生臭さがとても新鮮に映ります。フィルム全体を通して内田監督のどうしようもない憤りというか感情のやり場のない空しさが漂っている。激情が監督に襲い掛かる時には画面がまるでストロボを焚いたときのように全体が光と陰に溶け合っていく。

 東映らしくない重厚な作品ではありますが、そんな会社の枠や気風などまったく寄せつけないほどに、内田監督のこの作品へ込めた魂の力は尋常ではない。ワンカット・ワンカットに込められている異常なまでの集中力からは決して目を離してはならない。

 3時間を越える上映時間からこの作品を敬遠する方もあるとは思いますが、見逃してはならない作品であると断言します。あっという間に過ぎていく三時間を是非とも体験していただきたい。観始めたならば、最後まで観終えないと収まりがつかない作品なので、とりあえずレンタルで借りてきてでもDVDを再生してください。観る価値は絶対あります。

 ストーリーは実際に起こった、台風の影響で1000人以上の人命を一度に海に呑みこんだ青函連絡船の沈没事件である「洞爺丸沈没事件」と北海道で同日に起こった大火事である「岩内大火」がベースになっている。

 二つの事件を小説の着想に使った水上は二つの事件をリンクさせて、犯人が両方の事件に絡んでくるというスケールの大きい作品に仕上げています。沈没船の乗員名簿と死体の数を照らし合わせ、「死体が二つ多い」という伴淳刑事の台詞にはゾクゾクします。まさにスリラー。何故二つ多いのかを元に犯人の足取りを追跡していく様子はスリリングです。

 犯人を演じるのは三國連太郎、追い詰めていく地元の刑事役に伴淳三郎、京都の刑事役に高倉健、そして京都の署長役で藤田進が出演するという超豪華なキャスト陣の各々の演技を見ているだけでも楽しく時間を過ごせますが、濃厚なストーリーと演技、個性的な演出によるフィルムの厳しさと美しさは良き時代の日本映画の実力と迫力を我々に見せつける。

 製作された時期も良かったのではないだろうか。出ている人々も全て戦争を経験してきているいわば「戦中派」ばかりなので、演技には嘘くささが微塵もない。徹底したリアリズムと役者それぞれが持つひと癖もふた癖もある個性の香りが画面を覆いつくす。

 とりわけ頬のこけた三國の凄みはギラギラとしていてであろう当時の雰囲気とハングリー精神を見る。けっして主役級ではなかったであろう三國連太郎の迫真の演技に是非触れて欲しい。『釣りバカ日記』のスーさんしか知らない人には見て欲しい一本です。

 日本を代表する俳優、高倉健の使い方も贅沢で、上映が始まってから彼が出てくるのは90分以上経ってからです。若い頃の健さんは精悍で、スマートで、若い時から既にこれ程カッコよい男だったんですね。

 淡々と流れていくカットと激しく割られていくカットの対比が巧みで、しかもそれは小手先のものではない。鉈で割っていくような迫力のある展開は他の監督には見られない個性の強さがある。内田吐夢監督のスケールの大きさは邦画の範疇にはない。

 冒頭、沈没した船から逃げ惑う人々を救出する様子を写し撮ったモブ・シーンの迫力と荒れた海の上を捜索する漁船や警備船を引きで捉えたショットは壮絶で力強い説得力を持っています。まるで本当の事件のニュースフィルムのようなのです。

 これらのバタバタして逃げ惑う様子というのは監督自身が満州から引き上げてくる時に経験したことの残像なのかもしれません。それだけにこのシーンの力強さによって、観客は一気にこの映画に引き込まれていくであろう。

 映画人に良心が残っていた頃の映画でもあります。殺された人々、水死した人々を必要最小限にとどめ、極力映像で見せない配慮をしている描写にも好感が持てる。戦中派にとってはまだ死は日常の時代だったわけで、死体などはわざわざリアルに見たくもない対象だったはずなのです。空襲で、戦場で、遠い異国で助けたくとも助けられなかったり、見殺しにしてきたであろう当時の人々にとっては克明な死の描写などは不要だったのではなかろうか。

 映像として斬新だったものに青森ののんびりとした風景と対をなす恐山の峻厳さを挙げることができます。とりわけ三國が恐山を一人で歩いていくシーンの薄気味悪さと苛烈さは目に焼きつく。イタコの口寄せのシーンも不気味でした。

 また戦後すぐの時代では農作物の産地である田舎の方が都会よりも富んでいたように見えます。北海道、青森、京都という三つの舞台に出てくる人々のうち、青森の人々が貧しいながらも、都会の人々ほど食べ物では困っているようには見えない。

