良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『理想の観客とは…。』映画を観るために不可欠な基礎的観察能力を養うには何が必要だろうか?

 誰でも映画を観た経験はあるでしょう。小さい頃、親に手を引かれ、アニメか特撮か、それともはじめから大人向けの映画を観たかもしれません。そうした経験が基盤となり、映画ファンになっていく人も多いでしょう。自分もそうした一人でした。もしかすると映画館には行かないが、毎週地上波TVで放映される番組を通して、映画に触れる方も多いでしょう。むしろ映画館組よりも、地上波TV組のほうが大多数を占めるのではないだろうか。
画像
 一見、映画に貢献する映画ファンを作るには地上波TVの影響力を使った方が良いように思える。しかし、それは邦画に限ったことである。むしろ洋画の場合、地上波TVは悪しき影響を与えることの方が多い。なぜなら地上波TVの放映は基本的に字幕ではなく、吹き替えであるためである。  いくら声優ががんばったところで、オリジナルの俳優の演技には遠く及ばないし、口と言葉が一致しない画面を見て、白ける視聴者も少なくないのではないか。そもそも何故吹き替えなどが必要なのであろうか。文盲率が極端に高い国ならばいざ知らず、この国で吹き替えをする意味がまず分からない。  子供が読めないから、吹き替えが必要だとでも言うのであろうか。読めないなら、読めるように手ほどきするのが親の役目であろう。なぜ子供基準に大人が合わせなければならないのであろうか。ディズニー・アニメなら納得も出来るが、シリアス物や雰囲気を大事にするヨーロッパ映画に吹き替えなどは無礼であろう。  俳優の演技を否定する吹き替えはなくすべきなのではないだろうか。誰に向けて、吹き替えをつけているのであろうか。百歩譲って、吹き替えをするのであれば、副音声で処理してもらいたい。オリジナルの音声と映像を観てこそ、はじめて製作者や俳優たちの真の姿がおぼろげながらでも、見えてくるのではないだろうか。
画像
 昔はNHKでは洋画には字幕をつけて放送していたと記憶しています。いまから30年以上前の夜か夕方にルネ・クレール監督の『リラの門』をオリジナル音声と字幕で見た記憶があるのです。もう小学生だったので、ある程度の漢字も理解できたので、普通に鑑賞していました。  オリジナルらしいフランス女の「ジュジュ!」と呼ぶときのセクシーな声が耳にいまでも残っています。これがもし普通に日本語吹き替えなどされていたならば、まったく記憶に残らなかっただろうと思います。違う言葉もあるのだと、外国語に興味を持つようになるきっかけを放送局側が奪うのはいかがなものであろうか。  せっかく高い放映料金を払うわけですから、なにもわざわざオリジナル俳優の演技を超えることなどありえない声優を使って(声優を貶めているわけではありません。アニメならいざ知らず、普通の洋画に不必要な吹き替えなんて要らないと言っているのです。)、経費を増やす必要性があるのかといいたいのです。  映画での良いシーンほど、吹き替えによる口パクの悪影響が出てしまう。ラブシーンでの盛り上がっているところ、アクションシーンでの決定的瞬間に出る顔のアップでその影響は甚大である。一気に白けてしまうのは当然の反応ではないだろうか。
画像
 またファンの人たちも、普通に日本語をしゃべる大物ハリウッド俳優たちに違和感を覚えないのであろうか。デニーロ、ニコルソン、フリーマンなど現代を代表する演技派俳優たちの演技をせっかく見るのであれば、オリジナルに勝るものはないと断言します。わざわざ異物を入れてしまい、違う映画にする意図は不明なのです。  表題である理想的な観客とはずいぶんと離れてしまいましたが、どうせ観るならば、オリジナルを観るべきでしょうというのはご理解いただけると思います。まずは大事な本質のひとつである音楽(台詞も音楽です。俳優独特の話し方や言い回し、話の間の取り方、そして訛りを楽しむのも一興です。)の部分を弄りまくる危険性についてでした。  音響もTVで見るとかなりガタガタになりますが、すべての家庭でフロント・スピーカーとリア・スピーカーを備えるわけにはいきませんので、ここが犠牲になるのはやむを得ないでしょう。ただし、ミュージカル、戦争映画、派手なアクション映画、特撮映画など、特定の映画ジャンルにおいては大画面と音響がすべてのものがありますので、TV放送だけで判断しないでほしい。  「もしかすると、この映画は劇場で観たときに真価を発揮する映画かもしれない。」という想像力を持って、映画を観ることができるかというのも理想的な観客への道のひとつになるでしょう。  細かい部分にまで目が行き届いている映画は昔のものに多い。なぜならばもともとが映画館で掛けるために作られているので、細かい部分までが観客に晒されてしまうという意識からか、B級作品はいざしらず、ハリウッドやヨーロッパのものなどはきちんと仕事をされているのです。  現在は映画館は昔よりも圧倒的に大きなスクリーンで上映されますが、画面への細かいこだわり自体が見所になってしまうという本末転倒になっています。丁寧な仕事をするのが当たり前の時代の映画と編集とCGでなんとかなるさ、という時代の作り込み段階での温度差が出ているような気がします。