 しかしながら男は出稼ぎに行かねばならず、女は食べるためには売春婦にならざるを得ないという悲惨な境遇を美化することなく描いています。

 ただあくまでもこれは比較論に過ぎず、善人であろうが、悪人であろうがお金や食べ物に困っている時代の姿を見事に切り取っている。まさに国中が飢餓で腹を空かせていたのです。飢餓よりも惨めで陰惨なものはない。自分が生きるためならば、人を踏み台にしていかねばならない。

 結果としてこの物語では犯罪で得た金で成功した三國を、また元の悲惨な環境へ戻すべく刑事たちが追い詰めていく。三國は成功して得た金を使い、慈善事業に精を出し、京都や自分の田舎へ大いなる貢献をする。しかしそれは犠牲者の死の上に成り立っているものである。

 これをどう見れば良いのであろうか。一部の人の死(経済的にという意味でも良い)を前提に多くの人々が救われる社会が良いのか、一度犯罪を犯した者や貧しい家に生まれた者は一生浮かび上がれない社会が良いのかという大変大きな問題提起を内田監督がしているようにも思える。

 劇中でも飢餓は日常である。日本全国に普通にあった飢餓。赤旗が振られ、刑事役・伴淳三郎の家庭、売春婦役・左幸子の生家、その他に出てくる出演者全体の生活には余裕などは全くなく、厳しい貧困の中でかろうじて生きている。赤線地帯の喧騒、寒さが厳しい荒れる津軽海峡の描写、世相を反映するような暗い色調も相まって、劇的な効果を上げている。

 この作品は人間不信の映画でもある。一夜限りのつもりで売春婦を抱いた三國は後腐れのないように大金を渡す。それを別の意味で恩に感じた(自分が抱えていた借金が三國のお金でチャラになる)左は一念発起して、東京に出て行き、水商売に身を落としながらも、三國との再会を夢見る。

 彼が残した親指の爪を後生大事に持ち歩く彼女もまた、どこか歪な当時の様子を物語っているようである。腹を空かせて飢えるのは当時の日本の現実であり、愛情に飢えていた左幸子がすがろうとしたのは三國の好意であった。後腐れのないように大金を積んだことが仇となり、両者を不幸のどん底に戻していく。愛への飢餓、物質の飢餓がさらなる不幸を呼ぶのは厳しく、寂しい現実でした。

 彼女は偶然見た新聞の切抜きを頼りに三國を訪ねていく。ついに再会したものの三國からすれば、それは大変迷惑な話であり、精神的な飢餓(他人など信じられない)がまだ続いている彼は彼女の真意を理解できずに、ついには彼女を絞め殺してしまう。

 北海道での強盗殺人とその後の仲間割れによる共犯の殺人は戦後の混乱と偶然も重なっていて、無事にやり過ごしたものの、この殺人は保身のために自ら犯した殺人である。とうとう警察に捕まり、尋問を受ける中、ようやく真相を語りだす三國と彼の嘘を見破ろうとする高倉健伴淳三郎

 彼の独白には説得力があるが、それを撥ね付ける警察。何が真実かはもはや藪の中である。津軽海峡を渡るところで、驚きのラストシーンが用意されています。海峡の荒々しく厳しい流れに、自ら飛び込んでいく三國は「洞爺丸沈没」によって人生を狂わされた最後の犠牲者として海に帰っていく。強烈なオープニングと強烈なエンディングを持つのがこの『飢餓海峡』なのです。

 貧困はすべてを併呑してしまう。「毒喰らえば皿まで」で綺麗ごとでは済まされない極貧の状況でしか理解できない行動原理(うわあ。やばい金がある。警察に届けようかなあ。でも待てよ。俺が本当のこといっても、誰も信じないよ。えーい!もらっちゃえ!)は何故か強烈な説得力がある。

 夢も希望もない負け犬人生に突然降って湧いた大金を得た時に、それが悪い金だと分かっていても人間はそれをあるべきところに渡せるか。金を握ったら、人間はどう変わるのか。とても深いドラマでした。富田勲の音楽も良い。

 残念なのは内田吐夢監督に誰もスポットを当てなかったことです。これ程の大作を作り上げたにもかかわらず、その後も目立った仕事はしていない。映画の損失としか言いようがない。もっと自由に作品を撮らせてあげたかった監督の一人です。

総合評価 98点

飢餓海峡

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