画像
 お金を掛けているはずのジブリ映画ですら、息子の作った『ゲド戦記』などはあまりの仕事の雑さにウンザリしました。大画面での粗雑な仕事は言語道断であり、宣伝費に掛ける10パーセントでも作品のクオリティを高めるためにに回してほしい。ジブリでもそういう状況なのです。今年はおやじさんが出てくるので、期待して観に行きたい。  実写映画でも、俳優や組合の時間拘束の制限のためか、芝居が甘いというか、キャラクターの作り込みが出来ていない、やっつけ仕事のような状態にもかかわらず、テイクを重ねていない演技が目立つ。TVドラマならともかく、DVD化されたりして、かなり長い時間、どこかで見られ続ける映画でさえこういう状況なのは憂うべきことではないでしょうか。  次に問題になるのが映像言語を理解できるかという受け手、つまり観客の問題も大きい。なんでも台詞にならないと理解できない、TVドラマ世代の想像力の欠落は映画にも影響が出ている。映像の意味を理解しない、もしくは考えたことすらない世代が圧倒的多数になっている現実への表現方法としての対処と弊害は製作側にももちろんありますが、受け手の責任も大きい。  キャラクターの内面すべてや舞台設定を台詞で語ってしまう馬鹿らしい映画は大量に溢れ、増産され続けている。今後もさらに増えるでしょう。なんのために映像があるのか。キャラクターの位置関係やカットの積み重ね、カメラの撮り方によって変わる映像の意味などを考えながら映画を鑑賞すると楽しみは倍加します。なぜならそれは作り手の考えを知るというワンランク上の楽しみを与えてくれるからです。  ただの暇つぶしに使うならば、「面白かったぁ!」「つまんない!」でいいでしょうが、いつまでも子供みたいなことを言うのは止して欲しい。映画ファンを自認するのはかまわないが、ただストーリーだけを追うのは映画ファンとして恥ずかしいことだと自覚すべきでしょう。視野を広げるともっと深い世界がその映画にはあるのですから。  今回は「音」、つぎはキャラクターの「位置取り」とカメラの「視点の変化」、つぎは「色使い」などというふうに見方を変えていくと一本の映画からどれほど多くのメッセージを受け取れるようになるか想像してみてください。お気に入りの映画を何度も観てください。また自分が映画を観るときに見方が偏っていないかチェックしてください。  この作業に慣れてくると、一時に演技・演出意図・音響・ストーリー展開などが頭と感覚に入ってくるようになります。新作を観る人ならば、「そんなに何回も高い金を払ってまで観れないよ!」と言う声も上がってきそうですが、観る前の段階で、あらかじめ上記のようなことを意識しておくだけでも、一本の映画から受け取れるメッセージ量は膨大な量にまで増えてきます。一度お試しください。一本の映画でも書くことが増えすぎてくるのを実感できるのではないでしょうか。
画像
  ここまで書いてきましたが、理想的な観客とはどのようなタイプかについて、まったく書いていないことに気づきました。基本的には映画だけではなく、音楽、絵画、デザイン、建築、文学、演劇など幅広い芸術を愛好する映画ファンを想定しています。第七芸術である映画を理解するためには上記の六つの芸術について、まったく興味がないというのでは観客としての幅が広がりようがない。  ただし、いくらこれら六つの芸術に精通しているからといっても、そういう人が完全な映画ファンになるかというとそうでもない。映画を愛しているか、これがもっとも重要なのです。テクニカルな部分のみを理解しているから、完璧なわけではない。ただ分析するのは観察者の視点であって、愛好者のそれではないかもしれません。  冷静に分析しつつも、熱く一本の映画にのめり込んでいけるファンこそが理想的なのではないでしょうか。「あれがダメ!ここがダメ!でも楽しいなあ!」とか「最低な映画だったけど、あそこだけは良かったなあ。」とか、しみじみ言える保護者的な観方を出来る人が立派な映画ファンなのかもしれません。  サッカーのJリーグを昔はよく観に行きました。当初は勝ち負けにこだわりましたが、最後の方は贔屓の選手が怪我をせずに元気にプレーしてくれたら、それで良いやあ、という境地にまで達しました。映画にも同じような感覚を待てるようになれば、もっと楽に観れるかもしれません。  いろいろ書いてきましたが、観客がレベルアップすれば、製作側も質的な部分を切磋琢磨せざるを得ないのです。「面白かった!」と軽々しく言わない観客になりましょう。どうしても言いたければ、「これこれこうだから、面白かった。」と理由を説明できる観客になりましょう。  日曜日は『ランボー4』『ヴァンテージ・ポイント』を観ました。